随神門から羽黒山神社まで歩くと1時間ですので・・・
時間短縮のため断腸の思いで車で向かいました。ウヒ!
看板を見て下さい
ハイ! 手抜きデ~ス。 御祭神です
失礼します・・・
出羽三山神社三集殿の屋根です。
オッ! これは、その1で民家の軒下にあった物と同じですね。
これは松例祭(冬の峰)に、つつが虫(悪魔)を引張って焼き捨てる神事に使った綱で、綱をかけると悪魔が近寄らないという。
鐘楼と建治の大鐘(国・重要文化財)
この大きさを歩いてる人と比べて下さい。把握できると思います。
この堂は切妻造りの萱葺きで、小さいけど豪壮な建物です。
元和4年再建され、山内では国宝五重塔に次ぐ古い建物です。
鐘は建治元年の銘があり、古鐘では、東大寺・金剛峰寺に次いで古く且つ大きいとされるようです。
鐘の口径1.68m(5尺5寸5分)、唇の厚み22cm(7寸1分)、また鐘身の高さ2.05m(6尺7寸5分)、笠形の高さ13cm(4寸4分)、龍頭の高さ68cm(2尺2寸3分)あり、総高2.86m(9尺4寸2分)です。
天人の図は宇治鳳凰堂の藤原時代の鐘に見るが、絶えてその例を見ないといいます。
この鐘は文永・弘安の蒙古襲来の際、羽黒の龍神(九頭龍王)の働きによって、敵の艦船を全部海中に覆滅したので、鎌倉幕府は、羽黒三大権現の霊威をいたく感じて、鎌倉から鐘大工を送り、羽黒で鐘を鋳て、羽黒山に奉ったのだそうです。
これが蜂子の皇子を導いた霊烏です。 足三本あるよう~
三神合祭殿
人の大きさと建物の大きさを比べて下さい。
狛ちゃんと人の大きさもチェック! ほとんど同じですよ。
社殿はき羽黒派古修験道独自のもので、高さ28m桁行24.2m梁間17mで主に杉材を使用し、内部は総朱塗りで、 屋根の厚さ2.1m(日本一です)に及ぶ萱葺きの豪壮な建物です。
現在の合祭殿は文政元年(1818)に完成したもので当時工事に動員された大工さんを含め、木挽・塗師・葺師・石工・彫物師・手伝人足その他の関係した職人を入れると184,924人になる、それに要した米は976石の及び、建設費は5,275両2歩だそうです。
国の重要文化財に指定されています。
おや? キラリと光る目・・・・誰?
アップでどうぞ!
ここに月山・湯殿山がありますので、冬のお参りが出来ない時は、羽黒山に来るだけで、同時にお参りが出来るのですね。
駒様で~す
もう一度、人の大きさと比べて下さい。
右側は蜂子神社です。
鏡池です。 また、手抜きですが、地元のお菓子に古鏡とゆう煎餅がありますよ。
さて、蜂子皇子ですが、凄い形相をしています。
私も勉強不足ですが、チラット聞いたバスガイドさんの話から・・・
何故あんな醜い顔と世間に言ったのでしょう。
逢わせられない理由があったのでは? 評判のいい蜂子皇子ですが、意味ありげな形相ですよね。
もしかしたら、心身の障害があったのでは? と考えてしまうのです。
あくまでも噂ですが・・・・
境内に蜂子皇子のお墓があります。
勿論、宮内庁管轄です。
菊のご紋です~ 中は、木が生えてるだけです。
そうそう、石の階段や境内の石には、こんなのが掘られてます。
徳利です!見えますか?
霊ですね・・・
ひょうたん・・・・・
一般の人は知らないかも??
芭蕉さんが早く帰りなさい! と言うので明るい内に帰ります。
帰りの山間は色づいて参りました。。
寒くなりますが、御身体御自愛下さいませ。
長々と失礼しました。
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交通費も掛からないし、靴の底も減らない。
おまけに賽銭も
楽しい記事だと思います。
その伝承は今でも脈々と受け継がれています。
でも、信仰される方々はだんだん年齢が高くなり、若い人が減っていることでしょう。
いつまで維持出来るか心配でもあります。
やはり、現場を肌で感じる事が必要なのでしょうね。行くと、それなりに、不思議な気持ちになってしまいます。
まわりの空気が、そうさせているんでしょうか。
お身体無理しないで下さいね。
最近は家内を連れてドライブが多くなり、歴史的な名所を訪ねると神社仏閣によく出くわします。
手を合わせることが多くなりました。
我ながら、良いことかも…と思っております。
出羽三山、烏天狗・義経・・・?
狛犬さん、どこかで見たことあるなぁ~と思ったら
雨漏り師匠の処で赤坂日枝神社で見た、筋肉が割れてる狛犬さんだったぁ~
何か繋がりあるのかな?
実は羽黒山は何度も行ってるのですが、狛犬を意識したことが無かったので今更驚いて見てました。社殿が大きいので、バランスを考えるとあれくらいは必要なのですね。
あれ? 誰かいる?
と思ったら…
あれも守り神なのかも知れませんね。
現代との価値観の相違は大きいのですが、何がしか「肯定的」であろうとする思いが感じられます。
出羽の神々から感じることは、塩竃さんをじっくり廻ったのはもう何年前のことだろうか?ということです。この十数年は、年老いた両親の見舞いが帰省の理由でしたから。
赤坂日枝神社と大きさ、タイプが似てますね
三貴子の一人、月読命が祀られている数少ない神社ですね
あぁ もう紅葉が始まっているんですねぇ
それとデッカイ立像が松林にあったような?
社は新しくなってます。
塗り替えも何年前だったか? ずーっと工事してましたね。今も向かって右側が足場を組んでやってます。
コンクリートが多くなると、ありがたみも減りますね。
こまちゃんは~
ずいぶん はと胸 (^_-)-☆
国上山(くがみやま)にあります
ここには良寛様の住んでいた小さな家もあります
良く知っていますね
難波四天王寺 創建
同じ(593年)でした~
なぜか文字が抜けて
UPされてしまいました(^^;)
日本史年表を出してきました
<聖徳太子 摂政となる>
<難波四天王寺創建>
同じ(593年)でした~
一昨年熊野三山に行きましたが
ずいぶん雰囲気違いますね~
ここだけは、冬でも参拝出来るので、ツアーにも組み込まれてますね。
即身仏は新潟の弥彦神社辺りにもあったと思います。
公開されてないと思いますが?
確かに書物には霊烏としか書いていない、ガイドがヤタガラスと言ってたので、書きましたが、明日外しておきます。
トップに境内地図を入れるの忘れてたし…ヤタガラスも奥が深いなぁ~
ここのは、目が2つしかないように見えるけど、サッカー代表チームのマークは三つ眼だよな?
オラは、三本足の鳥っつうと、フギンとムニン、オーディンの遣い鴉を思い出すけど、ギリシャ神話でアポロンの怒りを買って黒くされた鴉(からす座のからす)も三本足だったらしい。
あと「淮南子」に「昔、東海のほとりの扶桑の神樹に十羽の三足烏が住んでいて、順番に空に上って火を吐いて太陽になった」とか、高句麗では天孫の象徴で古墳壁画にも三本足の烏が描かれているらしい・・・
でも、景色を見ながら登った方がいいでしょうね。下ばかりを見てると危険です。
でしたね
三神合祭殿の建物は立派ですが、その中に
出羽山・月山・湯殿山の神様が一同にお揃いで
よく考えていますね
黒い物体が神事に使った綱とは
ビックリしました
狛ちゃんは立派で心強く社殿を護っていますね。
境内の石に刻まれたヒョウタン(徳利)
誰がどのような目的で刻んだのでしょうね