アラハバキ神社 この文字は、またもや表示できず。
鎮座地:福島県会津若松市湊町大字赤井
祭 神:塩椎神(しおつちのかみ)
「古事記」では塩椎神と表記していますが、「日本書紀」・「先代旧事本紀」では
塩土老翁・塩筒老翁と表記しています。つまり鹽竈神社の祭神と一緒になりますね。 多賀城の荒脛巾神社は鹽竃神社の末社とされていますから、つながりを感じます。
今回で、アラハバキに関する神社は七社目になりました。
相変わらず、詳しい由来はありません。
しかし、明らかに荒脛巾神社と扁額に書いてある神社を見ると、間違いなく古来から守り続けられていたことの証しだと思います。 由来が書いてある社は、市町村の調べで近年(江戸時代?)から庶民に伝えられている謂れを書いているものと思われます。 根本的な神の存在については語られていません。
由緒が無いと言うのは、かなりの古社である証拠なのかも知れません。
初めての方はホームページに纏めています。
この地名の由来は、かつて赤い水の出る井戸があったことが由来となっています。
猪苗代湖から西側にありR294の強清水からおよそ3.5km南下したところです。
白河街道の駅所で、代々田中家が問屋を務めていたそうです。
北側に戸ノ口原・赤井谷地があり、白虎士中二番隊の退却経路として有名です。
地名の由来の赤い水ですが、鉄分の多い赤い水のことではと想像しております。
この町に入った時道路の中央に融雪用の散水の設備がありました。
あれは地下水を使用しますので、道路は水の影響で赤くなっていました。
水質が鉄分を多く含む引用には適さない水であることがわかります。
さて、本題に入りましょう。
第一の鳥居の前には石塔や石碑・石灯篭などが見えますが、手前の高い石塔には「古峰神社」と刻まれています。 宮城も古峰講中は盛んですが、福島でも同じようですね。
古峰神社は栃木県鹿沼市に鎮座しますが、多くの講中が見られます。
これは何の神なのか?地蔵なのか?不明
第二の鳥居
石の鳥居ですが、補強されていますね。
第三の鳥居 これが一番古いと思われます。唯一木製であること、またこの鳥居の前に狛犬が居ました。
第四の鳥居
狛犬ですが、右阿形で口の中には玉が・・・吽形は玉取りですから普通は子取りなのですが、ここでは花が置かれています。
このような花を見たのは二度目です。 他に見たのは、仙台の伊達政宗を祀る青葉神社です。
どんな意味があるのかはまだ私にはわかりません。
この狛犬は大正五年に伊勢神宮参拝の記念と彫られていますね。
本殿です。
扁額は簡素な板で出来ていますが、神社では無く「アラハバキ宮」の文字が見えますね。
本殿横にある境内社は何なのでしょう。
神社名や祭神はわかりません? 中にはこのような像が見えました。仏像でしょうか?
それとも神を象った像でしょうか。
横には・・・
奥にも・・・ 祠の中に祭神を書いたと思われる板が見えましたが文字は消えていました。
石碑には、「村社」の文字が・・・
反対側にも・・・
裏の大木の根元には、古い注連縄や鈴が置いてありました。
重要なヒントを見つけました。 地元の人が作った旗の文字です。
水分神(みくまりのかみ)と関係があるのでは? この記事は仁渡神社 /雲水神社
大きな謎を残したまま立ち去りましたが、地元の古老に聞きたいものです。
社殿の周りはかなりの大木がそびえ囲まれていました。
「あらはばき」はこちらにまとめています。
「アラハバキと謎の古代史」
鎮座地:福島県会津若松市湊町大字赤井
祭 神:塩椎神(しおつちのかみ)
「古事記」では塩椎神と表記していますが、「日本書紀」・「先代旧事本紀」では
塩土老翁・塩筒老翁と表記しています。つまり鹽竈神社の祭神と一緒になりますね。 多賀城の荒脛巾神社は鹽竃神社の末社とされていますから、つながりを感じます。
今回で、アラハバキに関する神社は七社目になりました。
相変わらず、詳しい由来はありません。
しかし、明らかに荒脛巾神社と扁額に書いてある神社を見ると、間違いなく古来から守り続けられていたことの証しだと思います。 由来が書いてある社は、市町村の調べで近年(江戸時代?)から庶民に伝えられている謂れを書いているものと思われます。 根本的な神の存在については語られていません。
由緒が無いと言うのは、かなりの古社である証拠なのかも知れません。
初めての方はホームページに纏めています。
この地名の由来は、かつて赤い水の出る井戸があったことが由来となっています。
猪苗代湖から西側にありR294の強清水からおよそ3.5km南下したところです。
白河街道の駅所で、代々田中家が問屋を務めていたそうです。
北側に戸ノ口原・赤井谷地があり、白虎士中二番隊の退却経路として有名です。
地名の由来の赤い水ですが、鉄分の多い赤い水のことではと想像しております。
この町に入った時道路の中央に融雪用の散水の設備がありました。
あれは地下水を使用しますので、道路は水の影響で赤くなっていました。
水質が鉄分を多く含む引用には適さない水であることがわかります。
さて、本題に入りましょう。
第一の鳥居の前には石塔や石碑・石灯篭などが見えますが、手前の高い石塔には「古峰神社」と刻まれています。 宮城も古峰講中は盛んですが、福島でも同じようですね。
古峰神社は栃木県鹿沼市に鎮座しますが、多くの講中が見られます。
これは何の神なのか?地蔵なのか?不明
第二の鳥居
石の鳥居ですが、補強されていますね。
第三の鳥居 これが一番古いと思われます。唯一木製であること、またこの鳥居の前に狛犬が居ました。
第四の鳥居
狛犬ですが、右阿形で口の中には玉が・・・吽形は玉取りですから普通は子取りなのですが、ここでは花が置かれています。
このような花を見たのは二度目です。 他に見たのは、仙台の伊達政宗を祀る青葉神社です。
どんな意味があるのかはまだ私にはわかりません。
この狛犬は大正五年に伊勢神宮参拝の記念と彫られていますね。
本殿です。
扁額は簡素な板で出来ていますが、神社では無く「アラハバキ宮」の文字が見えますね。
本殿横にある境内社は何なのでしょう。
神社名や祭神はわかりません? 中にはこのような像が見えました。仏像でしょうか?
それとも神を象った像でしょうか。
横には・・・
奥にも・・・ 祠の中に祭神を書いたと思われる板が見えましたが文字は消えていました。
石碑には、「村社」の文字が・・・
反対側にも・・・
裏の大木の根元には、古い注連縄や鈴が置いてありました。
重要なヒントを見つけました。 地元の人が作った旗の文字です。
水分神(みくまりのかみ)と関係があるのでは? この記事は仁渡神社 /雲水神社
大きな謎を残したまま立ち去りましたが、地元の古老に聞きたいものです。
社殿の周りはかなりの大木がそびえ囲まれていました。
「あらはばき」はこちらにまとめています。
「アラハバキと謎の古代史」
この規模で四の鳥居まであるのは希有。
それに、子取りぢゃなく、花取りというのも珍しいですねぇ
ひーさんの細かい観察には脱帽です。
この短な参道も改修された記録もありました。
伊勢神宮参拝記念は、多分深い意味は無く伊勢神宮もこの荒脛巾神社も同じような感覚で神社として見ているのでしょう。
私からすると、違う意味で関係があるのでは?
と想像を膨らませて楽しんでいますが。
融雪の赤い道も、すぐに思い出せます!
今まで、気にも留めなかった場所にマイブームのアラハバキ神社があるとは・・・。
今度帰省した際には、夫に連れて行ってもらいます。(自分の運転に自信がないため・・・笑)
赤い川は「長瀬川」でしょうか?
酸性度が強く、猪苗代湖の水質を保つ川と言われていましたが、最近では生活排水で酸性度が弱まっているようです。
狛犬も、ひーさんの影響でよく観察るようになりました。阿吽は現世と死後をあらわしているんでしたっけ?(瑞宝殿に書いてあったような・・・)
最近仕事が過酷で、ずっと携帯からアクセスしていたため、写真をゆっくり見られませんでしたが、巨木の写真はさすがひーさんですね。
ケヤキでしょうか?
立派な佇まいです。
ちなみに神指城跡も老ケヤキで有名です。
そして住所が気になりますね。「湊町大字赤井」。
福島は「浮島」が語源で、会津も昔は湿地帯だったようですので、川湊から湊町となったと思われます。
そして「赤井」。アラハバキ神は金属神でもありますから、鉄分の多い赤い水となるのも頷けます。
ただ、気になるのが金色の仏像です。仏教が入っていると言う事は、「赤井」は「閼伽井」から来ている、もしくは、来ている事にしてしまった、とも言えます。
「水分様」は発見でしたね。
アイヌ人は神様をカムイと呼びますか。多くのカムイがいますが、一番最上位のカムイは川のカムイです。アイヌ人は川を蛇と考え、河口が頭で上流が尻尾。つまり海にいるシャケを捕まえて、アイヌ達に施しているから一番尊いと考えている様です。
もっともカムイのカムは、「カ(蛇)、ム(産む)」、つまり蛇を産む。簡単に言うと「女性の蛇」と言う意味らしいです。
カムイから神となったのなら、神は女性だと言う事になります。
最後にその名の無い仏像については、中々説明しずらい点がありますので、またの機会に。
ではでは。
ではでは。
西日本・東日本はやはり大きな文化の違いがあると思います。 根底に流れる血は、といいますかDNAが記憶しているのでしょう。
混血が進み、ハッキリしなくなっているかも知れませんがね。民族的なことを話すには、遠慮は要りませんよ(笑)
この辺を通るのですか? ナビがあればGoogleマップと照らし合わせて行けばわかると思います。
マップには荒脛巾神社と表記しています。
大きな家ばかりで驚きましたよ。
湊町という地名が不思議です。
それから、エミシの本もまだ手付かずで読んでいないのです。 読時間が無くて図書館に帰してしまいましたが、しっかりコピーをしておいたので読みたいと考えています。
アイヌについても私の中の課題です。
会津の語源を見ると川の合流・・つまり川の相するところ、相津→青津→会津などが見られます。
川と津(湊)は大きく関係してきますね。
ここは、もう少し調べたいところですね。
いかに、素通りしていたか。反省。
謂れのない神社など存在しない。
最近、これを頭の中にいれて、参拝するようになりました。
私の地区(300世帯くらい)には
八社ありますよ
それは鎮魂なわけで、疫病や自然災害が何者かによって惹き起こされているとすれば、それを鎮めようと祀られるケースもありますね。
注連縄はそこから出ないように封じる意味もあるようです 。
それにしてもこの花の意味がわかりません。
写真を撮りながらこの花は何の花だろうと考えてました。
数えられます。
村社は神社の格式ですね。
まぁ、ここに何社も要らないでしょう。
普通に地図を見ると街の中に沢山の神社があります。
多賀城も近隣の町にもです。それは驚くほどです。
多分江戸時代に普及したのでしょう。
でもどこの小さな神社でも祭神があります。
この神社には決められた神の存在が見えません。
同じ神社名が沢山あるのにどこも由緒がありません。
アラハバキ神と判断してもいいのですが、証拠もありません。
だから興味が沸くのです。(笑)
大和朝廷に近い大きな町では、その圧力で古来の神に替わり、押し付けられた天孫族系の神に入れ替わりました。そしてアラハバキは門客神と呼ばれて境内の隅に追いやられたのです。
大社にもあるはずです。
まずそこから拝みなさいと聞いた事はありませんか?
しかし、このような場所まで勢力は届かなかったのでしょう。現在まで地域の人に守られてきたのです。
多賀城の政庁跡の近くにもありますが、ここが生き残ったのは別の理由があるようです。