ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

さらば小鈴アンジョ(涙)

2005年12月03日 | ミュージカル・演劇
昨日「マリー・アントワネット」の話を書いてしまったので話が前後しますが、4月のレミゼのキャストと日程が発表になってましたね。
田中利花さんのテナルディエ夫人がようやく見られて嬉しいのですが・・・なんと、小鈴さんがアンジョルラスやらないではないですか~!
アンサンブルを見たら、コンブフェールはやるみたいですが・・・なんで~!?
小鈴さんのアンジョルラス、なんだかコンブフェールがアンジョルラスに昇格したような感じで(笑)すごく好きだったので、また見たいと思って、よっぽど大阪に行こうかと思ってたのですが、まあ東京でまた見られるだろうと思ってやめておいたのですが・・・
こうなったら大阪行くか、と思って日程調べたら、どうにもこうにも行けない日ばかりでした(汗)ああ、もう小鈴アンジョには会えない運命だったのか・・・(涙)
まあ、またいつかやってくれることを願いつつ・・・うーん年齢的に難しいかしら・・・
あー、やっぱり東京でもう一度見とけば良かったよ、小鈴アンジョ(涙)
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旅の仲間以外の最後の台詞 原作編

2005年12月03日 | 指輪物語&トールキン
さて、今日は「王の帰還上」も準備して(笑)旅の仲間以外の主要な登場人物たちの原作での最後の台詞をピックアップしてみようと思います。
また最後から辿っていくと、ビルボが最初(いや最後か(汗))になります。
「ところでわたしは今日トゥック翁を追い越したよ! そこでこれはけりがついたと。それで今はもういつでもまた旅に出かけられるつもりだよ。お前も来るかね?」
この台詞の前には馬上で居眠りしていたりして、老いた様子がかわいくも悲しいビルボですが、明るい言葉に、ピルボは自分で書いた物語の終わり通り、ハッピーエンドで生涯を終えるのだろうなあと思わされる台詞です。
悲しいトーンの灰色港の章の中で、このビルボの存在にはふっと心を和まされるようにも思います。
ただ、この台詞でフロドも行ってしまうことが明らかになる、という衝撃度で、やや「ビルボの最後の台詞」としての印象が薄れているようにも思うのですが(汗)
その前はガラドリエルです。
「わらわはそなたがわらわの贈り物を上手に用いられたことを聞いていますし、見ることもできます。ホビット庄はこれから以前にも増して恵まれた愛される地になりましょう」
奥方らしい予言の言葉ですね。これで最後、と思うとちょっと物足りない?ような気もしてしまいますが、最後がサムに対する優しい言葉なのもいいかなあと。
その前はサルマンになるのですが・・・
「お前はシャーキーのいいつけどおりにするんだ。いつだってな、蛇よ、そうだろうが? さてと、次のシャーキーのいいつけはこうだ、『ついて来い!』」
この前にフロドに対してイスタリらしい深い言葉を投げかけるのですが、最後はこれかあ。もう完全に堕ちてしまった、という感じですね・・・
その前のグリマの最後の台詞もちょっと悲しい。
「あんたがいいつけたんだ。あんたがさせたんだ」
原作のグリマの扱いはかなり冷たいですよね(汗)
そう言えば、映画のグリマを見るまでは、「蛇の舌」と呼んでました、私。映画を見てからですね、ちゃんと名前で「グリマ」と呼ぶようになったのは・・・
グリマに関してだけは、映画の方が人間的で良かったと思います。でもだからと言って映画の最後の台詞が良いわけではないんですが(汗)
その前はエルロンドになります。エルロンドは灰色港では台詞言ってないんですよね。
「フロドよ、おそらくあなたはここに戻って来る必要はあるまい。時間を置かないですぐにやって来るのなら別だか。木々の葉が落葉前に金色に色づくちょうど今頃、ホビット庄の森にビルボを探すがよい。わたしもビルボと一緒にいるだろう」
エルフの長老らしい予見の力を見せる深い言葉なのがいいですね。そして、ビルボへの優しさも見られて。
そう言えば映画のエルロンドはビルボとはほとんど接触ないんですよね。だから灰色港でビルボに見せた優しさがすごく嬉しく感じるのかな。灰色港はあそこから泣けることも多いです(笑)
その前は木の鬚です。
「それから、もしお前さんたちの国でエント女の消息を聞くようなことがあったら、わしに便りをよこすことを忘れんでおくれ」
木の鬚のメリピピとの別れは、前にも書きましたが「二つの塔」での別れの繰り返しになってしまっているので、やや感動も薄れるのですが、でもやはり最後はメリピピに向けた言葉で終わっているのが嬉しいですね。エント女を待ち続けているエントの悲しさも表していて。
その前はエオウィン。メリーに角笛を渡す時の言葉ですね。
「これはドワーフの手になるもので、大竜スカサのためこんだ宝物の中から出てきたものです。青年王エオルはこれを北方から持って来ました。危急の時にこれを吹く者は、敵の心に恐怖を抱かせ、見方の心に喜びをもたらします。そして、味方はこれを聞いて救援に駆けつけるのです」
角笛の説明が最後の言葉か、と思うとうーむ、ですが(汗)でも勇敢な、そして王家の姫であるエオウィンらしい台詞でもあるかな、とは思います。メリーに向けた言葉なのも嬉しいですし。
その前はエオメル。やはりメリーに向けた言葉です。ちょっと長いけどいい台詞なので全文を(笑)
「昔の王たちであれば、ムンドブルグの野でのあなたの功に対し、荷馬車一台に積みきれぬほどの贈り物を差し上げるところなのだろうが、あなたは与えられた武具のほかには何も受け取らないといわれるし、わたしとしてはその気持ちに従うほかない。事実あなたに贈るにふさわしいだけのものをわたしは持ち合わせていないのだから。しかし妹がこの小さな贈り物を、でルンホルムとそしてあの朝、朝日が射すとともに吹き鳴らされたマークの角笛を記念して、ぜひ受け取っていただきたいと申しておる」
エオメルの最後の言葉としてはどうなんだろうというのはありますが、メリーに対する敬意と親愛を示す言葉として嬉しい台詞ではあります。原作のエオメルの誠実さもよく出ていると思いますし。
その前はアルウェンです。フロドに白い宝石のペンダントを渡す時の台詞ですね。
「恐怖と闇の記憶があなたを悩ます時、それが支えをもたらしてくれましょう」
映画を見慣れてしまうと、「アルウェンも力のあるエルフなんだなあ」なんてしみじみ思ってしまいますが(汗)
原作のアルウェンが出番が少ないのに結構人気がある(と思うんですけど、違う?)のは、その美しさとかアラゴルンとのエピソードよりも、このフロドに対するエピソードのせいではないかと思うのは私だけでしょうか。
その前はファラミアになります。なんと、戴冠式以降台詞ないんですね~。それも最後の台詞はただ一言です。
「見よ、王を!」
まあ、執政らしくてカッコイイですが。映画の戴冠式でももうちょっと活躍して欲しかったですねえ・・・(汗)
その前は、ゴクリです。ここからは、お亡くなりになった人たちの今際の際の言葉、ということになりますが・・・。ゴクリの最後の台詞は有名ですね。
「いとしいしとおお」
原作では泣き叫びながら落ちて行ったんですね。映画で、溶岩に埋もれるところまで映していたのが嫌だったんですが、落ちていくときに幸せそうだったのは良かったかもしれません。
その前はデネソールになります。これは今際の際の言葉というのはちょっと違うかもしれませんが・・・火をつけるのをためらっている侍僕たちに言う言葉です。
「さあ来い、お前たちの全部が全部卑怯者でなければな!」
結局誰も従わず、デネソールは松明をひったくって自分で火をつけてしまうのですが。
デネソールも最後の言葉がこれというのは、サルマン同様淋しいような気がします。この二人やグリマにしても、結局最後には救われなかった、ということが最後の台詞にも反映されているような気もします。ゴクリもそうかな。
対象的に、ボロミア同様静かに最後の言葉を言うのがセオデンです。
「万歳! マークの王よ! 今ぞ勝利に向かって駆けよ! エオウィンにさようならをいってくれ!」
エオメルに王位を自ら譲ってかけた言葉ですね。エオウィンが側にいたことを知らずに死んでしまうのが悲しい原作のセオデンです。
映画でセオデンに最後にエオウィンに会わせてやりたかった気持ちはわからないでもないですが・・・でも映画でセオデンの最後で泣いたことが一度もない私(汗)原作では一番最初に泣いたシーンだったんですけどねえ。

他にも登場人物はたくさんいますが、とりあえずこのくらいにさせていただきます(汗)
こうして見ていると、戴冠式以降の終盤は、皆ホビットたちに向けた言葉になっているのが印象的かな。(サルマンとグリマは除く)やはりホビットたちが主人公だったんだなあと思ったりして。
この他の人物で一人だけとても好きな「最後の台詞」を言っている人がいるので、それだけ書いてみます。ガン=ブリ=ガンがセオデンたちの前から去る直前に、はっとして言う言葉です。
「風の向き変わった!」
この言葉とともに、風のように消える去り際がカッコイイんですよねえ。

またすっかり長くなりましたが(汗)次は映画編もやろうかなと思ってます。
コメント (2)
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