(原文)
津液は一身のうるほひ也。化して精血となる。草木に精液なければ枯る。大せつの物也。津液は臓腑より口中に出づ。おしみて吐べからず。ことに遠くつばき吐べからず、気へる。
津液をばのむべし。吐べからず。痰をば吐べし、のむべからず。痰あらば紙にて取べし。遠くはくべからず。水飲津液すでに滞りて、痰となりて内にありては、再、津液とはならず。痰、内にあれば、気をふさぎて、かへつて害あり。此理をしらざる人、痰を吐ずしてのむは、ひが事也。痰を吐く時、気をもらすべからず。酒多くのめば痰を生じ、気を上せ、津液をへらす。
(解説)
益軒が「津液は一身のうるほひ也、・・・大せつの物也」と言ったように、水分は人体にとって必要不可欠なものです。水分を摂らずに生きてはいけません。現代の日本のように上下水道が完備され、いつでも衛生的な水が手に入る時代でなかったら、水は今以上の価値があったことでしょう。
さて「津液」は詳しく言うと、「津」と「液」と二つの液体のことであり、これらは微妙に異なります。黄帝も疑問に思い岐伯に質問しましたが、岐伯はこう答えました(『霊枢』決気)。
腠理が発泄し、汗の出ること溱溱、是れを津と謂う。
穀が入りて気が満ち、淖澤として骨に注ぎ、骨属を屈伸させ洩澤す。脳髄を補益し、皮膚を潤澤す。是れを液と謂う。
体液にはいろいろ有りますが、大雑把に言うとこの二つに分かれるのです。そして身体の水分は、汗として、尿として、涙や鼻水などとして排泄されますが、養生に関る水分が「唾」です。孫思邈の著した『千金方』養性序には、「養性の士は唾を遠くに至さず」とあります。益軒が「遠くつばき吐べからず」と言ったのは、ここに理由があります。養生には呼吸も重要であり、遠くに唾をはくには呼気を多く使い、また呼吸も乱れます。それ故、益軒はこうも言ったのです。
調息の法、呼吸をとゝのへ、しづかにすれば、息やうやく微也。弥、久しければ、後は鼻中に全く気息なきが如し。只臍の上より微息往来する事をおぼゆ。かくの如くすれば神気定まる。是気を養ふ術なり。呼吸は一身の気の出入する道路也。あらくすべからず。
この文も「総論下」にありますが、もうちょっと後に出てきます。
(ムガク)
(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)
津液は一身のうるほひ也。化して精血となる。草木に精液なければ枯る。大せつの物也。津液は臓腑より口中に出づ。おしみて吐べからず。ことに遠くつばき吐べからず、気へる。
津液をばのむべし。吐べからず。痰をば吐べし、のむべからず。痰あらば紙にて取べし。遠くはくべからず。水飲津液すでに滞りて、痰となりて内にありては、再、津液とはならず。痰、内にあれば、気をふさぎて、かへつて害あり。此理をしらざる人、痰を吐ずしてのむは、ひが事也。痰を吐く時、気をもらすべからず。酒多くのめば痰を生じ、気を上せ、津液をへらす。
(解説)
益軒が「津液は一身のうるほひ也、・・・大せつの物也」と言ったように、水分は人体にとって必要不可欠なものです。水分を摂らずに生きてはいけません。現代の日本のように上下水道が完備され、いつでも衛生的な水が手に入る時代でなかったら、水は今以上の価値があったことでしょう。
さて「津液」は詳しく言うと、「津」と「液」と二つの液体のことであり、これらは微妙に異なります。黄帝も疑問に思い岐伯に質問しましたが、岐伯はこう答えました(『霊枢』決気)。
腠理が発泄し、汗の出ること溱溱、是れを津と謂う。
穀が入りて気が満ち、淖澤として骨に注ぎ、骨属を屈伸させ洩澤す。脳髄を補益し、皮膚を潤澤す。是れを液と謂う。
体液にはいろいろ有りますが、大雑把に言うとこの二つに分かれるのです。そして身体の水分は、汗として、尿として、涙や鼻水などとして排泄されますが、養生に関る水分が「唾」です。孫思邈の著した『千金方』養性序には、「養性の士は唾を遠くに至さず」とあります。益軒が「遠くつばき吐べからず」と言ったのは、ここに理由があります。養生には呼吸も重要であり、遠くに唾をはくには呼気を多く使い、また呼吸も乱れます。それ故、益軒はこうも言ったのです。
調息の法、呼吸をとゝのへ、しづかにすれば、息やうやく微也。弥、久しければ、後は鼻中に全く気息なきが如し。只臍の上より微息往来する事をおぼゆ。かくの如くすれば神気定まる。是気を養ふ術なり。呼吸は一身の気の出入する道路也。あらくすべからず。
この文も「総論下」にありますが、もうちょっと後に出てきます。
(ムガク)
(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)
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