紫紬の細い帯
ばあさまの形見の糸
大きな玉繭を煮て糸にとり
染め上げつむいでとんからり
七人の子を育てながらとんからり
逢ったことのないばあさまを
一本の細帯に偲ぶとき
秋は昔を語り出す
長火鉢の熾
長いキセルで吸う煙草
頭のてっぺんそり上げて
二百三高地の髪型に
たすきを掛けて山の家
蔵の二階でとんからり
機織りしていたその時代
時はしずかに流れ沢山の人が
長い歳月かけて育った家にもう誰も居ない
棲む人の居なくなった思い出の家に
秋は今年もやって来る
秋海棠がこぼれ咲き
柿の実が枝に残り紅く光る秋
単衣の着物が終わると
温い紬の季節が来る
もう誰も居ない家静かな蔵
ちいさな歴史は星になる
ばあさまの形見の糸
大きな玉繭を煮て糸にとり
染め上げつむいでとんからり
七人の子を育てながらとんからり
逢ったことのないばあさまを
一本の細帯に偲ぶとき
秋は昔を語り出す
長火鉢の熾
長いキセルで吸う煙草
頭のてっぺんそり上げて
二百三高地の髪型に
たすきを掛けて山の家
蔵の二階でとんからり
機織りしていたその時代
時はしずかに流れ沢山の人が
長い歳月かけて育った家にもう誰も居ない
棲む人の居なくなった思い出の家に
秋は今年もやって来る
秋海棠がこぼれ咲き
柿の実が枝に残り紅く光る秋
単衣の着物が終わると
温い紬の季節が来る
もう誰も居ない家静かな蔵
ちいさな歴史は星になる
私が生まれた家は大きな商売をしておりましたが農地解放が元で父が倒れ母一人で子供達を育てました。
かなり厳しい生活だったに違いありませんが私が物心ついた時には兄や姉もそれぞれ働く様になりましたので
苦しい生活の中にもホッと暖かい灯が灯る様になりました。
今でもカメラを向けると、いそいそと部屋に入り着物を着換えて出てきた母の姿が思い出されますが
カメラを向けた兄が「普段着の母さんが撮りたいんだよ」とその都度、言っていた言葉も思い出されます。
はなさんのお蔭で久し振りにアルバムを開いてみたくなりました。
素敵なお話(詩)をありがとう。
変わらぬものは何もなくても、ちょっと残念な着物、日本の気候にベストマッチなのですが、高価になり過ぎてー。
日本は、優秀な生糸を輸出する時代があったのです。
農地改革、そして、いま農地の荒廃、半世紀で世は変化し続け、今もどこかで物語が生まれたり消えたりー。
お母様のご苦労、偲ばれます、誰も思い出を大切に抱いて生きている、と胸一杯になります。
たかさん、コメントありがとうございました。
こんにちわ。
人はいつも思い出を胸に毎日を過ごしていくのですね。忘れているようでいて、いつも川の底の流れのように心の奥に流れている。そんな思いがこの詩で浮き上がってきました。懐かしいような哀しいような秋です。
昔はお蚕さんをやっており、
私が小さい頃、遊びに行くと
お蚕さんが桑の葉を食べているあの光景
が大好きで、ずっと見ていた記憶があります。
いまでも時々、あの幻想的な
何とも言えない光景を思い出します。
昔は上質な絹糸が取れていたのでしょうね。
あの頃はまだお正月に皆が集まると、
母や親せきのおば様方が着物を着ていて
場が華やぎ、子供心にドキドキしたものです。
懐かしい思い出です。
とおっしゃったのを良いな、と思いました。
現在を大切にするための懐古、ですね。
でもうら若い頭脳に刻印されたものは多くて、とくに秋は甦ってきます。
紫苑さん、コメント有り難うございます。
お蚕さんが桑を食むと、雨が降っているかのような音、小さくシャーシャーシャー。
幼い日の思い出は、ある日ふと甦り大家族のころが懐かしくなりますね。
麻乃さんが馬のあーちゃんたちとご縁があるのは、上州の血もあるのでしょうか、きっとそうですね。
むかし甲州でも黒い甲斐駒が、聖徳太子様への献上馬になったりしたのでしたよ。