ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

スターウォーズエピソード2 クローンの攻撃 ジュニアノベル

2005年11月24日 | 読書

ジュニアノベルもなかなか侮れない、という話を聞いて、買うのはなんなので図書館で借りてみました。
実際読んでみると、やはりジュニア向けということで、描写も少ないし、映画に出てこなかったシーンもあまりありませんでした。どちらか1冊しか読まないのなら、やはり普通の?ノベライズを読むべきでしょう。
最初のプロローグでエピソード1以降の状況を説明しているあたりは、まるで「週刊こどもニュース」を見ているかのように分かりやすくて良かったですが・・・(笑)
シーンや描写が少ない分、要点をついていて分かり易いという面もありました。
同じ台詞に対してちょっと角度の違う地の文での心理描写が書いてあるのはなかなか面白かったです。大人版とは違う人物の視点で描かれているシーンがあったのも面白かったですね。タスケン・レイダーのところに行く前のアナキンの心理描写があったり、処刑の場面はオピ=ワンの視点だったりとか。
大人版ではあっさりと映画と同じように描かれていたラストの結婚式の場面が、ちょっと印象的になってました。枯れ行くバラを背景に置いて、二人の結婚に不吉な雰囲気を持たせていてなかなか良かったと思いました。
あ、評判の悪い草原でラブラブ、のシーンや夕食のシーンがあっさりカットされていてなかなかすっきりしていて良かったかも(笑)
とても面白かったのが、パドメの「二人がお互いに何を感じていようと云々」、という台詞を聞いたアナキンが「それじゃあ君も何かを感じているんだ!」と反応したのに対して、パドメが心の中で「そこしか聞いてなかったんかい!」とツッこんでいたところでしたね(笑)いやもちろんこんな書き方ではなかったですが、意訳で(笑)
そうそう、ジュニアノベルで初めて、オビ=ワンがラストでアナキンにパドメを送って行かせた理由が分かって、へー、と思いました。アナキンが母の死で受けたショックを少しでも癒せれば、というオビ=ワンの思いやりだったんですね。
いやー、なんであんなことさせたんだろうとずっと謎だったんで・・・オビ=ワン優しいけど、甘すぎるような気も・・・いやオビ=ワンらしいのかな。
さて、EP3のジュニアノベルはまだ当分来そうにないのですが、「セスタスの偽り」読むかなあ・・・それともブリッジノベルはこのあたりでおしまいにしとこうかな。やや熱が冷めて来た今日この頃(汗)
コメント (1)
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原作読書:旅の仲間の解散~ホビット庄の掃蕩

2005年11月24日 | 指輪物語&トールキン
原作読書、ホビット庄の掃蕩の途中まで来ました。まだサルマン出てきませんが。なんとか年内には読み終われそうでホッ。明日多摩センターに行く途中で読み終われるかも。
前回の続きで、アイゼンガルドでの木の鬚ですが、メリピピとの別れは「二つの塔」での別れのままの方が良かったような気もしてしまいます。また会ってしまうとちょっと間延びするような・・・まあ物語の都合上は仕方ないのですが。
ガラドリエルが一緒に旅しているのもどうかと思ってはいるのですが、ガラドリエルが木の鬚に「ナン=タサリオンの柳の原で会えるかもしれませぬ」という言葉がとても好きです。
ガンダルフが木の鬚に「さっきからあんたは『~だった』とか『~しとった』とか言っておるが、本当のところはどうなんじゃ」とせっかちに問い詰めるあたりもとっても好きです(笑)せっかちで怒りっぽいガンダルフ大好き(笑)
サルマンの逃亡も、サルマンが巧みに木の鬚の優しい部分をついた、というあたり、サルマンの力を見せて名誉?を保っていると思うし、木の鬚の優しさも感じられて、なかなか上手いなあと思いますね。

そして、仲間たちの別れの場面。ここは映画ではやらなくて残念で、ラジオドラマでは色々とオマケをつけてくれて嬉しかったところです。
レゴラスとギムリがあっさり別れて行くのが、なんだか彼ららしくてとても好きなんです。少し切なくて。
ギムリの「ご機嫌よう、ホビットさんたち!」(英語だとFarewell my hobbitsなんですよね~)に続く台詞も大好きです、もちろん(笑)
そして、このギムリの明るいさばさばした台詞の中に、「でも全員が集まることは二度とあるまいなあ」という悲しい現実をさり気なく盛り込んでいるところが切ないです。ギムリも、まさかフロドやガンダルフとは二度と会えないなんて思っていなかったでしょうね・・・
アラゴルンとの別れの場面も、静かであっさりしていますが、切ないです。遠くから緑の石を掲げる姿が・・・ここは映像でちょっと見たかったなあ。初めて読んだ時は、これがフロドとは今生の別れだったのかと知って、とても悲しくなったものでした。

裂け谷でのビルボ、ラジオドラマはしっかりしすぎだし、映画はボケすぎだと思うんですが(汗)
フロドにつらぬき丸やミスリルの鎖帷子をまた与えてしまうあたりはちょっと切ないですね。
そして、フロドだけに静かに「あなたはここに戻ってくる必要はあるまい」と語るエルロンドもなんだか切なく感じました。

ブリー村は飛ばして(汗)ホビット庄に帰る途中のメリーの「なんだか少しずつ醒めて行く夢みたいだ」という台詞もいいですよね。やっぱりメリーは良いこと言うなあ、なんて(笑)
それに対するフロドの「私はもう一度眠りに落ちていくようだ」という答えがまた切ないですね・・・

ホビット庄に入ってからのメリーの冷静沈着な対応には惚れ惚れしてしまいます(笑)もちろんピピンもカッコイイですが、やっぱりメリーがね~(笑)
ここはぜひ映画のメリピピで見たかったです、やはり。
ただし、ひとつ間違うと、ラジオドラマのように、成長したホビットたちが大活躍で大団円、というような感じになってしまうと思うので、なかなか難しいのかもしれませんが。
でもカッコイイメリー見たかった・・・(笑)
ここでは、フロドが一人戦うことを是としないで、戦いに加わらないということが効いていると思うんですよね。これがなかったら、ありきたりな大団円に思えたことでしょう。
前にも書いたことがあるのですが、HoMEシリーズのThe History of the Lord of the Ringsによると、ホビット庄の掃蕩では、最初フロドの台詞だったものがかなりメリーの台詞に変わっていて、どんどんフロドの戦いにおける役割を減らして行ったのがわかるんですよね。
今、ちょうどThe History of the Lord of the Ringsを読んでらっしゃるふむ道、小道、数多くさんで最近出ていた初期のあらすじなどを読んでいると、完成版よりもかなり洗練されていないというか、意外とありきたりな展開だったりもしているなあ、なんて思いました。
トールキンは話を構築していく過程で、次第に物語を洗練した、他に類のないようなものにして行ったのですね、きっと。
あと、ロージーがサムに会った時に、「私は春からずっとあんたのことを待ってた」と言うのですが、この春(もちろん指輪が棄却された時でしょうね)に「サムが帰ってくる」と予感したという話、幻のエピローグに出てくるんですよね。
ロージーが突然心の希望を感じて歌いだし、母親に「ならず者たちに聞かれたら大変だよ」と注意すると、「かまうもんですか。もうすぐ私のサムが帰ってくるんだもの」と言ったというちょっと素敵なエピソードがあるのですが、エピローグはボツになったけれど、こんなところにその設定が残っていたんだなあと今更気がついて、ちょっと感動してました。
コメント (2)
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