1月17日は、
阪神淡路大震災から、27年目でしたね。
もう、27年なのか・・・・、と思います。
母は、あちらの生まれですから
関西には、姉、弟、妹がおりました。
大阪に住んでいた弟とは連絡がついて
芦屋に住んでいた妹も無事だ、と知らせてくれました。
けれど、東灘区に住んでいた姉の消息が分からない・・・、と。
あの時、東灘区のすぐそばを通る
自動車道が横倒しになった映像を見ていたので、
家族の不安は募るばかりでした。
当時、もう70歳になっていた母は、
リュックサックに、すぐ食べられる食材を詰め込んで
一人で、大阪まで行きました。
弟のいる豊中から三宮までは電車が通っていたようですが、
そこからは、歩いて神戸に向かったそうです。
東灘区の被災状況はひどかったようですが、
あちらこちらの避難所を訪ねて歩き、
奇跡的に、避難している姉を見つけた、と言っていました。
この時の記憶は、母の中でとても強く残ったようで、
数年前、大阪で再び結構大きな地震があった時、
認知症が進行していた母は、
そのニュースを聞いて急にそわそわとしだし
「カズ(弟)のところに行かなきゃだで、美容院に連れてってくりょ?」とか、
「新幹線の切符はもう買ってあるで。」とか言って
数日間、朝起きるとそのことを言い出して
私を困らせました。
その母も、
今はもう、心配したその姉弟たちですら
全く思い出せなくなっています。
(みんなもう、あちらの世界に行きましたが、それすらも・・・)
でも、それはそれで
幸せなのかな?と思う私です。
もう、27年も前のことになるんですねえ。