亀岡八幡宮
鎮座地:宮城県仙台市青葉区川内亀岡62
御祭神:応神天皇、玉依姫命、神功皇后
例 祭:5月15日
御由緒
文治5年(1119)伊達朝宗(伊達宗家初代当主)相州鎌倉鶴ケ岡八幡宮を伊達郡高子村に勧請した。このとき霊亀出現、依って亀岡と称す。
応永33年岡部梁川に遷座、天文元年伊達稙宗(伊達氏の第14代当主)同郡西山城に遷し、又元亀2年同郡梁川に移す。
天正中政宗伊達より岩手山に移る。
上杉景勝の領地となったので、社司山田宮太夫清重これを憂い弟重之と相謀り、慶長6年密かに神体を護持して伊具郡丸森に到ってこれを政宗に告ぐ、同7年命じて仙台同心町(瀧沢神社)に仮宮を造り安鎮する。
よって宮太夫に米三口を給す。
寛永17年義山公(忠宗)社殿を経営し同年7月遷宮のことを行い、梁川今八幡と称す。
同20年4月始めて神事を行い祭奠稟米五石を寄進す。
天和元年7月肯山公(綱村)社を城坤河内の地に移し大いに土木を起し宮社を造営する。
同3年8月落成15日遷宮して亀岡八幡宮と称し、祭料八石を増し、百石の地を敬進し宮太夫を山田土佐守と改称せしめ神職に定め三十石の地を給与す。
更に社士10人、巫1人、洒掃1人をつけた。
別当寺を亀岡山積宝寺千手院という。歴代の藩主の奉納品多きが中に刀剣、銘備前長船義光の一振は重要文化財に指定されている。(観蹟聞老志、名蹟志、封内風土記、社蔵記録)。
明治4年7月村社に列す。昭和20年7月戦災を被り、旧社殿悉く焼失したので、一本杉の伊達家の氏神の社殿を移し本殿とし、新に幣殿、拝殿其の他の建物を造営して昭和40年10月竣工した。
扁額の文字ですが、大崎八幡宮と同じで「八」の文字は鳩が二羽並んでいますね。
手水舎の水は残念ながら空でした。でも鶴亀が・・・初めての光景ですね。めでたいめでたい!
私の五代遡るご先祖の法名の頭の文字は「鶴」「亀」でした。
先代の狛犬でしょうか、旧社殿の火災の時とか大震災で壊れましたかね。
灯篭も震災で崩れた野でしょう。
境内社:高良玉垂神社 祭神:高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)
御神徳 古くから筑後の国そのものである国魂として人々の衣食住にわたる生活全般をお守りくださるとともに芸能・延命長寿・厄除けの神様として、信仰されて来ました。
近年は家内安全・商材繁盛・交通安全などの信仰もさかんになってきました。
隣には豊受稲荷大明神
一体でになってしまった狛犬、寂しいけど歯を食いしばって頑張っていそう。
鎮座地:宮城県仙台市青葉区川内亀岡62
御祭神:応神天皇、玉依姫命、神功皇后
例 祭:5月15日
御由緒
文治5年(1119)伊達朝宗(伊達宗家初代当主)相州鎌倉鶴ケ岡八幡宮を伊達郡高子村に勧請した。このとき霊亀出現、依って亀岡と称す。
応永33年岡部梁川に遷座、天文元年伊達稙宗(伊達氏の第14代当主)同郡西山城に遷し、又元亀2年同郡梁川に移す。
天正中政宗伊達より岩手山に移る。
上杉景勝の領地となったので、社司山田宮太夫清重これを憂い弟重之と相謀り、慶長6年密かに神体を護持して伊具郡丸森に到ってこれを政宗に告ぐ、同7年命じて仙台同心町(瀧沢神社)に仮宮を造り安鎮する。
よって宮太夫に米三口を給す。
寛永17年義山公(忠宗)社殿を経営し同年7月遷宮のことを行い、梁川今八幡と称す。
同20年4月始めて神事を行い祭奠稟米五石を寄進す。
天和元年7月肯山公(綱村)社を城坤河内の地に移し大いに土木を起し宮社を造営する。
同3年8月落成15日遷宮して亀岡八幡宮と称し、祭料八石を増し、百石の地を敬進し宮太夫を山田土佐守と改称せしめ神職に定め三十石の地を給与す。
更に社士10人、巫1人、洒掃1人をつけた。
別当寺を亀岡山積宝寺千手院という。歴代の藩主の奉納品多きが中に刀剣、銘備前長船義光の一振は重要文化財に指定されている。(観蹟聞老志、名蹟志、封内風土記、社蔵記録)。
明治4年7月村社に列す。昭和20年7月戦災を被り、旧社殿悉く焼失したので、一本杉の伊達家の氏神の社殿を移し本殿とし、新に幣殿、拝殿其の他の建物を造営して昭和40年10月竣工した。
扁額の文字ですが、大崎八幡宮と同じで「八」の文字は鳩が二羽並んでいますね。
手水舎の水は残念ながら空でした。でも鶴亀が・・・初めての光景ですね。めでたいめでたい!
私の五代遡るご先祖の法名の頭の文字は「鶴」「亀」でした。
先代の狛犬でしょうか、旧社殿の火災の時とか大震災で壊れましたかね。
灯篭も震災で崩れた野でしょう。
境内社:高良玉垂神社 祭神:高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)
御神徳 古くから筑後の国そのものである国魂として人々の衣食住にわたる生活全般をお守りくださるとともに芸能・延命長寿・厄除けの神様として、信仰されて来ました。
近年は家内安全・商材繁盛・交通安全などの信仰もさかんになってきました。
隣には豊受稲荷大明神
一体でになってしまった狛犬、寂しいけど歯を食いしばって頑張っていそう。
ほぼ忘れてしまっているのではありますが・・・
八幡様ね~ 自分のイメージでは赤の感じ。
でも何色がどうの・・・という観念がないのでただのイメージですけどね。 赤が自分の中で何かはわかりません。
なんでこんなに神様が居るのか・・・・
きっと必要だったからでしょうね。
で八幡の色は白か青かとイメージしていたんですけどどうも赤っぽく感じてきています。
で高麗っていうのも朝鮮じゃなく、巨勢氏っぽいんです。まあ巨勢氏が朝鮮由来なら同じなんですけど時代が違うというか。でこだわりたいのが武内宿禰は巨勢の関係者じゃないと。
あと生駒という音と同じ三文字をこの前地図で見つけたのが伊古麻都比古という文字ですよ。日本でもとても古くから人がいた場所なのでコマって音が高麗という漢字で騙されちゃいけないとも思ってます。
またこのコマって春日の枚岡とも奈良の春日とも関係深読みしていますよ。
天児屋命を養育していたなら赤の子供を養育していた青(石関係)が八幡には付き物になりなんか馬繋がりでも納得出来るんですけど。
條ウル神遺跡でも馬関係の物がありそうですし、かなり面白くなってきてますよ。
私の八幡探しではどうも色が赤っぽくなってきてます。平泉がどうなのか?鶴岡がどうなのか?そして亀岡がどうなのか?東京の市ヶ谷がどうなのか?かなり気になっております。8012
ネットでみると
武内宿禰説、藤大臣説、彦火火出見尊説、水沼祖神説、景行天皇説、物部祖神説、饒速日命説、香春同神説、新羅神、高麗神説・・・
説があり過ぎですね。それもごっちゃまぜ。
新羅、高麗・・・・朝鮮? 三国史記を思い出した。
ネットの動画でも、三国史記をやってましたが、朝鮮人も日本人も読みたくない本・・・らしいですが、朝鮮人の祖先は倭人だった。みたいな本です。今度読んでみますよ。
高良玉垂を訳すと「高麗の子を養育する」となります。子を養育するとしたら応神天皇の母である神功皇后。応神天皇を幼いころから補佐した武内宿禰が考えられます。
瀬織津姫が移されたとされていますが、瀬織津姫の源流に近い豊受姫が祀られています。
怨霊には武神の考えで瀬織津姫だけ移したのだと考えます。武神では抑えきれないとの考えがあったと思われます。
山形には強い繋がりがあったのですね。
出羽三山信仰は意外と広いようです。
修験道は古来からある信仰ですからね。
宿坊に泊まると護摩祈祷をして仕事で行きましたが、朝も早いし大変でした。
いつか機会が出来たら庄内地方になりますが、是非参拝してください。
デカイ狛犬と日本一厚い茅葺き屋根の社殿が待っています。
でまた笑えるんですけど情報はドンピシャです。
ここんところ行っていた神社に出羽三山の碑があった場所が二ヶ所あります。弁財天と八幡神のお寺と神社です。やっぱり出羽って東京にも影響与えてますね、それも神社にもお寺にもですから意味深いです。
あともう一つ私は父が亡くなる間際に親戚に送って頂き湯殿山にはいきました。なので羽黒はまだ行けてません。その後父の関係ありそうなお不動さんの近くの八幡でも羽黒の境内社がありいつか行くだろうとは思ってました。紀州様絡みでも羽黒出て来ましたよ。熊野系ですが。
あとお友達の動きが、江ノ島と羽黒は連動していたんで何だかさらに興味深いです。玉子が関係するようなので蛇関係かもしれませんね。
1000年って鎌倉にはあったという事?凄い生き字引のおじいちゃん、爺杉にはいつか会いに行きます。
情報ありがとうございました。7980
車で上まで上がれますが、上に直接行けば階段を下りてくればOK。
手向(とおげ)という宿坊のある下から階段を上るのがこのコースです。
https://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/7467c3767a751c5aecab36dab84a40a9
先日、駅伝が行われましたね。 自分は一周忌で市内のお寺に行ってましたよ。
尾島町から歩いてあの坂を登ると酔いが回ります。ww
おまけに金欠でどうなるものか?とヒヤヒヤしていたら臨時のお金3件も今日入ってきてびっくりです。何とか餓死しないで済みそうです。
うちの関係者は洞窟の前で大亀が暴れていてその向こうに洞窟があり犬が見張り番していてこわかったらしいと。
江ノ島も洞窟ですよね、いった事ないですけど。
亀は東北にも行ってますよね、きっと。
そうそう最近行く所に杉も多いんですよ。
東北に杉で有名な所あったらお知らせ下さいね。
イチイガシでもいいです。6820
それぞれの民族が役割分担して共存出来ていたはず。それが東北でしょうね。でこの記事は亀岡八幡さんですね。そう昨日酉の市で八幡宮で熊手頂いてきました。貴景勝も優勝しましたけど貴って出雲系っぽく思うんですよね。役割を男系で継承していく役割。うちの父は男の子いなかったので私が継承したいとも。ひーさんは息子さんのいるみたいですし、それだけで安心です。直系でなくても継承出来るなら子供でもと狙っています。
私は某文化部部長様でしたので川内の奥の方にはあんまり縁はなかったのですが。
そういえば兄は私の部室の隣の部室の部長でした....
昨日の社会人女子駅伝。毎年の如く校門前がアンカーへの中継所になってました。
大手門が望め道もよく樹木に覆われ川内は走るのに見栄えが良いのでしょう。
ちなみに塩釜から多賀城への駅伝コースは毎回レースよりも周辺の景色ばかり見入ってしまいます。
三小入り口から下馬への上り坂。そんな場面でぐっと来たのは私ぐらいでしょうけれど.....
後から気づいたわけでした。 自家用車でいったのでチョット疲れていたのもあって橋渡って江ノ電に乗るつもりでしたが、歩きたくなくて結局、車でまわりました。
あの時生まれて初めて見たのが、「雲が立つ」と朝の番組や天気予報で話していました。
下からモクモクと湧くように黒い雲が立ちあがっていたのです。表現が難しいのですが、チョット不気味でしたよ。
住吉さんですが無くはないですよ。小さな社が多いかも、今度見つけたら寄ってみます。
ちなみに仙台には「住吉台」って地名はありますがww
伊達さんは八幡さんというのも分かります。
でこれにも亀関係してそうですよね。
あと東北とくに宮城には住吉ってないですよね?
今気になっている所は住吉あるんですけど、おまけに今間違って住吉に来ちゃって焦ってます。
なんかね、かぶってきそうですよ。
文殊と亀岡と住吉と全部赤っぽいんです。
個人的な感覚ですけどね。江ノ島はどうかな?
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山形に行ったら寄ってきますよ。何度か行ってるのですが、ブログやる前だったので。
亀で思い出しました、こちらの亀は生きてる亀で江の島にいたなとふと思い出しました。
狛犬、その通りですね。
狛犬は昔このようにいわれていました。HPに書いてあるのですが。
左獅子、於色黄、開口。右胡摩犬、於色白、不開口、在角
これは神殿から見ての向きなので、向かい合うと逆になります。
つまり、右側が獅子で開口、左が胡摩犬で不開口です。ってことですね。 でも意外と逆のパターンも見受けられますね。 狛犬中心に回っていたのが最初でしたが、それから神社になり、最近は祭神も気を付けるようになってきました。
伊達家は昔から「八幡さま」がメインかも、それと武運とか勝利にはかなり力が入っています。戦国武将らしいですね。
ここ凄い、応神さんと玉依さんがいるんですね!それでもうオッケーです。でおまけに玉垂さんはずっと追ってます。鶴の鎌倉から亀の仙台って歴史の中でもとっても意味ありそうな民族いそうですね。おまけに色合いが偏っていないので両方がいるのも素敵。場所確認してみます。
で阿吽逆っぽく思うんですけどどうですか?
あと毛の生えている亀も気になりますね。昔は大亀と子亀を探してましたけどここにいそう。で玉依さんいたら安心です。いよいよ座敷童子が化ける可能性ありますよ。
仙台さすが凄いです。八幡はやっぱり東北が一番ホームのように思いますよ。5594