以前から気になっていた、茶の蔵かねも ティーカルチャーホールで、
朗読&ピアノ公演を見てきました。
夏休みの小中学生向けのこども講座のひとつの発表会なんですね。
このふじのくに子ども芸術大学…云々の諸講座、毎年申し込むのですが、なかなか縁がなく。
今回の観客は親子連れという条件。クラシック楽器好きのムスコと来るつもりが大会だったので、音楽嫌いのムスメと。(食べ物で釣った)
カネモ店内にも初めて入ったわ。なんか高級っぽい。でも、庭の植木はあまり手入れできてないわね(小声)
二階のホールは多目的ホールなのね。音楽専門というわけではなさそう。
お茶屋さんだけあって、冷茶とほうじ茶のサービスがありました。ほうじ茶美味しいね!とムスメ。
小中学生の受講生の朗読、皆さんいっぱい練習したのね、お上手でしたよ。声質や響き、滑舌には個性がありますね。
朗読の先生、堤腰和余さんの緩急、強弱のつけ方、間のとり方、さすがですねぇ。頭に直接、映像がアクセスする。うっとり。
ベートーヴェンの生涯の物語と交互にその音楽を奥村友美さんのピアノ演奏と、1時間半。
音楽はピアノソナタを中心に、メヌエット、悲愴、月光、テンペスト、エリーゼのために。
クラシック音痴でも聴いたことあるメロディー。
有名か悲愴や月光を聴いて、改めて思ったこと。
ベートーヴェンは悲愴や月光そのものを曲にしたわけではなくて、悲愴な状況からの激情、月光を浴びたときの心の昂ぶり。その感情が音楽になったのね。
耳が聴こえないことで、ヒトと分かち合えないと、興味の対象が、他人よりも自分自身の心の中の動きになったのかも。
肉体のハンデや不遇を燃料に、常に炎が燃え続けるような左手のフレーズ。
だからどの楽曲もタイトルとしては「○○のときのベートーヴェンの熱情」なんじゃないかなとか。
そう思いながら聴くと「エリーゼのために」は、ベトさんにしては、随分抑えた(諦めがちな)恋だったんだろうなと勘ぐったりして。
実際は知りませんけどね(笑)
第九が歓喜なのは、そういう負のエネルギーを越えて、心が解き放たれたからなのかしら。
友よともに歌おう!なんて、マイウェイベトさんらしからぬ、共感の響き。
わかりませんが。
なーんて目を閉じて妄想しながらニヤニヤ楽しんでいると、寝ていると思われたのかムスメに肘鉄されました。
これが正しいクラシックの嗜み方なのよ。
こんな妄想が、無料で楽しめるなら、ありがたいことです。
例え駐車場がでにくくても(怨み)
帰宅したムスコによかったよーと報告。「テンペストってなんだったんだろうね。病気?」
「嵐じゃね?」
嵐でした。ビックリ!
ユーチューブでの「悲愴」を聴きながら、夕食前のおやつのインスタントラーメンを食べる、ムスコでした。
追記!
ベートーヴェンのビアノソナタ、「月光」と名付けたのは別の人で、ベトさんは「幻想曲風ソナタ」とつけたそうです。
確かに第一楽章は、静かな湖面にさざめく月光のイメージ、第二、第三とだんだん速く激しくなってくるのよね。
ワタシがパッションを感じたのは第三です。
ちなみに、「悲愴」はベトさんが名付けたみたいですが、ほとんどは後世の方のイメージでタイトルがつけられてるのですね。
秋の夜長、クラシック聴きたいかもー。