1月9日(水)
昼下がりの空は澄み渡る快晴で気候は暖かであったけれど、天候とは裏腹に気持ちは沈み、どんよりと暗い影に覆われている、そんな気分でした。
自分にとって音楽的師匠でもあるPPFの小林さんの葬儀に出かけ、大勢集まったミュージシャンたちと一緒に参列しました。
顔見知りの音楽関係者を見つけ、この場でなければ年始の挨拶をするところなのだが、ただ目礼をするのみで息を殺して会場の広間に立ち尽くしていました。
フロアでは先日ハウスオブクレイジーで撮影されたであろう、PPFのライブDVDが小型TVで繰り返し流されていて、痩せてしまってはいても、相変わらず切れのいい小林さんのカッティングを聞くことができた。
祭壇の遺影の脇には小林さんの愛器であるギブソン335が、失った主人をいとおしむかのように並べられて立っていた。
遺影の小林さんは、いつもながらの少しはにかんだ様な笑みを浮かべておしゃべりをする、そんなお顔でした。
昨日の夕方、若過ぎる訃報を聞き、少なからず動揺していました。しかも、その夜のお通夜には仕事が夜勤という事情で伺うことができず、ますます気持ちが沈んでいたというわけです。
小林さんがご病気だとは聞いていましたが、一昨年から去年にかけて、非常に精力的にライブ活動を行っていたはずです。現に去年は小林さんの元気そうな歌声を、ハウスオブクレイジーやたまたま行ったバークレーで聞いています。
何でこんなに早く?という悔しい気持ちが湧き上がります。
自分がPPFに参加させてもらったのは、まだ20代前半の生意気ででかい音だけが取り柄の中途半端なドラム小僧の頃でした。
その頃の小林さんは、30代になられたばかりの頃だと思いますが、完成された大人の男という印象でとにかく格好良かった。
ファッション関係の仕事柄ひじょうにダンディで、そしてギターは全く今と変わらずに切れのいいカッティングでファンキーな16ビートを刻んでいました。
その頃、ロックだのジャズだのファンクだのブルースだのと、頭で音楽を理解しようと躍起になって勉強していた自分は、音楽的にトーシロなので当然悩みも多かったのです。
ある日、
「音楽って一体なんでしょうか?やればやるほどボクには分かりません」と聞くと、小林さんは
「音楽?オレにも全然わからん。」
そして例のはにかんだような笑顔で
「全然わからんけど、楽しいからやっとるじゃん」と言われました。
あー、これが正解なんだ、って気付くのは、自分がPPFを飛び出して何年も経ってからでした。
小林さんはいつも全身で音楽を楽しんでおられました。
去年、ハウ・クレでのPPFライブと、バークレーで小林さんが元気に歌うところを聞くことができた模様を、それぞれ日記に書いている。文章は相変わらず拙いけれど在りし日の小林さんの笑顔を偲んでいただきたいと思います。
心よりご冥福をお祈りいたします。
昼下がりの空は澄み渡る快晴で気候は暖かであったけれど、天候とは裏腹に気持ちは沈み、どんよりと暗い影に覆われている、そんな気分でした。
自分にとって音楽的師匠でもあるPPFの小林さんの葬儀に出かけ、大勢集まったミュージシャンたちと一緒に参列しました。
顔見知りの音楽関係者を見つけ、この場でなければ年始の挨拶をするところなのだが、ただ目礼をするのみで息を殺して会場の広間に立ち尽くしていました。
フロアでは先日ハウスオブクレイジーで撮影されたであろう、PPFのライブDVDが小型TVで繰り返し流されていて、痩せてしまってはいても、相変わらず切れのいい小林さんのカッティングを聞くことができた。
祭壇の遺影の脇には小林さんの愛器であるギブソン335が、失った主人をいとおしむかのように並べられて立っていた。
遺影の小林さんは、いつもながらの少しはにかんだ様な笑みを浮かべておしゃべりをする、そんなお顔でした。
昨日の夕方、若過ぎる訃報を聞き、少なからず動揺していました。しかも、その夜のお通夜には仕事が夜勤という事情で伺うことができず、ますます気持ちが沈んでいたというわけです。
小林さんがご病気だとは聞いていましたが、一昨年から去年にかけて、非常に精力的にライブ活動を行っていたはずです。現に去年は小林さんの元気そうな歌声を、ハウスオブクレイジーやたまたま行ったバークレーで聞いています。
何でこんなに早く?という悔しい気持ちが湧き上がります。
自分がPPFに参加させてもらったのは、まだ20代前半の生意気ででかい音だけが取り柄の中途半端なドラム小僧の頃でした。
その頃の小林さんは、30代になられたばかりの頃だと思いますが、完成された大人の男という印象でとにかく格好良かった。
ファッション関係の仕事柄ひじょうにダンディで、そしてギターは全く今と変わらずに切れのいいカッティングでファンキーな16ビートを刻んでいました。
その頃、ロックだのジャズだのファンクだのブルースだのと、頭で音楽を理解しようと躍起になって勉強していた自分は、音楽的にトーシロなので当然悩みも多かったのです。
ある日、
「音楽って一体なんでしょうか?やればやるほどボクには分かりません」と聞くと、小林さんは
「音楽?オレにも全然わからん。」
そして例のはにかんだような笑顔で
「全然わからんけど、楽しいからやっとるじゃん」と言われました。
あー、これが正解なんだ、って気付くのは、自分がPPFを飛び出して何年も経ってからでした。
小林さんはいつも全身で音楽を楽しんでおられました。
去年、ハウ・クレでのPPFライブと、バークレーで小林さんが元気に歌うところを聞くことができた模様を、それぞれ日記に書いている。文章は相変わらず拙いけれど在りし日の小林さんの笑顔を偲んでいただきたいと思います。
心よりご冥福をお祈りいたします。