悟りは坐禅の究極のゴールなのか。
Is enlightenment(nirvana)
the ultimate goal of Zazen-meditation?
私は坐禅を研究することを出発点として定めているのだが、
未だに最終目的地を決めていない。
I have been pursuing to study Zazen-meditation
since I started to be doing it
but I have not yet set the final destination to go.
出発点はいずれ終点に辿る。
The start point will eventually reach the final point.
坐禅の終点、終着駅は悟りなのか、
そうであってもそうでなくても、
悟り自体に私は欲望が無い。
Whether the terminal destination of Zazen-meditation is
to have enlightenment or not,
I don’t have the desire to have it.
なぜなら、悟りを得るために坐禅をしないからだ。
Because getting the enlightenment is
not what I am targeting on it.
他人が究極の悟りの境地に達したと仮定した場合、
それはその人にとって事実・真実であっても、
私には架空になる。
Hypothetically if someone has reached
the ultimate ground of enlightenment,
even though it is truth and true to the very person,
but it will be fictitious to me.
他人がその人の身体の中で体得する体感を
私が真似ることはできない。
I cannot imitate the sense that
someone has experienced the sensation in his/her body.
悟りは、その人が持つ身体感覚が
全て覚醒仕切った状態だと言うならば、
その感覚は人によって異なるはずだ。
If we say that enlightenment is a state
in which all the physical sensations are completely awakened,
then the sensing should be various for each person.
違ってしまっている色を
同じ色に塗り替えることはできない。
It is not possible to repaint to be the same color
were having different colors already.
私が住んでいる地域はやっと春になった。
Finally, spring has come to my residence too.
庭の木々から新芽が出始めて、
花が咲き始めている。
Tree sprouts are beginning to emerge,
and flowers also blossom in my garden.
先週から春の花を携帯で撮っているのだが、
カメラのレンズをズームアップして見ると、
何一つ同じ花は無いことに驚く。
I have been taking spring flowers
on my cell phone since last week,
I was astonished when I look at them
with a zoom-in camera lens
find that none of them are the same.
遠くから見ると同じく見えるのだが、
接近して見ると全部少しずつ違う。
They look the same from the distance
but when I look closer,
each of them is slightly different.
他人が得た悟りは、
咲いた花を遠くで見るのと
似ているのかも知れない。
The enlightenment which someone has gained,
it may be similar to viewing
the blossom of flowers from the distance.
花は種が既に有って、
成長した上で、
温度や日光の条件が合って咲き始める。
The flowers, originate from seed, grow,
and begin to bloom
under the conditions of temperature and sunlight.
悟りも、種、成長期間を得て、
咲く外部条件、内部の動きがぴったり合うことで起こる。
Enlightenment also takes place when it has been seeded,
passing the period of growth,
the external conditions bloom
and internal movements are fit altogether.
花が咲き、人は感激する。
Flower blossom makes people impressed.
他人が悟り、悟った本人は究極を体験する。
Someone has enlightened
and the one who experienced the ultimate.
だが、花を見る私、
他人が得た悟りを見ている私は
ただの"わたし"なのである。
But the “I “ who views flowers
and the ‘I” also viewing someone’s enlightenment,
it is just an ‘I”...
何年も対面しているのがありますが、
未だ、現在進行系なので、まあー私も無答ですねえ。
むとうを入力したら、無刀、が候補に挙がったので
面白いなーと思ったり。
ここは子供の日が無いので
5月の休みが無いです。
ピクニックいいですね。
うちは夫が忙しいので、もうどこへも出かけていません。
庭の仕事、変わらず重労働ですね。
股関節痛めて、もう何週間もクリニック通いしてますが、
それでも庭の仕事はしなきゃなので、
本当に激痛の掛け算みたいな。
只管打坐、この題でアップするつもりでしたが、
語るもんが無くなって、やめちゃいましたよ。
でも榮久さんはやはり拾ってくださいましたね。
「証究すみやかに現成すといへども、
密有かならずしも現成にあらず、見成これ何必なり。」
ご承知の「現成公安」の一節から
「名付け」が「意味」を固定すると・・・
「只管打坐」につきるようにも
これも全てご承知のことゆえ ここまでに
こちらは5月の「連休」です
人混みは兄妹共に苦手ゆえ
今日はこれから
手弁当でご近所の里山へ草木観察へ では 榮
皮肉で本当に面白いのですが、
その意味をわかるのは、このブログ欄で
3人かな?と思ったりしますね。
以下、漢文の訳コピペ(2014年の記事から抜群、鐘の音サイト)
身是菩提樹 (身はこれ菩提樹)
心如明鏡台 (心は明鏡台の如し)
時時勤払拭 (時々に勤めて払拭せよ)
莫使惹塵埃 (塵埃をして惹かしむることなかれ)
菩提本無樹 (菩提本樹無し)
明鏡亦非台 (明鏡も亦台に非ず)
本来無一物 (本来無一物)
何処惹塵埃 (いずれの処にか塵埃を惹かん)
ある人が悟ったなら、
他人は気づけます。
でも、美の判断が人それぞれなので
ある人には、悟っていない、ように見えるかもしれません。
おっしゃるとおり、花を見て(視覚で悟った人の割合は聴覚で悟った人より低い)悟るなら
視覚が感覚優先の人かもしれません。
言いたかったのは、他人の悟りは私に関係ない、とのことでした。
それにしてもいつも鋭い見方、感心させられます。
時時勤拂拭 莫使有塵埃
菩提本無樹 明鏡亦非臺
本來無一物 何處惹塵埃
ZIP
が、この歳になって錯覚だったと思うようになっています。
悟った大人など一人も見たことがありませんから・・。
今日のブログの、花の形に同じものがないことを知ったことが悟りかなと思いました。
去年、フィギュアスケート観ながら
クリンさんと一緒に観たら楽しいだろうなと思いましたよ。
他の知人とフィギュアスケートのことで意見交換しましたけど、
クリンさんの持つシャープ性は無かったでしたね。
そうですね、花が散ってもまた咲くように、
悟って、下界?に降りて
また、時期がくれば悟る?ことになるでしょうね。
花がまた咲く原理に似てるのでしょうね、きっと。
そうですね。
悟りは究極の個人的体験ですね。
悟りにも様々な段階があるようですし、大悟、小悟、様々のようです。
私は以前悟ったらそれで終わりだと思っていましたが、とんでもないようですね😅
悟ったとしても旅はまだまだ続きます。
いつも英語と日本語とで書かれたスピリチュアルなお話を楽しみにしています❤️