(原文)
養生に志あらん人は、心につねに主あるべし。主あれば、思慮して是非をわきまへ、忿をおさえ、慾をふさぎて、あやまりすくなし。心に主なければ、思慮なくして忿と慾をこらえず、ほしゐまゝにしてあやまり多し。
万の事、一時心に快き事は、必後に殃となる。酒食をほしゐまゝにすれば快けれど、やがて病となるの類なり。はじめにこらゆれば必後のよろこびとなる。灸治をしてあつきをこらゆれば、後に病なきが如し。杜牧が詩に、忍過ぎて事喜ぶに堪えたりと、いへるは、欲をこらえすまして、後は、よろこびとなる也。
(解説)
『周易』損に、こうあります。「君子以て忿りを懲らし欲を塞ぐ」と。忿怒の感情と欲望は君子としてこらえるべきものであり、すぐに怒り散らし、食欲や色欲の奴隷になっている人は君子ではないのです。益軒は「養生に志あらん人」に君子になって欲しいと願ったのですね。
杜牧とは、唐代の詩人であり、ここでの「忍過ぎて事喜ぶに堪えたり」と言うのは、「遣興」という詩からの引用です。
鏡弄白髭鬚 如何作老夫
浮生長勿勿 兒小且鳴鳴
忍過事堪喜 泰来優勝無
治平心径熟 不遣有窮途
詩の出来栄えを論ずるのは良いとして、益軒がここでこれを持ち出したのは、当時、この詩が一般的だった、または手軽に知る事ができる環境だったのでしょう。
(ムガク)
(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます