港町酒田から、高速道に乗って鶴岡に戻って来ました。
一度通り越した鶴岡に引き返す形になります。
江戸時代、酒田・鶴岡を中心に庄内藩14万石がありました。
酒田は北前船で栄えた商業都市。「西の堺、東の酒田」と謳われました。これに対し、鶴岡は政治都市。鶴ケ岡城が築かれ、役所が多数置かれました。
やって来たのは、かつてお城があった鶴岡公園付近です。
■庄内藩校致道館
への次郎 「まだ見学できますか?」
受付の人 「はい。どうぞ」
ここは東北唯一の現存藩校、致道館(ちどうかん)です。
への次郎 「藤沢周平さんは、ここで生まれたんだよ」
奥さん 「ここ庄内が藤沢作品の舞台なんだね」
堀に架かった橋の向こうは、表御門です。
堀のハスがもうすぐ咲きそうでした。向こうに見える茶色い建物は、鶴岡市役所本庁舎。
藩校敷地に足を踏み入れると、真ん中に講堂、右に御入間があって、
写っていませんが、左には聖廟がありました。
ここから講堂に入ります。
中には多数の教材が展示されていました。しばし立ち止まって見入ったのが、
江戸期の世界地図。日本は右斜め上45度のところに、ちょっと大きく描かれていました。
奥さん 「ここは朱子学じゃないんだね」
への次郎 「荻生徂徠とは、異色だね。探求ということに重きを置いたかな」
建物内部を見学し、外に出てきました。
講堂の裏は、礎石のみ配置されていたり、銀屋根の文化施設が建てられていました。
建物が残っているのは、表側の3分の1だけでした。
■大寶館
致道館を出ると左手に、白壁に赤ドームの洋館が見えてきました。
大正4年(1915)、大正天皇の即位を記念して建てられた大寶館(たいほうかん)です。
への次郎 「まだ見学できますか?」
受付の人 「4時半までなんです。ゆっくりできませんが、どうぞ」
館内には、鶴岡ゆかりの人物の展示がありました。
左側に、昭和天皇から「満州事件の張本人」と指弾された石原莞爾(いしわらかんじ)も。
■鶴岡公園
大寶館から鶴岡公園に入ってすぐのところです。
庄内藩の政治の中枢・本丸御殿は、この辺りにあったようですね。
やはりありました、藤沢周平記念館。
その向かいの荘内神社。珍しい木を見ましたよ、ヒイラギの老木なんですがね。
珍しいのは葉っぱ。ギザギザしてなくて、針もありませんでした。仏壇に供えるサカキの葉に似ていました。あるとき、突然、こうなったようですね。不思議。
人口12万人の鶴岡。歴史的建造物が多数残っている鶴岡公園の周辺は、よく整備がされていて、美しい景観を保っていました。とても10万都市とは思えませんでした。
つづく