江戸から京都までの中山道を描いた「木曽海道六拾九次之内」は、歌川広重と渓斎英泉による浮世絵です。
岐阜県中津川市にある寅さんのロケ地に行った日、ちょっと足を伸ばして、広重が描いた落合宿の付近を見てきました。
中山道を妻籠宿、馬籠宿と通ってくると、やがて道は下り坂となって美濃の国に入ります。道は、険しい山道の木曽路から、平坦な美濃路へと変わっていきます。下り坂をおりてくると、落合川があり、そこに橋が架かっていました。この橋を渡ると、道は落合宿に入って行きます。
では、浮世絵「木曽海道六拾九次之内 落合」を見てみましょう。
こちらが馬籠宿の方向。下の川が落合川。右奥が落合宿。季節は新緑の時期でしょうか。
落合川に架かった橋を渡っているのは、大名行列の一行でしょう。一行は落合宿を通って、いよいよ木曽路に入ろうとしています。背後に見える青い山は、方向はちょっと違いますが恵那山でしょう。
この浮世絵、このあたりから描いたものでしょうか。
手前の道は、馬籠宿からおりてきた中山道です。道なりにおりていくと、橋があります。橋の下を流れている川が落合川。落合川を渡った中山道(オレンジ線)は左に進み、やがて竹藪の向こうあたりにあった落合宿(青い〇)に入って行きます。
この後、落合宿に行ってみました。
向こうから歩いてきて、宿場の真ん中あたりに来ました。右奥にちらっと見えるのが恵那山です。この建物は、本陣。りっぱな正門です。加賀前田家から贈られたものだそうですよ。
江戸末期の記録によると、宿内の長さは約300メートル、家数75、本陣1、脇本陣1、旅籠14。小さい宿場でした。
本陣から先に進むと、お寺から形のいい老松が道の真ん中までかかっていました。ほら、
説明書きによるとこの松、「門冠の松」といわれ、もともとお寺の山門にかかっていたそうです。ということは、中山道は半分以上広げられたんですね。ところで中山道、この松の下で左に直角に曲がって、中津川宿に伸びていました。つまりここに枡形があったようです。
さて、この老松のところで後ろを振り向くと、
「おっ! 恵那山だ。絵になるなぁ」
中津川宿から中山道をやった来た旅人は、左からやって来て横断歩道のところで直角に向こうに曲がって落合宿に入って行きました。その際、まず目にした光景が、これでした。