ギリシャが景気後退に入ったのは2009年以降だった。
それ以来 EUの中で、ギリシャが毎回 問題となっている。
ギリシャの構造の欠陥を指摘するEUがあり、それに 保険のスワップの問題や、国債などの複雑な金融が絡み合い、特にドイツがまともに被害を受けている。
2010年4月それまでの借金がさらに増え続けていることが明らかになり、年間のGDPの約1.5倍の借金がこの年だけで膨らんだ。
それまでにすでに、散々借りてきているにも関わらず、まったく返す気もなくさらに借金を増やしているということなのである。
トロイカ (EUとIMFの共同体のニックネーム)は、2010年の5月にギリシャを救うため、110ビリオン ユーロの融資を決意した。
そのための条件は、ギリシャの構造改革であり、ギリシャはそうすることを約束した。
構造改革には多くのことが含まれており、多すぎる役人のカットや 早すぎるリタイア年齢なども、詳しく盛り込まれた。
さらに130ビリオン ユーロの融資、さらに個人投資家たちは、現物の半分以上をあきらめなければならなくなってしまった。
つまり トータルで240ビリオン ユーロ 日本円に換算して35兆円が一瞬で消えた計算になる。
しかし高すぎる失業率に加えて、2014年のさらなる景気後退を受け、ギリシャは悲惨な状況へと変わる。
そんな中
12月には選挙が行われ、左翼のSyriza政権が勝ち、彼らは前政権とユーロとの合意をことごとく、無視し始めた。
IMFはさらに来年も10兆円の支援を続ける・・・としていたにも関わらず である。
これで トロイカは、怒り心頭となりすべての融資を一時 止めるという方針に切り替えた。
しかし、粘り強くギリシャを説得し、なんとかユーロにとどまらせ、そして借金を返済させるほうが得策だと考えたユーロは、投げ出したくなる衝動にかられながらも、今も交渉を続けている。
昨日、そういうユーロに対して、何もかも気に食わねえ と交渉を打ち切ったギリシャはたった45分で席を立った。
2000年から2007年まで、ギリシャの経済はヨーロッパで括目されるほど、成長していたのである。それが、2008年のリーマンショック以来、頓挫し、現在の悲惨な状況へと変わったわけだ。
経済が悪くなると、かならず社会主義が台頭してくるのは、どの国であっても同じだ。
ところで・・・
社会主義というのは、そもそも、なにか?
という根本的な問題を考えてみたことはあるだろうか?
社会主義は資本主義に対して生まれたものだとするならば、要するにそれは、金の問題であり、金の分配についての話である。
お金というものを、一部の人間が握りしめていると、多くの人々は暮らしにくくなる。
この弊害を取っ払う為に、金のない人間にも金がいくように としたのが、社会主義だ。
繰り返し言う。
要するに、どちらにせよ 金の分配の問題だ。
そして、破たんしそうな国家というものは、いずれにせよ、金の流れをコントロールできなかったということだ。
金をきちんと管理できない人は、銀行からきちんとした融資を受けることができないので、高利貸しに行く。
高利貸しは、高い金利で金を貸すが高いリスクも覚悟するという商売だ。
この観点からみると分かりやすい。
今、長期金利は10%を超えているところだ。だが、2012年には27%にまで上昇したのである。その時に、トロイカが助け舟を出さなければ、ギリシャはとっくに破たんしていた。
だが、今の場合・・・
もし、EUが投げ出してしまうと、ギリシャの金利がどこまで上昇するのか、見当もつかない。
ここ2年間、ヨーロッパを覆う暗く重い雰囲気は、すべてギリシャに原因があるとも言われている。
ギリシャのユーロに占める割合は たった2.5%でしかないのにも関わらず、だ。
こんな中、ギリシャでは ドイツへの反感が強まっている。
ドイツは 何もかも知ったうえで、我々に陰謀を仕掛けてきた。
というものだ。
例えば 論調はこんな具合だ。
ドイツの輸出産業の防衛関連の15%はギリシャに売りつけている。潜水艦などギリシャには全く必要のないものにも関わらずだ。
と批判を繰り返しているわけだ。
さらに、ギリシャへの構造改革とは、(これは多分に日本の竹中平蔵が推進している構造改革に似ているが)要するに、会社や役所が人の首を切るのを簡単にできるようにしと ということである。
(日本は派遣法という法律を作ることで、雇った人間を、会社の都合で いつでも、すぐに首にできるようにしたわけだ。)
しかしギリシャの場合、日本とは違い首になった人々が、次に仕事を見つける機会はなかった。失業率が50%にもなると、仕事を見つけることはほとんど不可能になってしまい、一生 働かない人間ができてしまう。つまり、首をすることが、長い目で見て、社会にとって利益を生むのかどうかという根本的な議論は、なおざりのまま、ドイツの大企業の論理・・・(これは世界的に流行している資本主義の論理でもある)によって、簡単に、解雇できるシステムを作ることが、企業にとって利益を上げ、国にとっては黒字に転換できる絶対唯一の方法だというやりかたを推進してしまったわけである。
ここで、無視されたのは、風土や文化といったものだったろう。
ドイツやスカンジナビア半島の冬は長く寒い。
暖かい地中海で生まれ育った人々に、そういう寒い国で生き延びてきた人間の価値観を押し付けることが、そもそも 強引で傲慢なやり方だったのではなかろうか。
アリとキリギリスの童話ではないが、冬が来て、食べ物がなくなっても、キリギリスは、死に絶えることはなく、アリの食卓が幸せであり続ける証拠もないのだ。
それ以来 EUの中で、ギリシャが毎回 問題となっている。
ギリシャの構造の欠陥を指摘するEUがあり、それに 保険のスワップの問題や、国債などの複雑な金融が絡み合い、特にドイツがまともに被害を受けている。
2010年4月それまでの借金がさらに増え続けていることが明らかになり、年間のGDPの約1.5倍の借金がこの年だけで膨らんだ。
それまでにすでに、散々借りてきているにも関わらず、まったく返す気もなくさらに借金を増やしているということなのである。
トロイカ (EUとIMFの共同体のニックネーム)は、2010年の5月にギリシャを救うため、110ビリオン ユーロの融資を決意した。
そのための条件は、ギリシャの構造改革であり、ギリシャはそうすることを約束した。
構造改革には多くのことが含まれており、多すぎる役人のカットや 早すぎるリタイア年齢なども、詳しく盛り込まれた。
さらに130ビリオン ユーロの融資、さらに個人投資家たちは、現物の半分以上をあきらめなければならなくなってしまった。
つまり トータルで240ビリオン ユーロ 日本円に換算して35兆円が一瞬で消えた計算になる。
しかし高すぎる失業率に加えて、2014年のさらなる景気後退を受け、ギリシャは悲惨な状況へと変わる。
そんな中
12月には選挙が行われ、左翼のSyriza政権が勝ち、彼らは前政権とユーロとの合意をことごとく、無視し始めた。
IMFはさらに来年も10兆円の支援を続ける・・・としていたにも関わらず である。
これで トロイカは、怒り心頭となりすべての融資を一時 止めるという方針に切り替えた。
しかし、粘り強くギリシャを説得し、なんとかユーロにとどまらせ、そして借金を返済させるほうが得策だと考えたユーロは、投げ出したくなる衝動にかられながらも、今も交渉を続けている。
昨日、そういうユーロに対して、何もかも気に食わねえ と交渉を打ち切ったギリシャはたった45分で席を立った。
2000年から2007年まで、ギリシャの経済はヨーロッパで括目されるほど、成長していたのである。それが、2008年のリーマンショック以来、頓挫し、現在の悲惨な状況へと変わったわけだ。
経済が悪くなると、かならず社会主義が台頭してくるのは、どの国であっても同じだ。
ところで・・・
社会主義というのは、そもそも、なにか?
という根本的な問題を考えてみたことはあるだろうか?
社会主義は資本主義に対して生まれたものだとするならば、要するにそれは、金の問題であり、金の分配についての話である。
お金というものを、一部の人間が握りしめていると、多くの人々は暮らしにくくなる。
この弊害を取っ払う為に、金のない人間にも金がいくように としたのが、社会主義だ。
繰り返し言う。
要するに、どちらにせよ 金の分配の問題だ。
そして、破たんしそうな国家というものは、いずれにせよ、金の流れをコントロールできなかったということだ。
金をきちんと管理できない人は、銀行からきちんとした融資を受けることができないので、高利貸しに行く。
高利貸しは、高い金利で金を貸すが高いリスクも覚悟するという商売だ。
この観点からみると分かりやすい。
今、長期金利は10%を超えているところだ。だが、2012年には27%にまで上昇したのである。その時に、トロイカが助け舟を出さなければ、ギリシャはとっくに破たんしていた。
だが、今の場合・・・
もし、EUが投げ出してしまうと、ギリシャの金利がどこまで上昇するのか、見当もつかない。
ここ2年間、ヨーロッパを覆う暗く重い雰囲気は、すべてギリシャに原因があるとも言われている。
ギリシャのユーロに占める割合は たった2.5%でしかないのにも関わらず、だ。
こんな中、ギリシャでは ドイツへの反感が強まっている。
ドイツは 何もかも知ったうえで、我々に陰謀を仕掛けてきた。
というものだ。
例えば 論調はこんな具合だ。
ドイツの輸出産業の防衛関連の15%はギリシャに売りつけている。潜水艦などギリシャには全く必要のないものにも関わらずだ。
と批判を繰り返しているわけだ。
さらに、ギリシャへの構造改革とは、(これは多分に日本の竹中平蔵が推進している構造改革に似ているが)要するに、会社や役所が人の首を切るのを簡単にできるようにしと ということである。
(日本は派遣法という法律を作ることで、雇った人間を、会社の都合で いつでも、すぐに首にできるようにしたわけだ。)
しかしギリシャの場合、日本とは違い首になった人々が、次に仕事を見つける機会はなかった。失業率が50%にもなると、仕事を見つけることはほとんど不可能になってしまい、一生 働かない人間ができてしまう。つまり、首をすることが、長い目で見て、社会にとって利益を生むのかどうかという根本的な議論は、なおざりのまま、ドイツの大企業の論理・・・(これは世界的に流行している資本主義の論理でもある)によって、簡単に、解雇できるシステムを作ることが、企業にとって利益を上げ、国にとっては黒字に転換できる絶対唯一の方法だというやりかたを推進してしまったわけである。
ここで、無視されたのは、風土や文化といったものだったろう。
ドイツやスカンジナビア半島の冬は長く寒い。
暖かい地中海で生まれ育った人々に、そういう寒い国で生き延びてきた人間の価値観を押し付けることが、そもそも 強引で傲慢なやり方だったのではなかろうか。
アリとキリギリスの童話ではないが、冬が来て、食べ物がなくなっても、キリギリスは、死に絶えることはなく、アリの食卓が幸せであり続ける証拠もないのだ。