Sydney Yajima


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ビジネスの観点から 原子力発電所を見直すと、あとはもう ウルトラC作戦しかない。

2011-04-26 00:13:27 | Weblog
今回の事故で、補償額は東電だけでは賄いきれないという。
つまり、東電だけで賄いきれない分は、税金で ということになる。
そこで、財源確保のために、増税をすることになった。
増税は、今の流れで行くと まずは所得税率引き上げと法人税引き上げ、さらには消費税引き上げと、さらには各種手当て見直しという四重の増税を、始めることになるだろう。
それによって、すでに疲弊している日本経済は壊滅的な打撃を蒙ることになる。
すでに、国債発行額は、頂点を越えているので、担保が無い。
担保になるのは増税しかなく、それは国際競争力を削ぐことになる。
ただし、国内需要が復興景気によって増えることが見込まれるので、この点においては、雇用の確保ということは、ある程度カバーできるだろう。
したがって、復興事業には、利権が絡むので、多くの旧自民党型の建設ラッシュが起こるので、より多くのエネルギー政策も必要になる。
そうこうしているうちに、向こう数ヶ月以内に、中国のバブルが弾けてしっまうので(過去に中国バブルのはじける50の理由を書いているので、参照して欲しい)タイミングがうまくいけば、日本経済は復活するかもしれないし、世界第二位の地位をとりもどせることもありうると 私は思っている。(実質、世界第二位の中国の発表は、まず数値ありきの においがする)

さらに言えば、複合的にアメリカ ドルが オーヴァー マネー サプライの結末として当然、暴落をはじめ、そのために多くの国費をかけて防衛体制を強化しようとするだろうから、自衛隊への負担が増えることになるだろう。
自衛隊への負担は 国民のコンセンサスをある程度 今回の地震での活躍により、得られるので、此処への予算は増えることになり、今後日本も、新型兵器をふやすことになりそうだ。

ユーロは現在でも多くの矛盾を抱えており、すくなくとも、向こう5年間は衰退の道をたどるしかなく、スペインギリシャ、アイスランド、それにポルトガルに加え、他の主要国の負担が増え続ける可能性を考えると、世界を引っ張っていくことなど到底覚束ない。

したがって、増税の負の部分と、復興の正の部分の両方とを考えあわせて、さらに上に書いた複合的な要素を三次元的に加えると、かなり予測の難しい状態が浮かび上がってくる。
ただ、その予測は、私の目にはあまり芳しくない・・・もし、あることをすれば、しかし 180度この観測は変わる。
それは ウルトラCのような政策で、とてものこと、今の自民党にも 民主党にもそれだけのことを行う人物はいない。

まず、日本中の原子炉をすべて廃炉にしてしまう。
これが第一。
つぎに、すべての化石燃料もやめてしまう。
これが第二。

え?となるだろう。

ここまでくると、現実離れしているからだ。
だが、現実離れを起こすエネルギーがなければ、とうていこの国難は乗り切れない。

第三
日本中の家庭に太陽 風 発電を義務付ける。
アパートメント、工場には、地熱発電を義務付ける。
その金はすべて国から 無利子の借金で賄うことにする。
そして、そこで発電される電気代を借金の返済に充てる。

というウルトラCだ。
こうなると、今、買うべき株は、太陽電池、風力発電 地熱発電のみだ。
と こうなる。

もし これが成功すれば、日本は今後 一切 化石エネルギーを買わなくても良い。
また、一切 原子力発電もないので、ウランも 保有することもなく、また、事故もなくなる。

夢物語だとか、ファンタジーだとか言う人に、聞きたい
「あなたは、今 何世紀に生きていますか? 」



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1 コメント

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no will (noga)
2011-05-01 21:03:38
日本人には意思がない。
だから、意思決定ができない。
神の意思による災害は天災、人の意思によるものは人災。
意思という概念がなければ、天災と人災の区別も定かではない。
人の行動を納得できるものに改めることも容易ではない。

指導力は、指導者の社会意思の決定力である。
意思そのものがなければ、社会問題は指導者による解決を見ない。
「首相はオーケストラの指揮者だが、誰も指揮者を見ていない」ということは、一個人の意思に構成員が意識を集中できないことを意味している。
問題を解決する能力のない人たちが、事態を台無しにする力だけを持っている。だから、世の中は難しい。
問題を解決しようとしても、先送りと積み残しに終始する。なりゆき任せになる。
「そのうち、何とかなるだろう」ということか。

未来の内容が定かに考えられないと、起こる事態は想定外のことばかり。
目の前に事態が現われてからでは、その対策は後手後手に回る。
未来のことは、未来時制の構文の中で述べられる。
日本語には、時制がなく、未来時制もない。
だから、その計画も行き当たりばったりになる。

日本人は、拙速主義である。場当たり的なトントン葺きの家づくりが得意である。
大ブタさんのわらの家をつくる。災害に強い小ブタさんの煉瓦の家は作らない。
作る暇などないからである。
日本人は、過去と未来に挟まれたごく狭い時空の中にあくせくと住んでいる。
精神を集中すると、その刹那も永遠に見えてくるから不思議である。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812




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