庄内と内陸を結ぶ六十里越街道の要、田麦俣に残る「多層民家」
ここは以前にも、記事にしていますが、今回は民家の中へ潜入・・・入場料300円は払いましたよ。
月山道の湯殿山ICの手前で月山ダムの近くです。
湯殿山信仰が盛んになるにつれて、宿場的性格を帯びてきました。
このような環境の中、この地方独特の建築様式を誇る茅葺の民家が沢山建てられるようになりました。
ここ旧遠藤家もその中の一つとして、江戸時代後期の文化文政年間に建てられたものとと推定される。
当初は寄せ棟造りであったが、明治に入って養蚕が盛んになると、屋根の改造が行われ、妻側は「高はっぽういう輪郭と反りが美しい「兜造り」に改造され、平側にも採光と煙り出しの窓が造られて風格のある建物に変わっていった。
内部は一階が主に家族の居住用として使われ、二階は下男たちの居住用と作業場・物置であり、その上に養蚕と作業のための三階があり、さらにその上に物置用の「天井逗子」がある。
この地方は土地が狭いうえに積雪が多く、建物の建築が困難であったため、毎日のくらしと養蚕のための部屋が一つの建物の中にまとめられて、多層の形になったものと推定される。
中は非常に暗く明るく映っているが、ストロボは使わず(まぁ本体にはついていませんが)ISO感度を上げた4000から12800にて撮影した。
ここは民宿になっています。
月山ダム 「月の女神」
以前の記事
田麦俣番所跡に立つ時計台
田麦俣と多層民家:六十里越街道
YouTubeにまとめました。
多層民家:田麦俣
ここは以前にも、記事にしていますが、今回は民家の中へ潜入・・・入場料300円は払いましたよ。
月山道の湯殿山ICの手前で月山ダムの近くです。
湯殿山信仰が盛んになるにつれて、宿場的性格を帯びてきました。
このような環境の中、この地方独特の建築様式を誇る茅葺の民家が沢山建てられるようになりました。
ここ旧遠藤家もその中の一つとして、江戸時代後期の文化文政年間に建てられたものとと推定される。
当初は寄せ棟造りであったが、明治に入って養蚕が盛んになると、屋根の改造が行われ、妻側は「高はっぽういう輪郭と反りが美しい「兜造り」に改造され、平側にも採光と煙り出しの窓が造られて風格のある建物に変わっていった。
内部は一階が主に家族の居住用として使われ、二階は下男たちの居住用と作業場・物置であり、その上に養蚕と作業のための三階があり、さらにその上に物置用の「天井逗子」がある。
この地方は土地が狭いうえに積雪が多く、建物の建築が困難であったため、毎日のくらしと養蚕のための部屋が一つの建物の中にまとめられて、多層の形になったものと推定される。
中は非常に暗く明るく映っているが、ストロボは使わず(まぁ本体にはついていませんが)ISO感度を上げた4000から12800にて撮影した。
ここは民宿になっています。
月山ダム 「月の女神」
以前の記事
田麦俣番所跡に立つ時計台
田麦俣と多層民家:六十里越街道
YouTubeにまとめました。
多層民家:田麦俣
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