『晴れた日には・・・』

日々の雑感を綴ります。

会津へ

2016年08月02日 | 旅行
伊那市と会津若松市は
会津藩初代藩主だった保科正之公が結ぶ縁で、
親善交流都市になっています。

保科正之公は、徳川2代将軍秀忠公の四男で
6歳で高遠藩主保科正光公の養子になりました。
20歳で高遠3万石を継ぎ、
25歳のときは、最上20万石の藩主に、
やがて会津23万石の藩主になりました。

高遠を出るとき、
家来たちだけでなく、そば打ち職人などを連れて行った、
と言われています。
だから今でも、会津のそばに「高遠そば」の名称があるのだと。


そんな会津へ、
南三陸からほぼ3時間かけて行きました。

会津城を見た後
かの白虎隊が自害した飯盛山を観光しました。




珍しい形の「さざえ堂」



会津城が焼け落ちる・・・
とみる白虎隊の若武者
(本当はまだ焼けていなかったのに・・・・)



白虎隊の支度のお兄さんが案内してくれて
最後に
♬みな~み、つるがじょうのぞめばああ・・・♬
と、舞って見せてくれました。



ああ・・・
それにしても暑いこと暑いこと・・・

夏場の観光は
もう、これで最後にしようね、と
話したのも無理はありません。

早々に、
この日の宿、東山温泉に向かい
会津の郷土料理に舌鼓を打ち


気持ちの良い温泉に2回は入り
たっぷり1時間、
マッサージにかかって
命の洗濯をしたのでした。


これで、
私の夏休みが終わりました。
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南三陸町へ

2016年08月02日 | 旅行
この2月、
「南三陸町復興花火大会」のことを
新聞で知ることになって
少しでも花火大会がにぎやかになれば・・・・
との思いから、
気持ちばかりの寄付をさせていただきました。


そしたら、お礼にと
ピンバッジが10個も贈られてきました。



それだけで良かったのだけれど
「いっそ、その花火大会を見に行こうか?」
と言う、主人の提案で
7月30日土曜日
復興まつりに合わせて
はるばる南三陸町を訪ねてみました。



復興はまだまだ
道半ばです。


被災後、比較的早く再開した民宿「下道荘」さんに
お世話になりました。
以前はもっと下(海の近く)にあったけれど
全部流されてしまったそうです。




朝もやにかすんで、一番上に見えるのが、現在の下道荘さん
石積みだけで更地になっている場所は
かつての下道荘さんや民家の跡地。
防潮堤建設や安全のため、建物建設ができない場所だそうです。
今残っている家も、ほとんどが1階まで浸水して
内装はもとより
外装までリフォームしたという話でした。



道路のあちこち、
特に川沿いの峠道などには
いたるところにこんな看板があります。




この海岸沿いの復興は、まだまだ・・・・です。
(高台にある志津川高校から撮影しました。)




砂利積みの中に、壊すこともできないのか
ぽつんと建物が残っていました。




高校や中学など学校は高台にあったため
町民の皆さんの避難場所になりました。
現在でも、志津川高校のグランドの半分には
仮設住宅があり、まだ何人もの方たちが暮らしていました。

なにしろ、ナビを入れても
新しい道路ができていないので旧道しか案内せず
したがって、目的地になかなかつけない、という現実がありました。


それでも、南三陸の人たちは
前を向いて明るく生きているなあ…という印象でした。


花火は、もう一つ向こうの入り江からだったので
山の向こう…の場所に見えました。
少しでも、元気をもらってくれると嬉しいなあ・・・・



コメント (2)
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