荒羽袛神社
アラハバキ・・・最近は自分の大きな課題の一つになって参りました。
ホームページにまとめていますが、もう少しわかりやすく改良しようと思っています。
律令政権になる前には多くのアラハバキ神社があったはずです。
その神は門客神として隅に追いやられたり、社殿の名前を変えられたり体制側から大きな圧力があったのでしょう。
このアラハバキは庶民の生活と一体になり住居の近くにあったり、田園の中又は山の置くにひっそりと佇ずんでいたりします。
古くから人々が祈り守ってきた大元の神なのです。
今は、手厚く守られているアラハバキ神社は少なくなりました。
今回の荒羽袛神社は立派に保存されていました。
関係書籍の住所をあてに探していますが、町名が合併の為変わってしまい手間がかかっています。
祭神や由来は時代と共に変わってきたと想像がつきます。
文字にして残った由来は、奈良・平安~江戸時代に出来たものでしょう。
前置が長くなりました。
由来
昔、この地域の肝煎(代表者)であった藤原小右衛門の先祖が東山に山仕事の折、喉の渇きから谷川の水を汲みに降りたところ、側に木造観音があるのを見つけ、あまりにも厳かに感じたことから、脛巾(はばき)に包んで家に持ち帰り、御堂を建て藤原家の氏神として祀ったとされ、それがアラハバキの観音様と言われるようになった由来とされている。
荒羽袛神社の創立は不詳であるが、文政十年(1829)創立と古文書に見える。
明治三年六月十七日再建
明治六年八月村社に列す。
昭和四十五年七月三十日落雷により一部を消失、同年十一月再建と同時にこれまで南向きにあった正面を東向きに換え現在に至る。
石碑による
上記の由来を読むと、創立が不詳なのに、名前まで出てきますから、本当の由来で無いことがわかります。
つまり、通称、アラハバキ観音と呼ばれるようになった由来だと思います。
鎮座地:秋田県仙北郡美郷町安城寺字柳原198 (旧千畑町)
御祭神:火産霊神(ほむすびのかみ)
境内社:稲荷神社・馬頭観音社
境内社ですが、中を覗きましたら向って左側に木彫りの馬がいましたので、馬頭観音社でしょう。
消去法でいけば、右側が稲荷神社になりますね。
狛犬君も寒さに耐えじっと座っております。
昭和十四年己卯 旧三月十七日 と彫られています。
なかなか味わいのある狛犬君です。
社殿の周りを一周しましたら、大きな杉の木に荒縄がグルグルと巻かれていました。
何か曰くがあるのでは??と写真を撮って置きました。
この後、次の神社でも見かけました。意外な祭りと繋がるかも知れません。
いまは社殿の裏になっていますが、向きを変えて再建した・・・とありますので昔は社殿の横にあったことになります。
その祭りは後程検証させていただきます。
「あらはばき」はこちらにまとめています。
「アラハバキと謎の古代史」
アラハバキ・・・最近は自分の大きな課題の一つになって参りました。
ホームページにまとめていますが、もう少しわかりやすく改良しようと思っています。
律令政権になる前には多くのアラハバキ神社があったはずです。
その神は門客神として隅に追いやられたり、社殿の名前を変えられたり体制側から大きな圧力があったのでしょう。
このアラハバキは庶民の生活と一体になり住居の近くにあったり、田園の中又は山の置くにひっそりと佇ずんでいたりします。
古くから人々が祈り守ってきた大元の神なのです。
今は、手厚く守られているアラハバキ神社は少なくなりました。
今回の荒羽袛神社は立派に保存されていました。
関係書籍の住所をあてに探していますが、町名が合併の為変わってしまい手間がかかっています。
祭神や由来は時代と共に変わってきたと想像がつきます。
文字にして残った由来は、奈良・平安~江戸時代に出来たものでしょう。
前置が長くなりました。
由来
昔、この地域の肝煎(代表者)であった藤原小右衛門の先祖が東山に山仕事の折、喉の渇きから谷川の水を汲みに降りたところ、側に木造観音があるのを見つけ、あまりにも厳かに感じたことから、脛巾(はばき)に包んで家に持ち帰り、御堂を建て藤原家の氏神として祀ったとされ、それがアラハバキの観音様と言われるようになった由来とされている。
荒羽袛神社の創立は不詳であるが、文政十年(1829)創立と古文書に見える。
明治三年六月十七日再建
明治六年八月村社に列す。
昭和四十五年七月三十日落雷により一部を消失、同年十一月再建と同時にこれまで南向きにあった正面を東向きに換え現在に至る。
石碑による
上記の由来を読むと、創立が不詳なのに、名前まで出てきますから、本当の由来で無いことがわかります。
つまり、通称、アラハバキ観音と呼ばれるようになった由来だと思います。
鎮座地:秋田県仙北郡美郷町安城寺字柳原198 (旧千畑町)
御祭神:火産霊神(ほむすびのかみ)
境内社:稲荷神社・馬頭観音社
境内社ですが、中を覗きましたら向って左側に木彫りの馬がいましたので、馬頭観音社でしょう。
消去法でいけば、右側が稲荷神社になりますね。
狛犬君も寒さに耐えじっと座っております。
昭和十四年己卯 旧三月十七日 と彫られています。
なかなか味わいのある狛犬君です。
社殿の周りを一周しましたら、大きな杉の木に荒縄がグルグルと巻かれていました。
何か曰くがあるのでは??と写真を撮って置きました。
この後、次の神社でも見かけました。意外な祭りと繋がるかも知れません。
いまは社殿の裏になっていますが、向きを変えて再建した・・・とありますので昔は社殿の横にあったことになります。
その祭りは後程検証させていただきます。
「あらはばき」はこちらにまとめています。
「アラハバキと謎の古代史」
おっ 両部鳥居が♪
雪中行軍 お疲れ様でした。
面白い狛ちゃんですね~
両部鳥居が多いのは青森県でしたが、何故なのか!?
風雪に耐えられる為ですかね。 ?
森が切ってもきれないものですが
こういう田んぼの中
って 多いんでしょう~か
八幡神社どこにもでもありますが、この神社やこの神様は少ないですから、達成感があります。
こちらもそれは変わりません。
しかし、田舎を走っていると田んぼの真ん中に松ノ木があって小さな祠があります。
私は、これが古代から続く地元の人が祈った最初の信仰だと思います。
天候が悪ければ、太陽を祈り雨が降らなければ雨乞いをし、自然信仰が原点だと思います。
だから、道路を走っていると、何を祀っているのか知りたくてしかたないのです。
この呼び名に違和感があった酔漢です。
荒羽袛神社。場所が分からず、まだ参拝しておりませんでした。
神社を探すのに、小高い丘と森を見ますので、解らなかったのかも知れません。
勉強になりました。
この神社の場合は、小さな祠が昔からあって、そこに観音様をお祭りし、後の村人達が大事に継承してきたのでしょう。
明治になれば、色々な圧力が出てきますから、主祭神が変わることは、普通にありましたね。