広瀬橋の袂に橋姫明神社があります。
左の石碑には橋供養と彫られています。
永町橋と橋姫明神社
昔、広瀬川に橋を架けることになった。しかし、長雨続きの広瀬川は氾濫し橋を架けることが出来なかったのです。
そのうち「これは竜神様のお怒りに違いない。若い娘を差し出さなければ」と噂が広まりました。
その時、根岸の長者の娘(愛姫)が「私が人柱になります」と名乗り出たのです。
信信深い愛姫は、断食して根岸観音(十八夜観音)にお籠もりします。
「4~5日したら雨は止むでしょう。そうしたら急いで橋のたもとに穴を掘って、丑三つ時に私を埋めてください」と言い残し帰って行った。
数日後に雨は止み。愛姫は優しい笑みを浮かべ生きたまま埋められました。
その後、川水が引いてよい天気が続き無事に永町橋が架けられたのです。
人柱になった愛姫は、橋及び、土木の神として信仰されて、特に長町の木場人夫や馬方の信仰が篤く、長旅に出る人にもよく拝まれていたそうです。
※十八夜観音=去年の9月に「菩薩立像」が東北に現存する最古の木彫り像とみられ、話題になりました。このお堂については近いうちに記事にしたいと思います。
橋の反対側には、仙台中心部の高層ビルが見える。
川の流れは広瀬川ですが、あまり写っていません。失礼オバ
昭和9年頃・・旧広瀬橋です。 手前の工事は電車専用橋の橋脚工事です。
完成し試運転で走るⅠ型車 昭和10年12月31日
昭和29年
昭和31年 100型車
昭和32年
市電については、いづれまた・・・・
左の石碑には橋供養と彫られています。
永町橋と橋姫明神社
昔、広瀬川に橋を架けることになった。しかし、長雨続きの広瀬川は氾濫し橋を架けることが出来なかったのです。
そのうち「これは竜神様のお怒りに違いない。若い娘を差し出さなければ」と噂が広まりました。
その時、根岸の長者の娘(愛姫)が「私が人柱になります」と名乗り出たのです。
信信深い愛姫は、断食して根岸観音(十八夜観音)にお籠もりします。
「4~5日したら雨は止むでしょう。そうしたら急いで橋のたもとに穴を掘って、丑三つ時に私を埋めてください」と言い残し帰って行った。
数日後に雨は止み。愛姫は優しい笑みを浮かべ生きたまま埋められました。
その後、川水が引いてよい天気が続き無事に永町橋が架けられたのです。
人柱になった愛姫は、橋及び、土木の神として信仰されて、特に長町の木場人夫や馬方の信仰が篤く、長旅に出る人にもよく拝まれていたそうです。
※十八夜観音=去年の9月に「菩薩立像」が東北に現存する最古の木彫り像とみられ、話題になりました。このお堂については近いうちに記事にしたいと思います。
橋の反対側には、仙台中心部の高層ビルが見える。
川の流れは広瀬川ですが、あまり写っていません。失礼オバ
昭和9年頃・・旧広瀬橋です。 手前の工事は電車専用橋の橋脚工事です。
完成し試運転で走るⅠ型車 昭和10年12月31日
昭和29年
昭和31年 100型車
昭和32年
市電については、いづれまた・・・・
人の霊力で災いを防ごうという発想かもしれませんが、悲しいです。
橋の上を走る市電からは、川の流れが綺麗に見えていたでしょうね。
お城も聞きますね。なんか勿体無い話しですね。
どこの何からこんな伝説が伝わって来たものか?
現在のように、神社仏閣で祈祷ををすればいいのではないかと思ってしまいます。
でも~
千代は~やはり~都会ですね (^_-)~☆
都会だなぁ~
昔は別々の橋だったんだなぁ~
まあもっとも、今じゃ橋の幅も昔の3倍くらいありそうだけど・・・
あるのを親柱といいますが
愛姫の悲しい話のような
出来事の名残り
なんでしょうかね。
モノクロ画像が
何だか三丁目の夕日
仙台版って感じで
懐かしげな世界ですね。
チョット離れると蛙も鶯も鳴いています。
コンクリートは嫌いです。
人が住むところではありません。
まぁ、いいやそのうち特集組みます。
昔は、専用橋があったんだね。
この辺は海抜低いから、洪水がひどかったところですね。
このカテゴリーでは、今と昔を比較しています。
なかなか、忙しくて・・・行きたいところや紹介したいところが沢山あるのですがね。