北仙台駅
仙山線(せんざんせん)は、仙台駅から山形市の羽前千歳駅を結び、そこからは奥羽本線で山形まで入れます。
JR東日本の鉄道路線です。
仙山線は交流電化発祥の地
1955年(昭和30年)8月10日
交流電化の試験のため、陸前落合ー熊ヶ根間に日本初の交流電化が実施されました。
1957年(昭和32年)9月5日、試験区間は仙台 - 作並間に拡大され、同時に交流電化区間における営業運転が開始された。
作並ー山寺間はすでに直流電化されていたので、作並駅は日本初の交直流接続駅となり、交直流地上切り替えのための設備が設けられました。
日本初の交直流両用電車(491系)が試作され、車上切り替えの試験も実施されました。
ここで得られたデータや技術は、新幹線の成功にもつながっていくことになったのです。
現在のJRは20000Vですが、これは電圧を上げることで、電圧・電流のロスを減らし変電所の数を減らすことにより、コストを下げているのですね。
ちなみに仙台の地下鉄では、直流1500Vです。
距離が短いのでこれで十分ですね。
次からの写真で駅舎を見比べて下さい。
昭和44年2月 仙台市電は幕くを閉じようとしていました。
昭和44年3月31日北仙台線の廃止 お別れ電車です。
昭和12年10月 北仙台線 開通当時です。 駅舎はなんら変わっていません・・・ この年からでも72年目です。
地図を見て見ましょう
昭和3年の地図です。 まだ開通していません。この翌年に開通しました。
基準となるのは、駅の後ろを流れる梅田川と支倉常長のお墓の一つである光明寺です。
仙台二高はここにあったのですね。
ちなみに、大正16年もあまり変わりませんね。
昭和13年です。
現在の地図です。
チョット愚痴、この路線残念ながら風が吹くと運休します。
そこには、日本で現在何番目かわかりませんが、高さ51mの鉄橋があります。
いずれ紹介したいのですが・・・
それから、落ち葉で車輪が空回り・・・去年も1度止まりました。
そんな理由で、山形まで行く人は、高速バスを使う人が大半です。
でも、山間を走り山寺などの観光地に行くには、なかなかいい路線ですね。
名湯・作並温泉にも行けますね。
出来るだけ運休しませんように、祈る限りです。
仙台市電に関しては、今後このカテゴリーで記事にして行きます。
ここでは、あくまでも北仙台駅の関連記事です。 仙台市電の歴史はまだまだあります。
仙山線(せんざんせん)は、仙台駅から山形市の羽前千歳駅を結び、そこからは奥羽本線で山形まで入れます。
JR東日本の鉄道路線です。
仙山線は交流電化発祥の地
1955年(昭和30年)8月10日
交流電化の試験のため、陸前落合ー熊ヶ根間に日本初の交流電化が実施されました。
1957年(昭和32年)9月5日、試験区間は仙台 - 作並間に拡大され、同時に交流電化区間における営業運転が開始された。
作並ー山寺間はすでに直流電化されていたので、作並駅は日本初の交直流接続駅となり、交直流地上切り替えのための設備が設けられました。
日本初の交直流両用電車(491系)が試作され、車上切り替えの試験も実施されました。
ここで得られたデータや技術は、新幹線の成功にもつながっていくことになったのです。
現在のJRは20000Vですが、これは電圧を上げることで、電圧・電流のロスを減らし変電所の数を減らすことにより、コストを下げているのですね。
ちなみに仙台の地下鉄では、直流1500Vです。
距離が短いのでこれで十分ですね。
次からの写真で駅舎を見比べて下さい。
昭和44年2月 仙台市電は幕くを閉じようとしていました。
昭和44年3月31日北仙台線の廃止 お別れ電車です。
昭和12年10月 北仙台線 開通当時です。 駅舎はなんら変わっていません・・・ この年からでも72年目です。
地図を見て見ましょう
昭和3年の地図です。 まだ開通していません。この翌年に開通しました。
基準となるのは、駅の後ろを流れる梅田川と支倉常長のお墓の一つである光明寺です。
仙台二高はここにあったのですね。
ちなみに、大正16年もあまり変わりませんね。
昭和13年です。
現在の地図です。
チョット愚痴、この路線残念ながら風が吹くと運休します。
そこには、日本で現在何番目かわかりませんが、高さ51mの鉄橋があります。
いずれ紹介したいのですが・・・
それから、落ち葉で車輪が空回り・・・去年も1度止まりました。
そんな理由で、山形まで行く人は、高速バスを使う人が大半です。
でも、山間を走り山寺などの観光地に行くには、なかなかいい路線ですね。
名湯・作並温泉にも行けますね。
出来るだけ運休しませんように、祈る限りです。
仙台市電に関しては、今後このカテゴリーで記事にして行きます。
ここでは、あくまでも北仙台駅の関連記事です。 仙台市電の歴史はまだまだあります。
風が吹いたら運休というのは、ちょっと不便ですが、それも今の時代には貴重かもしれません。
市電、今は走っている都市が少なくなりましたね。
市電は、今どこどこ? 函館・広島・長崎後は・・・失念 あっ! 熊本にもありましたね。
見てみたいですね
餘部鉄橋~と比べると
おもしろい加茂で~す (^_-)-☆
記事にも高さだけ入れておきました。
餘部鉄橋は高さ41m×319.4mで仙山線の熊ヶ根鉄橋は、51m×134.4mでした。
長さではかないませんが、高さは高いようです。
確かにあそこは高い道路も平行して走ってます。
餘部鉄橋は長さがあるので、山から撮った写真は見ごたえありますね。
もしかして、初めてはーさんのブログに行った時、鉄橋があったような?
冬で、平野部はなんともないのに、この沿線は雪、雪、雪でした。
面白い駅名がいっぱいあったような?
私でさえ、仙台から愛子までしか乗っていないのに。
どうしても車になってしまいましてね。
兎に角しょっちゅう止まりますね。
まぁ、安全第一ですからね。
しかたなか~ww
それによると昭和3年の地図の堤通と通町のあいだ、
軽便の停車場の周りの破線で囲まれた区画は競馬場だな
もっとも、この頃はもうただの空き地だったろうけど・・・
第二高等学校のところは今の農学部だな
仙台はなんでも第二で、軍は第二師団、海上保安部も第二管区、
旧制高校は仙台が二高、京都は三高・・・
あと、北仙台といえば仙台浅草
オラも昔はよく行ってたんだけんど、
たいがい別んとこでベロベロになってから引きずられて行ってたんで、
どの店で飲んでたのかさっぱり覚えてねぇ~
人車軌道ってのは、マッチ箱みたいな客車を、人間が押して走らせる鉄道です。現存する唯一の客車が宮城県の松山に残っています。大宮鉄道博物館にはレプリカがありますよ。
小田原熱海周辺が発祥の地で、人車を動力化する工事のお話が芥川の「トロッコ」ですね。
仙台の人車もやがて動力化され、中新田方面まで繋がりました。軽便の仙台鉄道ですね。モータリゼーションの影響と台風被害によって廃止されてしまいましたが、ものすごく乗ってみたかったです。
仙山線は全線を5回ほど乗車しております。鉄の世界では人気の高い路線です。「おもしろやま」を通りますしね。県庁所在地の都市のみを走行するってのも、貴重です。
作並は実験用の新型電気機関車と蒸気機関車が同居する見ごたえ満載の機関庫があって、当時は鉄の聖地ではありました。
市電は「通学」に使っていた最後の世代かもしれません。仙台駅前から南町通りを通過し西公園まで。楽しい「通学」でした。車内は暑くて大変でしたが。
で、川内高校は戦前は「仙台二中」ですぜ!
地図を見比べると縮尺関係が難しいね。
トコトコを持ってるとは、駅名の看板でこんな本があるんだと知ったよ。
仙台浅草ありましたね。あそこに勤務の時にわかりました。
今度行って見ます。ちょっと整備されたかな?
んだがら仙台は何でも2なのか?・・・
レプリカまで作って展示しているのですか?
松山に・・・? 駅の辺りにあるんですか?
仙台市電は高1の時に無くなりましたかね~?
いずれ、特集組みますよ? 著作権大丈夫だべが?