随分前に、私は第三次世界大戦が起こるのか?というタイトルで書いたことがある。
そして、いま、私は第三次世界大戦がはじまったと書く。
多くの人は、自覚がないかもしれない。
だが、アメリカが参戦し、ロシアが参戦し、フランス、オーストラリア イギリス、そのうえドイツまで参戦し、もしかすると日本までもが、何らかの形で参戦する状況は、第二次世界大戦以来、無かったことだ。
つまり、これを世界大戦と言わずして、なんと呼ぶのか?
ということである。
戦争は、”今のところ”理想主義者との闘いということになっている。
イスラム原理主義者は、大きく 理想主義者 英語では IDEOLOGIST と表現される。
この大きなくくりを発明した人は、天才なのか悪魔なのかは知らないが、理想主義者は、イスラムだけを指さない。
共産圏や社会主義を実現したいと考えている理想主義者もいれば、民族の独立を掲げる小国の理想主義者たちもいるだろう。
その、理想主義者たちが、一定の範囲を超えて、テロなどを行った場合、戦争をしてもかまわないという国際世論が出来上がったのか、できあがりつつあるのだ。
この国際世論はすぐに、常識へと格上げされ、やがて、多くの人々にとって必須の学ぶべき知識として講義さえされるようになる。
理想主義とは一見悪いことには見えない。
いや、むしろ、理想を掲げることは素晴らしいことなのではないか?
とさえ思える。
しかし、イスラム教でなければならない。
という理想を持ってこられると、やはり迷惑なのである。
その理想をもっているだけなら、まだしも、暴力的に相手を威嚇しだすと、戦争になる。
ただし、イスラム側からは別の声が聞こえる。
始めたのは アメリカだ。
というものだ。
私は、どちらの言い分が正しいのか、あるいはそうではないのかを、ジャッジする立場にはない。
その能力もない。
ただ、言えることは、いずれにせよ、勝ったほうが、歴史を書く権利を得るということだけだ。
勝つのは、本当の意味でなければならないから、それは最終兵器を使ってでも、勝たなければならない。
だから、今 私たちの立っている場所は、最終兵器の使用に向かってまっしぐらに進んでいるレールの上だと、思っている。
それが、正しいのか あるいはそうでないのかを ジャッジする立場にはないことをも、重ねて書いておく。
そして、いま、私は第三次世界大戦がはじまったと書く。
多くの人は、自覚がないかもしれない。
だが、アメリカが参戦し、ロシアが参戦し、フランス、オーストラリア イギリス、そのうえドイツまで参戦し、もしかすると日本までもが、何らかの形で参戦する状況は、第二次世界大戦以来、無かったことだ。
つまり、これを世界大戦と言わずして、なんと呼ぶのか?
ということである。
戦争は、”今のところ”理想主義者との闘いということになっている。
イスラム原理主義者は、大きく 理想主義者 英語では IDEOLOGIST と表現される。
この大きなくくりを発明した人は、天才なのか悪魔なのかは知らないが、理想主義者は、イスラムだけを指さない。
共産圏や社会主義を実現したいと考えている理想主義者もいれば、民族の独立を掲げる小国の理想主義者たちもいるだろう。
その、理想主義者たちが、一定の範囲を超えて、テロなどを行った場合、戦争をしてもかまわないという国際世論が出来上がったのか、できあがりつつあるのだ。
この国際世論はすぐに、常識へと格上げされ、やがて、多くの人々にとって必須の学ぶべき知識として講義さえされるようになる。
理想主義とは一見悪いことには見えない。
いや、むしろ、理想を掲げることは素晴らしいことなのではないか?
とさえ思える。
しかし、イスラム教でなければならない。
という理想を持ってこられると、やはり迷惑なのである。
その理想をもっているだけなら、まだしも、暴力的に相手を威嚇しだすと、戦争になる。
ただし、イスラム側からは別の声が聞こえる。
始めたのは アメリカだ。
というものだ。
私は、どちらの言い分が正しいのか、あるいはそうではないのかを、ジャッジする立場にはない。
その能力もない。
ただ、言えることは、いずれにせよ、勝ったほうが、歴史を書く権利を得るということだけだ。
勝つのは、本当の意味でなければならないから、それは最終兵器を使ってでも、勝たなければならない。
だから、今 私たちの立っている場所は、最終兵器の使用に向かってまっしぐらに進んでいるレールの上だと、思っている。
それが、正しいのか あるいはそうでないのかを ジャッジする立場にはないことをも、重ねて書いておく。