最後の舞台の幕が上がった。
The curtain of final stage has risen.
これで最終完結になる。
This stage will be a closing.
観客は多くないが
彼らから期待の波が押し寄せてくる。
There are not many audiences but
-the expectation of wave from them coming to rush.
私が一人立っている舞台には照明が観客に向けられている。
At the stage where I stand alone the spotlights are turning toward to audience.
観ている人が主役であるのだ。
Watching one is the leading role.
私が持っている台本には粗筋は書いてあるが、
セリフは書かれていない。
On the script that I have it is noted outlines only
-but dialogues are not written in it.
見せるべき事柄が書いているだけだ。
Just written things that should show.
可能性を見せる
Show possibility
克服を見せる
Show overcoming
縁を見せる
Show bonds with someone
努力を見せる
Show efforts
正直を見せる
Show honesty
心の自由を見せる
Show free mind
心の声を見せる
Show mental voice
変化を見せる
Show change
不変を見せる
Show unchangeable
命を見せる
Show life
それらには見せ終わったこともあれば
Some of them have finished to show and
未だに見せていることもある。
-they have been showing until this day.
最後の命を見せ終わる瞬間がくれば
When the moment comes to show life at last,
この舞台も消え
The stage will be gone.
観客に向けられた照明も消え
The spotlight towards to audience also will be gone.
舞台があったとの事実も消え
The fact that there was a stage also will be gone.
命があったことも消え
The thing that there was life also will be gone.
見えて見せていた事実も消え
The facts that show and seen also will be gone.
消えたことさえ消えていくだろう。
Even be gone will be gone.
だが、今は
But at now,
お互いが見えていることで
-as we can see each other
時空間に存在として共存している。
-can coexist as an exist in this time-space.
私の用語集に出る頻度が極端に少なくて
肌に触れる感覚が薄い概念ですが、
(Tによって持ち出されたため)
もはやスルーさせることも困難になってきましたね。
これからその用語について
私も調べますが、
どのような意図で使っているかTからの解説も要りますね。
私は肌に触れる感覚の持たない概念については
論じることや意見も言えないので
まずはその用語を知ってから取り掛かります。
この頃は、年末年始騒ぎで
インテリアの総仕上げや体調の整えなどで
申し訳なかったのでしたが、
パラダイムシフトについては疑問のままに置きパなしでした。
その本質は、
『我こそ正義の女獅子なるぞ!!』を他者に見せる・・・・
自らの気高さを人に見せる・・・・
これこそが、「自分に正直に生きる」の源泉で、
Kさんが生まれて来て以来の環境を、
生き抜き勝ち取る為の方程式だった。
mmm、たしかに悪くない。
此れも一つの人生の在り様だ!!
だがパラダイムシフトにおいては、
もはやそのような価値観は不要になる。
グランビーがそれを可能にしてくれる・・・
全体性への回帰が起きる!!
Kさんの『自分自身に正直でありたい』という言葉は
以前の記事のコメでもKさんは表現しており、
その時、無印良心山が『正直でいる事が出来ないこの世が悪いのだ』的なコメを残して行ったことがありましたね。
Tはその時は反応しなかったけど、Tの心中では、
Kさんは何故そのことにそんなに強く固執するのかなァ~??と心をよぎったものでしたね。
なぜってT自身はそんな風に思った事は一度も無かったでしたから・・・
今回の論議出発点は、
Kさんがはからずも、無意識的に、ポロっと言ってしまった
『私は人間が言えないような究極の本音を言う。
通じない人とは関係を壊したい』・・・という言葉が、
あたかもKさんの本質を示すが如きのサウンドバイトとして独り歩きした例ですね。
Kさんはそうする理由として、
『自分自身に正直でありたいから』だ…という事を自分の最高の価値観に上げていた訳です。
いっぽうT的に言えば、この世の中で生きて行く為には、じっと我慢をしなければいけない事も山ほどあり、
お互いに妥協しなければこの世はやって行け無いと思っており、
かならずしも『自分に正直に』だけでは生きて行けない事が多々あるものだ。
そしてそれこそが円熟した大人の証拠でもある・・・
と言う価値観をTは持っており、
それは『自分に正直であること』より、より完成度の高い価値観だと見做している訳で、
両者の見解の相違から来る意見のぶつかり合いですね。
Kさん的な思考からは、
自己犠牲的な価値観なんて生まれない感じがするし、Kさん自身が言った『(相手の)全てを受容する』とか、『無条件の条件』とかは生まれて来ないみたいに見えるしね。
でも実際のKさんは
自分自身で言ったサウンドバイトからは程遠い現実路線を歩んでいるようなので、
Tとしても言いがかりの方向性を失っちゃった感じですかね・・・・
まあ今回Tの言いたかったポイントは、『自分こそが正しい正義の人間だ』みたいな思い込みはハナハダ危険だ!!という事だった訳でしたが・・・
私がどう感じているとか、相手の言動をどう思っているとかを損得勘定無しで話すということです。
人が客観的な意見を必要とするときのみ話していますが、
エリックや身内にに言う本音は
私の正直さで関係が明らかになるケースに限って言っていますね。
嘘を言えばことが円く収まる時に
本音をいうことで関係が危機に直面されたりしますが、
蓋を開けることで
中で腐ることはなくなり
最悪な結果を防ぐために言ったりすることです。
ただ天真爛漫な愚かさで言うのではないです。
私の本音を経験してみないと
分からないですからね。
Tには本音度40%くらいですかね。
エリックには55%
私の姉には60%
普通の人には10%
私自身には100%
昨夜はNYのタイムスクウェアのカウントダウンを観てました。
来年はNYに行こうと言っておきましたが、
考え直すと、毎日零下20℃を下っているので
行っても苦労するだけなのかなと思って取り下げました。
私は新年あけましておめでとうございますというのが
好きでなくて、ブログも二日間開けなかったのでしたが、
一応、自己申告底子(弟子)なので
形式的に
明けましておめでとうございますと申し上げます。
うちは特別なことはしないで
家の掃除や整理整頓して3日連休を過ごしました。
毎日、買い物に出かけて
今日はモールのMacy'sで皿のセットを買いました。
日本のように正月騒ぎが無いから
私は静かでいいなと思っています。
今年もご指導よろしくお願いいたします。
さらなる精進ができるよう努力していきます。
Kさんの強気発言の勢いに押されて、
又は強い指導力を持った塾長の権威を認めて、
格下の人は建前上はKさんの言葉を受け入れる。
これは通常の社会現象ですね。
今は何の権威・実力を、いっさい持てないアメリカ釈迦囲では、Kさんの究極の本音が通用するかどうか甚だ疑わしい(=ご用心下さい)という事ですかね・・・
どだい究極の本音って、
自分的には自我の肥大現象の表明で、
相手的には究極の暴言をうける事に等しいから、
もともと弱者が言える言葉ではないでしょう。
例えれば、
会社の社長・専務・部長が、偉そうな暴言を部下に言っても、みんな平つくばって、聞き入れた居たけど、
退職して、市井の一員と成なったのに、
同じえばり腐った態度を、
家庭や市民社会に持ち込むダメオヤジとおんなじで、
みんなからは毛嫌いされ、仲間に入れて貰えず、
奥さんからも熟年離婚を申し渡される・・・
そんなあわれな孤独な勘違いジジイ・・・
と同じ臭いが漂っている??・・・なんてね!!
〇・・・こちとらスッカリ~~
そ~だよねェ~・・・
なにせKさんが
『私は人間が言えないような究極の本音を相手にぶつけて、通じないような相手とは関係を壊したい』なんて大袈裟に言うから、
こととらスッカリびっくり超えちゃったって事だったけどね・・・
わざわざ相手に喧嘩ふっかけて、勝ちをおさめて快感に酔うんだろ~か??なんて要らぬ心配をしちゃったよね。
まあ兎に角、いくら自分の意見が正しいと思ってもそれは単に自分の見方に過ぎなくて、
必ず別の視点と言う物がある訳だし、別の言い分が成立する訳だから、
じぶんの考えだけが絶対的に正しいなんて事はあり得ない訳だし・・・
だから、あえて喧嘩を吹っ掛ける必要なんてサラサラ無い・・・
まあT的にはそう言いたかったって事かな・・・
Tとほぼ同じ年齢の方ですが、マラソンを始めて
毎日10㎞を走っていると言ってましたね。
その先生が引退なさった頃はポチャリした体形でしたが、
マラソンを始めてから見る見るうちに筋肉質になって
毎年若くなっていました。
その先生は引退してからも
塾に寄って私と世間話をしたりしてましたけど
その先生から年齢に対する弱音をはいたことは一度も無かったです。
私も何かができなくなったことに
年のせいにしないようにしてますが、
歯が染みたり、単語が出てこなくなったりすると年齢を感じますね。
言語力に因んで言うと
Tの語彙力は若い世代よりはるかに機敏で
Tの言っていることに老いを感じたことは今まで一度も無かったです。
この前、日本滞在の時、前夫は運動を全くしないから仕事を辞めてから、筋肉が全く衰弱してしまってましたね。
少しの苦痛があるでしょうけれど、
人間死ぬ時は
病で苦しんでも健康ではきはきしていても
死は平等なので、運動した筋肉痛で苦しみながら死んだほうがマシかもです。
私が言ったことを他人がどう思うかを勘定しないことです。
人の気持ちを最大限、傷つけないようにしてますが、
損得勘定に基づいて話をしたりはしないことです。
人は本音やタテマエを言うとき
自分の言ったことが自分にどう返ってくるか予想しながらいうケースが多いのですが
(ブーメラン効果)
私が本音を言うときは
言ったことによって
私自身に大きな被害がくることを分かっていて
それでも正直になることを選ぶことなのです。
ですが、
私の正直な本音が人の気持ちを害する恐れがある場合は
それは言わないようにしています。
本音はあくまでも私個人にブーメランで返ってくる場合のみ限定して言ったりしますね。
ですが、私の身内や私を理解できる人には
その本根に不愉快になる要素を取り除き
私に害を向けて言ったりします。
ですが、時にはそれが下手で
人の気持ちを害してしまうこともあって
思ったとおりにことは運ばれない不甲斐なさがありますね。
私に本音を言われた人は
タテマエかもしれませんが、
結構いいアドバイスになったと言ってはいますね。
塾をやってた時
15年も生徒の親から安心して任せると言われてきたので
まあ、勘違いはないとは思いますね。
老いたことを認めることは
本当の心の在り方だと思います。
年を取ると
注意力が衰えるようですね。
アルツハイマー型認知症になる人は
DNAのDGTのリンクが間違えられて組み合わせているためだと研究した事例があるようなので、
遺伝子の問題のようです。
ただの注意力が衰えることによる虚弱性は
日々の練習によって
克服できると思いますね。
コメントの真っ最中に起こるので
書いたコメが飛んでしまったり、
突然、他のサイトに強制的にリンクされたり
設定を見直してますけど、
全てのパスワードをやり直し、
全てのサイトにログアウトし直す必要がありそうです。
今朝も出かける前に忙しくなることを残そうと思ったら
何回もコメントが消えてしまったのでできなかったです。
これからコメントを確認しますね。
修理屋で4時間くらいみてもらって
彼らは何も問題を発見できなかったのでしたが、
今朝、ついにエリックのカンが当たり
フラットになったので
日曜明いている修理屋に行って
そこで5時間くらい、結局また明日も行くはめに、
なので、今はコメントを確認せず、取り急ぎパソコン開けなかった訳を投稿しておきますね。
激せず 躁(さわ)がず 競(きそ)わず 随わず
以(も)って 大事を為すべし』
彼(池谷さん)は「海馬」研究者で、
彼曰く、
シータ波は海馬から出ており、シータ波が出てるときは物凄く記憶力が高まっている時なんだと言う。
シータ波を出す為には(=海馬を効率よく働かせる為には)
①.物事に興味を持つ(=前向きな好奇心)
②.歩く(=歩行、場所の移動)
・・・と彼は言っていたが、
深い瞑想(坐禅)ではシータ波が出る訳だから、
その時は海馬が活発に働いているということになるね、ふ~~むフムフム!!
追:かって放電現象さんのブログでは海馬を悪魔の如く嫌悪しておったが、その理由が理解出来なかったものだった・・・たしかKさんも英語ウィキで調べてる筈だよね。Kさんの見解はど~なの??
脳は都合よく思い込む(=錯覚する)・・・
でもそれこそが
『人は幸せになる様に出来ている』って事にもなるね。
人間機械論設計思想だね!!
参考資料(ユーチューブ)
https://www.youtube.com/watch?v=eTeowKY6eWU
片道1時間。
つい前まで片道50分弱で行けてたから10分ぶん老化した訳だ…あ~あ、究極の本音を感じるなァ~。
しかし幅広の運動靴のなかで足指を思いっきり広げて、大地をしっかり踏みしめて歩いている自分に、
生きている実感を感じて、心が満たされ、生き生きとした究極の本音に感慨を感じた・・・
が、ある場所で微かな段差に躓きそうになって,
オットット、あぶねえあぶねえ!!
年寄は斯く躓いて、寝たっきり老人になっちゃうんだよな~、全くやんなっちゃうぜ!!とばかり、
究極の本音、段差篇が起きた。
で、歩道の段差に気を付けて歩いていた訳だが・・・じじゃじゃじゃ~~ん!!
今度は、車道脇の歩道部に植えられている木の横枝に頭をぶつけて、ごつ~~~ん!!と大きな音がした。あたまがクラクラッと来た!!
ああ!!究極の本音、あたまごつ~~ん篇だ。
さらに家に到着近くで、左足親指付け根が痛み出し、いて~いて~!!究極の本音第五弾、足痛篇が出た。
今日は5種類の究極の本音が出現した訳だ・・・
わずか2時間の内に・・・
人は風邪を引いただけでも世界観が変わる。
雪に閉じ込められれば、別の世界観になる。
究極の本音なんちゃら言っても、
一刻ごとに変わる訳だ。すべて諸行無常なのだ。
「究極の本音」とかで相手を裁いてもしょうがね~じゃん。
中身が空虚で幻想で独りよがりで、単に自分の一方的な思い込みに過ぎない訳だ・・・一時間もすれば自分自身内でも、すっかり変わっている筈だ!!
おわり。
Kさん自身も説教疲れが出て来て、もう他者批判は止める(つもり??)という方向に成ったので・・・
Tもその方向に準じるつもりだけど、まあ今年最後(今後無し??)という見込みで、一席ぶたせていただくと・・・
人は変わるモノであり、考え方も色々、変わっていくのだから・・・
Kさん曰くの(@12-27,05:09:57コメ)
『私は人間が口に出来ないような究極の本音を言います・・・それが通じない相手との関係は自分から壊したいです…』というKコメントには問題が生じているよね。
どういう事かといえば、
その究極の本音って、一体何のこと??
普遍的真理を自分は述べているのだという自負心(=慢心)??
多分、そういう言葉を発する時は、
憤怒系発想(=個人的偏見&他者への批判)からつい飛び出してきてしまう筈だけど、
それと、Kさんが前記事コメで自己評価した『すべてに寛容な人に見える筈』だとか、
五か月前の記事『無条件の条件』が言ってる事とは
論理の整合性が成り立たない気がTにはするんだよね。
さて、Kさんにグランビーでの(思考の)パラダイムシフトがどう起きるか??、
Tは興味深々の観客という処かな・・・
まあ説教じみたコメはそこそこにしないと、
『うぜェ~野郎だぜェ~!!」って言われそうだけど・・・
彼は『行動経済学』の提唱者で、行動経済学とは、
経済や金融を、心理学的な視点から研究する学問なんだそうだよね・・・・
ちょうど、『心理学からみた坐禅の研究』みたいにね・・・
で行動経済学理論によれば、
「住む場所が、住む人の収入を決める」という理論になるそうだよね(言われてみればソ~かも)。
此れは同時に、
住む場所(環境)が、人の行動様式・思考様式(=心理学系)を変えていくという事でもあり、
脳科学で言う、環境が人を変えるという理論と一致するよね。
更には、疲れている脳は、
ゆっくりとした森林生活を3日すれば、
問題解決能力や創造力を50%アップさせる・・・そうだから、
グランド美ィ(=Granby)生活に入ったKさんは、思考方式もすんなり変化するパラダイムシフトが起きやすい状況に成って来たと言えるよね…
(めでたしめでたし・・・)。
ばかは教えても分からない。
秀才は教えて教えてないことも分かる。
天才は教えることを教える。
Tの解析力は日本刀みたいに切れがいいですね。
斬る時は
出血が出ないように
バッサリ斬り倒す!
けれ目が綺麗です。
文句言いようがない!
説教する時も徹底する!!
とにかく、何でも行くところまでいけるべしです。
了解いたしました!
どうも『最終幕のスクリプト』ってKさんにシックリこないなァ~とか思っていたんだけど・・・、
『再生へのスクリプト!!』がいいんじゃない??
(他人に、)『自分の~~を見せる』も悪くないね(=自己宣伝戦、アピール誇示)。
今回、『~~見せる』と書かれた内容物は、いずれも自分自身に向けられた自制心・克己心のカテゴリーだから、
他者に対するコントロール魔の災いでは無くて、
自己に対するコントロールの保持の分野という事だね。
アメリカ社会の観客もそれを見て、Kさんを許容して呉れる可能性が高いしね…
しかしそれならなおさら、「無法」だ「心法」だと言って、アメリカ法(文法も含む)を無視した言動をとれば、あっさりアメリカ社会から排除されてしまうから用心しないとね。
来年からの目標は、自分の自制心・克己心を発揮して、
他者(アメリカ人)の心を傷付けない様にする。
それと同時に、
アメリカ社会で通用する実力人間に成る為に、しっかり新たに勉強しなおして、
本当の自分の実力をアメリカ社会に見せられるようにする・・・
という事になるのかな??
まだたかだか51才!!・・・人生はこれからだ!!
(観客はそれを見たい訳ですね・・・)。
これはこれでいいよね!!
人生劇場の舞台俳優としては
観客に見せないとさまにならないからね、たぶん・・・
でも、自我の終焉と全体性への回帰においては、
すべてのコントロールを放棄する。
見せる事も放棄する・・・
自若泰然で、唯我独尊で・・・
自分の可能性を生きる
克服を生きる
縁を生きる
努力を生きる
正直を生きる
心の自由を生きる
心の声を生きる
変化を生きる
不変を生きる
命を生きる・・・
宇宙と言う人生劇場で、
私は只一人自分を演じる。
人間としてすべき事をするのみだ
・・・たとえ見る人がいなくても・・・
他人に見せる必要はサラサラ無いのだから・・・
今年中の記事投稿はこれでお終いになるのか...
今年やり遂げたことを延々と書き述べることもできたが、
もうそんなことには興味が無くなった。
事実を特定していくのも飽きてきた。
今回の記事で共感を持てる者は
きっと私と類似した人生の歩み方をしているだろう。