(原文)
何事もあまりよくせんとしていそげば、必あしくなる。病を治するも亦しかり。医をゑらばず、みだりに医を求め、薬を服し、又、鍼灸をみだりに用ひ、たゝりをなす事多し。導引按摩も亦しかり。わが病に当否をしらで、妄に治を求むべからず。湯治も亦しかり。病に応ずると応ぜざるをゑらばず、みだりに湯治して病をまし、死にいたる。およそ薬治鍼灸導引按摩湯治。此六の事、其病と其治との当否をよくゑらんで用ゆべし。其当否をしらで、みだりに用ゆれば、あやまりて禍をなす事多し。是よくせんとして、かへつてあしくする也。
凡、よき事あしき事、皆ならひよりおこる。養生のつゝしみ、つとめも亦しかり。つとめ行ひておこたらざるも、慾をつゝしみこらゆる事も、つとめて習へば、後にはよき事になれて、つねとなり、くるしからず。又つゝしまずしてあしき事になれ、習ひくせとなりては、つゝしみつとめんとすれども、くるしみてこらへがたし。
(解説)
「貝原益軒の養生訓―総論上―解説 010」でも述べられました。
凡、薬と鍼灸を用るは、やむ事を得ざる下策なり。飲食色慾を慎しみ、起臥を時にして、養生をよくすれば病なし。腹中の痞満して食気つかゆる人も、朝夕歩行し身を労動して、久坐久臥を禁ぜば、薬と針灸とを用ひずして、痞塞のうれひなかるべし。是、上策とす。薬は皆気の偏なり。参芪朮甘の上薬といへども、其病に応ぜざれば害あり。況、中下の薬は元気を損じ他病を生ず。鍼は瀉ありて補なし。病に応ぜざれば元気をへらす。灸もその病に応ぜざるに妄に灸すれば、元気をへらし気を上す。薬と針灸と、損益ある事かくのごとし。やむ事を得ざるに非ずんば、鍼灸薬を用ゆべからず。只、保生の術を頼むべし。
と。そしてそれに加えてここでは、「湯治も亦しかり。病に応ずると応ぜざるをゑらばず、みだりに湯治して病をまし、死にいたる」と、湯治の危険性についても言及しています。 益軒が『養生訓』を著した時、京の都では後藤艮山という儒医が「一気留滞の説」を唱え、温泉の効能を研究していました。つまり温泉を疾病の治療として応用しようとする試みです。その志は後に香川修庵に引き継がれましたが、当時はまだ研究が始まってから四、五年。艮山はどんな病気にも効果があるとは全く言いませんでしたが、一般庶民が誤解をする怖れが多分にあったことでしょう。現代でも影響力を持つ人の治療法や健康法はブームになりやすいものです。身体の状態をよく観察し、たとえ湯治であっても適切に用いなければいけないのです。
(ムガク)
(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)
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