(原文)
古の君子は、礼楽をこのんで行なひ、射御を学び、力を労動し、詠歌舞踏して血脈を養ひ、嗜慾を節にし心気を定め、外邪を慎しみ防て、かくのごとくつねに行なへば、鍼灸薬を用ずして病なし。是君子の行ふ処、本をつとむるの法、上策なり。病多きは皆養生の術なきよりおこる。病おこりて薬を服し、いたき鍼、あつき灸をして、父母よりうけし遺体にきずつけ、火をつけて、熱痛をこらえて身をせめ病を療すは、甚、末の事、下策なり。たとへば国をおさむるに、徳を以すれば民おのづから服して乱おこらず、攻め打事を用ひず。又保養を用ひずして、只薬と針灸を用ひて病をせむるは、たとへば国を治むるに徳を用ひず、下を治むる道なく、臣民うらみそむきて、乱をおこすをしづめんとて、兵を用ひてたたかふが如し。百たび戦って百たびかつとも、たつとぶにたらず。養生をよくせずして、薬と針灸とを頼んで病を治するも、又かくの如し。
身体は日々少づつ労動すべし。久しく安坐すべからず。毎日飯後に、必ず庭圃の内数百足しづかに歩行すべし。雨中には室屋の内を、幾度も徐行すべし。此如く日々朝晩運動すれば、針灸を用ひずして、飲食気血の滞なくして病なし。針灸をして熱痛甚しき身の苦しみをこらえんより、かくの如くせば痛なくして安楽なるべし。
(解説)
「礼楽」とは儀礼と音楽のことであり、『礼記』に「礼は民心を節し、楽は民声を和す」とあるように、礼楽は人々を治めるために重要なものです。それ以上に、「礼楽は天地の情に偵り、神明の徳に達す」ともあり、人間以上の天地自然の情から生まれ、神明なる「徳」に達するために、君子にとって必要不可欠なものなのです。「射御」とは、弓術と戦車(馬車)の操縦のことであり、古代中国における、君子のたしなみの一つでした。
『孝経』には、「身体髪膚之を父母に受く、敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり」とあります。益軒は、「病おこりて薬を服し、いたき鍼、あつき灸をして、父母よりうけし遺体にきずつけ、火をつけて、熱痛をこらえて身をせめ病を療す」ことは、不孝であり、君子の行いではないと説くのです。
益軒が、この段で使った比喩は、儒学と兵学が由来です。孟子は、「徳を以て仁を行なう者は王たり。・・・力を以て人を服する者は、心服せしむるに非ざるなり、力、足らざればなり。徳を以て人を服せしむる者は、中心より悦びて誠に服せしむるなり」と言いました。儒家は、法家や道家と異なり、天下は徳で治めるべきであると主張しました。そして益軒は、国を治めるためには、力ではなく、徳が必要であるように、人を治めるには養生が必要であると主張したのです。
『孫子』には、「百戦百勝は、善の善なる者に非ず。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」とあります。戦争も病気も、戦わずして勝つ、それが善いのです。
(ムガク)
(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)
古の君子は、礼楽をこのんで行なひ、射御を学び、力を労動し、詠歌舞踏して血脈を養ひ、嗜慾を節にし心気を定め、外邪を慎しみ防て、かくのごとくつねに行なへば、鍼灸薬を用ずして病なし。是君子の行ふ処、本をつとむるの法、上策なり。病多きは皆養生の術なきよりおこる。病おこりて薬を服し、いたき鍼、あつき灸をして、父母よりうけし遺体にきずつけ、火をつけて、熱痛をこらえて身をせめ病を療すは、甚、末の事、下策なり。たとへば国をおさむるに、徳を以すれば民おのづから服して乱おこらず、攻め打事を用ひず。又保養を用ひずして、只薬と針灸を用ひて病をせむるは、たとへば国を治むるに徳を用ひず、下を治むる道なく、臣民うらみそむきて、乱をおこすをしづめんとて、兵を用ひてたたかふが如し。百たび戦って百たびかつとも、たつとぶにたらず。養生をよくせずして、薬と針灸とを頼んで病を治するも、又かくの如し。
身体は日々少づつ労動すべし。久しく安坐すべからず。毎日飯後に、必ず庭圃の内数百足しづかに歩行すべし。雨中には室屋の内を、幾度も徐行すべし。此如く日々朝晩運動すれば、針灸を用ひずして、飲食気血の滞なくして病なし。針灸をして熱痛甚しき身の苦しみをこらえんより、かくの如くせば痛なくして安楽なるべし。
(解説)
「礼楽」とは儀礼と音楽のことであり、『礼記』に「礼は民心を節し、楽は民声を和す」とあるように、礼楽は人々を治めるために重要なものです。それ以上に、「礼楽は天地の情に偵り、神明の徳に達す」ともあり、人間以上の天地自然の情から生まれ、神明なる「徳」に達するために、君子にとって必要不可欠なものなのです。「射御」とは、弓術と戦車(馬車)の操縦のことであり、古代中国における、君子のたしなみの一つでした。
『孝経』には、「身体髪膚之を父母に受く、敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり」とあります。益軒は、「病おこりて薬を服し、いたき鍼、あつき灸をして、父母よりうけし遺体にきずつけ、火をつけて、熱痛をこらえて身をせめ病を療す」ことは、不孝であり、君子の行いではないと説くのです。
益軒が、この段で使った比喩は、儒学と兵学が由来です。孟子は、「徳を以て仁を行なう者は王たり。・・・力を以て人を服する者は、心服せしむるに非ざるなり、力、足らざればなり。徳を以て人を服せしむる者は、中心より悦びて誠に服せしむるなり」と言いました。儒家は、法家や道家と異なり、天下は徳で治めるべきであると主張しました。そして益軒は、国を治めるためには、力ではなく、徳が必要であるように、人を治めるには養生が必要であると主張したのです。
『孫子』には、「百戦百勝は、善の善なる者に非ず。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」とあります。戦争も病気も、戦わずして勝つ、それが善いのです。
(ムガク)
(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)
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