
最近もっぱら、TVのCMでお馴染みの黒漆五枚胴具足ですが、政宗公が気に入って愛用した具足ですね。
また、戦国時代であることから、実践的な具足でもあります。
甲冑の話はこちらをご覧下さい。最後の戦国武将・伊達政宗
実際に使用した具足の一つで政宗公が生涯大事にしたものが、人取橋の合戦で着用したものです。
これは政宗公の墓所瑞鵬殿から発掘されたものですが、昭和49年10月に戦災で消失した瑞鵬殿を再建するために338年ぶりに発掘したときの画像です。

この石棺は松島の凝灰岩の切り石を組み合わせたもので、水の入る余地が無い緻密な造りになっています。
1636年5月24日、政宗公は、食道噴門癌とそれに伴う癌性腹膜炎で亡くなったのではと推測されています。
公が亡くなってからわずか10日間でこの石ひつを造り上げています。
これが、発掘された甲冑です。



人取り橋の戦いが印象深いのは、きっと父輝宗をこの戦いで亡くしてしまったからでしょう。
二本松城主畠山義継は輝宗の斡旋を受けて降伏したが、義継は宮森城にて会談中に輝宗を拉致し、政宗の追っ手によって輝宗もろとも討たれた。
このとき政宗は怒り狂って13,000の兵を率いて二本松城を攻めた。
このシーンは大河ドラマにもありました。

人取橋絵馬
右の馬上姿が政宗で左に描かれているのが佐竹義重と言われている。
独眼竜政宗/遺骨は語る・・・最後のカルテにはモノクロで紹介しましたが、公には大変失礼かと思いますが、カラーの画像をUPさせていただきます。

二代忠宗の具足は無かったのですが、三代綱宗の具足は博物館にありました。
これは、三代綱宗の黒漆五枚胴具足です。

これは四代綱村の鉄錆地五枚胴具足です。

次は、六代宗村の黒漆鳩五枚胴具足
また、戦国時代であることから、実践的な具足でもあります。
甲冑の話はこちらをご覧下さい。最後の戦国武将・伊達政宗
実際に使用した具足の一つで政宗公が生涯大事にしたものが、人取橋の合戦で着用したものです。
これは政宗公の墓所瑞鵬殿から発掘されたものですが、昭和49年10月に戦災で消失した瑞鵬殿を再建するために338年ぶりに発掘したときの画像です。


この石棺は松島の凝灰岩の切り石を組み合わせたもので、水の入る余地が無い緻密な造りになっています。
1636年5月24日、政宗公は、食道噴門癌とそれに伴う癌性腹膜炎で亡くなったのではと推測されています。
公が亡くなってからわずか10日間でこの石ひつを造り上げています。
これが、発掘された甲冑です。





人取り橋の戦いが印象深いのは、きっと父輝宗をこの戦いで亡くしてしまったからでしょう。
二本松城主畠山義継は輝宗の斡旋を受けて降伏したが、義継は宮森城にて会談中に輝宗を拉致し、政宗の追っ手によって輝宗もろとも討たれた。
このとき政宗は怒り狂って13,000の兵を率いて二本松城を攻めた。
このシーンは大河ドラマにもありました。

人取橋絵馬
右の馬上姿が政宗で左に描かれているのが佐竹義重と言われている。
独眼竜政宗/遺骨は語る・・・最後のカルテにはモノクロで紹介しましたが、公には大変失礼かと思いますが、カラーの画像をUPさせていただきます。


二代忠宗の具足は無かったのですが、三代綱宗の具足は博物館にありました。
これは、三代綱宗の黒漆五枚胴具足です。

これは四代綱村の鉄錆地五枚胴具足です。

次は、六代宗村の黒漆鳩五枚胴具足

あれこれごてごてと飾り立てず、
クロを貴重にしたシンプルさに美を感じさせます。
藩主の代が下れば下るほど、
実用性よりは装飾性の方が強くなるような気がします。
瑞巌寺の宝物館では歴代藩主の肖像画を見ることができます。
実際の合戦というものを知っていた初期の藩主が束帯姿で、
江戸時代も後期の藩主が甲冑姿で描かれていることも
印象的ですね。
僕は、デアゴスティーニの戦国甲冑をつくる、の政宗公所用の当世具足、黒漆五枚胴具足を製作、公開してます。
興味が御有りの方は是非、お越しください。
敬具
あの甲冑作ってましか。
自分も欲しいと思っていましたが、じっと我慢しています。
後程訪問させていただきます。