日本人乗組員の食事風景とかまど
乗組員180人以上の食事をこの「かまど」で作っていたのですね。
火が燃え広がらないように、焚き口の縁を広く取り、漆喰で
作ると言う工夫がなされていました。
船内での食事ですが、乾飯(ほしいい)といった乾物や漬物など、保存のきく食物
が中心のようですね。
昔は、長い航海の間に食べられるものが限られていましたので、野菜不足などから
ヨーロッパの大航海時代には、壊血病が多く発生したと言われています。
しかし、この慶長遣欧使節団はその記録が残されていません。
おそらく、ビタミンCが多く含まれる仙台味噌を持ち込んでいたからではないでしょうか
ねずみがかなり多く、猫を飼っていたようです。
メインマストです。
内側から見ると、この太さです。
直径90センチです。
「貞山公治家記録」に「帆柱十六間三尺、松ノ木ナリ」とあります。
材質が松なのは、粘りがあり風に強いからだそうです。
破れた帆の修理や交換用の新しい帆を作るのが、大事な仕事です。
日本人水夫はその技術が無かった為、イスパニア水夫に教わりながら行ったようです。
帆を縫う為の針は、先端の断面が三角形になっています。
これは、舵です。この棒を左や右に倒して舵を取っていたのです。
大砲海賊などに襲われた時の為に24門積んでありました。
もう少しお付き合い下さい。つづくクリック
支倉常長とサンファンバウティスタ号はこちらにまとめています。
乗組員180人以上の食事をこの「かまど」で作っていたのですね。
火が燃え広がらないように、焚き口の縁を広く取り、漆喰で
作ると言う工夫がなされていました。
船内での食事ですが、乾飯(ほしいい)といった乾物や漬物など、保存のきく食物
が中心のようですね。
昔は、長い航海の間に食べられるものが限られていましたので、野菜不足などから
ヨーロッパの大航海時代には、壊血病が多く発生したと言われています。
しかし、この慶長遣欧使節団はその記録が残されていません。
おそらく、ビタミンCが多く含まれる仙台味噌を持ち込んでいたからではないでしょうか
ねずみがかなり多く、猫を飼っていたようです。
メインマストです。
内側から見ると、この太さです。
直径90センチです。
「貞山公治家記録」に「帆柱十六間三尺、松ノ木ナリ」とあります。
材質が松なのは、粘りがあり風に強いからだそうです。
破れた帆の修理や交換用の新しい帆を作るのが、大事な仕事です。
日本人水夫はその技術が無かった為、イスパニア水夫に教わりながら行ったようです。
帆を縫う為の針は、先端の断面が三角形になっています。
これは、舵です。この棒を左や右に倒して舵を取っていたのです。
大砲海賊などに襲われた時の為に24門積んでありました。
もう少しお付き合い下さい。つづくクリック
支倉常長とサンファンバウティスタ号はこちらにまとめています。
仙台味噌、偉大ですね。
この船の猫や鼠もヨーロッパに渡ったという訳ですね。
大砲、6人がかりですか。大変なことです。
「太平洋を横断した猫」で、小説書きますか…
それとも、「ヨーロッパに行ったブタ」 でもいいかな?
面白そう(笑)
広大なうみ~
なにが起こっても不思議じゃないですね "^_^"
ねこも~船酔いするんですか? (^_-)-☆
仙台味噌! 醗酵食品持参 大正解です。
日本には帆船しかなかったのに帆のメンテが出来なかったとは意外です。
船内の中を居ながらにして
見せていただいています
ネズミもネコの一緒に暮らしていたのですね
仙台味噌のパワーは凄い
こちらに住んでからは、ず~と仙台味噌を
使っています
レスポンス遅れてすみません。
猫も酔うでしょうね~
いわば迷惑だったかもね??
やっと自宅に戻りました。
よく民謡に、三十五反の帆を巻き上げてとあります。昔の帆船(和船)の絵を見ると単純の帆ですが、この船は、現在に近い形のような?
あまり船に詳しくないのですみません。
知らずに使っていたのでしょうけど。
ねずみはかなりいたようです。
トムとジェリーのような光景が見られたのかも知れませんね。?
いま醗酵しているうちの味噌は・・・どやろ?(・_・)
体に良さそう!
味噌なくして日本人にあらず。
昔、海外に行ってたとき、インスタントの練り味噌と醤油は必需品でした。