今、トールキン・アンサンブルのAt Dawn in Rivendellを聴いてます。このアルバムについてはもうちょっと聴きこんだら改めて何か書こうと思うのですが、(すごい気に入ってます!)中でも一番気に入ったのが、クリストファー・リー氏が歌っているTreebeard's Songです。
この曲の元の詩は、メリーとピピンを木の鬚の家まで連れて行く間に、木の鬚が今は海の下に沈んでしまったべレリアンドの地を逍遥した時のことを思い出しながら歌った詩です。元々かなり好きな詩だったものですから、「おおーっ!」と思ってしまいました(笑)美しいパスで訥々と歌うクリストファー・リー氏の声がもう木の鬚にぴったりで。何よりも、途中で歌から台詞に変わるところが、メリピピに聞かせてやっているのか、一人で物思いに沈んでつぶやいているのかわからないような、原作の木の鬚の雰囲気にドンピシャで、なんだか聴いていて泣けて来てしまいました。私木の鬚好きなんだなあ、としみじみと思いました(笑)
しかし。ここでPJ映画の話になりますが、この私が大好きなシーン、どうもTTTのSEEでは「木の鬚の下手な詩をメリーとピピンが眠気を堪えながら聴く場面」として登場するらしいですね・・・(LotR Spoiler Newsさんのちょっと前の情報を元に類推(汗))まあ、事前に知ることができたのである程度は覚悟していますが、それでもDVD観たらテレビの前で暴れると思います(笑)しかもその「下手な詩」が原作どおりのあの詩だったりしたら、ホントちゃぶ台ひっくり返しものですよ・・・。
PJ映画のエントにも大分慣れて来たかな、と思っていたのですが、なんか原作イメージどおりの木の鬚を聴いてしまったら、ひさびさに「やっぱりあれは違う!」という思いが戻って来てしまいました(汗)
常々疑問だったのですが、PJは映画でエントを敢えてユーモラスにするためにああいう改変を加えたのか、それとも元々エントってあんなもんだと認識していたのか、と・・・。
クリストファー・リー氏朗読のエントの名簿の詩を聴いていたら、原作のエントの深遠さを残しながらユーモラスにすることも可能だったはずだよなあ、と考えてしまいました。となると、やはりPJのエントの認識って・・・?
まあ、もう撮影も済んでるし(汗)今更じたばたしても仕方ないのですが、なんだか悲しいなあ、と思う木の鬚ファンの私でした・・・
この曲の元の詩は、メリーとピピンを木の鬚の家まで連れて行く間に、木の鬚が今は海の下に沈んでしまったべレリアンドの地を逍遥した時のことを思い出しながら歌った詩です。元々かなり好きな詩だったものですから、「おおーっ!」と思ってしまいました(笑)美しいパスで訥々と歌うクリストファー・リー氏の声がもう木の鬚にぴったりで。何よりも、途中で歌から台詞に変わるところが、メリピピに聞かせてやっているのか、一人で物思いに沈んでつぶやいているのかわからないような、原作の木の鬚の雰囲気にドンピシャで、なんだか聴いていて泣けて来てしまいました。私木の鬚好きなんだなあ、としみじみと思いました(笑)
しかし。ここでPJ映画の話になりますが、この私が大好きなシーン、どうもTTTのSEEでは「木の鬚の下手な詩をメリーとピピンが眠気を堪えながら聴く場面」として登場するらしいですね・・・(LotR Spoiler Newsさんのちょっと前の情報を元に類推(汗))まあ、事前に知ることができたのである程度は覚悟していますが、それでもDVD観たらテレビの前で暴れると思います(笑)しかもその「下手な詩」が原作どおりのあの詩だったりしたら、ホントちゃぶ台ひっくり返しものですよ・・・。
PJ映画のエントにも大分慣れて来たかな、と思っていたのですが、なんか原作イメージどおりの木の鬚を聴いてしまったら、ひさびさに「やっぱりあれは違う!」という思いが戻って来てしまいました(汗)
常々疑問だったのですが、PJは映画でエントを敢えてユーモラスにするためにああいう改変を加えたのか、それとも元々エントってあんなもんだと認識していたのか、と・・・。
クリストファー・リー氏朗読のエントの名簿の詩を聴いていたら、原作のエントの深遠さを残しながらユーモラスにすることも可能だったはずだよなあ、と考えてしまいました。となると、やはりPJのエントの認識って・・・?
まあ、もう撮影も済んでるし(汗)今更じたばたしても仕方ないのですが、なんだか悲しいなあ、と思う木の鬚ファンの私でした・・・