
正宮であるこの宮は通称「内宮」と呼ばれるが、正式には「皇大神宮」という。
『日本書紀』養老4年(720年)の本文には「崇神天皇6年、天皇大殿の内裏(だいり)に祀られていた天照大御神を豊鍬入姫命に託して元伊勢と呼ばれる笠縫邑(かさぬいのむら)に移す。続く垂仁天皇の御代に豊鍬入姫命に代わり、倭姫命が天照大御神を祀るようになる」とある。
伊勢神宮の中心であり、最も尊いお宮である内宮へのお参りこそ。お伊勢参りのメインイベントなのかも知れない。
境内は深い森に囲まれ、その宮域は五千五百万平米あり、そのうち93万平米の神域は二千年前の御鎮座以来、斧を入れていない。
後ほど記事にするが伊勢神宮のルーツとされる瀧原宮に行くとこの内宮とそっくりなのがわかる。
大神の遥宮と呼ばれる。

なぜ内宮は右側通行で外宮が左側通行なのか?
簡単です。手水舎がある方を通るようにしています。通行区分の反対側にあったら人の流れが乱れてしまいますからね。
宇治橋

木除け杭
台風などで流れてきた木材が橋に直接当たらないように守る杭。







五十鈴川御手洗場
聖なる河五十鈴川(御裳濯川:みもすそがわ)
伊勢神宮をこの地に祀った倭姫命が長旅で汚れた着物の裾を濯ぎ洗ったことから御裳濯川とも言われています。
神様に仕える人たちが、五十鈴川で身を清める儀式、「禊(みそぎ)」
まさに五十鈴川は伊勢神宮と切っても切れない川なのです。






正宮







この造りが神殿と同じといわれる










子安神社
祭神は、木華開耶姫命で大山祗神社と同境内に建つ。
天照大御神の孫である瓊瓊杵尊に見初められ妻となった。一夜のうちに懐妊し、生涯三柱の神をもうけた。
縁結びや厄除け、子授けに安産と女性に御利益があり、信仰は古より盛ん。


『日本書紀』養老4年(720年)の本文には「崇神天皇6年、天皇大殿の内裏(だいり)に祀られていた天照大御神を豊鍬入姫命に託して元伊勢と呼ばれる笠縫邑(かさぬいのむら)に移す。続く垂仁天皇の御代に豊鍬入姫命に代わり、倭姫命が天照大御神を祀るようになる」とある。
伊勢神宮の中心であり、最も尊いお宮である内宮へのお参りこそ。お伊勢参りのメインイベントなのかも知れない。
境内は深い森に囲まれ、その宮域は五千五百万平米あり、そのうち93万平米の神域は二千年前の御鎮座以来、斧を入れていない。
後ほど記事にするが伊勢神宮のルーツとされる瀧原宮に行くとこの内宮とそっくりなのがわかる。
大神の遥宮と呼ばれる。

なぜ内宮は右側通行で外宮が左側通行なのか?
簡単です。手水舎がある方を通るようにしています。通行区分の反対側にあったら人の流れが乱れてしまいますからね。
宇治橋

木除け杭
台風などで流れてきた木材が橋に直接当たらないように守る杭。







五十鈴川御手洗場
聖なる河五十鈴川(御裳濯川:みもすそがわ)
伊勢神宮をこの地に祀った倭姫命が長旅で汚れた着物の裾を濯ぎ洗ったことから御裳濯川とも言われています。
神様に仕える人たちが、五十鈴川で身を清める儀式、「禊(みそぎ)」
まさに五十鈴川は伊勢神宮と切っても切れない川なのです。






正宮







この造りが神殿と同じといわれる










子安神社
祭神は、木華開耶姫命で大山祗神社と同境内に建つ。
天照大御神の孫である瓊瓊杵尊に見初められ妻となった。一夜のうちに懐妊し、生涯三柱の神をもうけた。
縁結びや厄除け、子授けに安産と女性に御利益があり、信仰は古より盛ん。



昔中学の修学旅行前に神社とかの屋根調べて丸写しした記憶ありますけど頭にはなにも残っていなくて造りとかの視点は残念ながらないので記事は、いいきっかけになりそうです。瀧野宮は行かなかったので凄い興味あります。
擬宝珠の写真は、何度みてもお気に入りです。
物事を決めるのは、その時の感情とかで決めるのは簡単です。ただそれを文化にするためにはその事自体の目的がとても崇高な誰がみても評価に値するものでないと廃れます。強制したからいってそれは文化にはなりません。
そういう意味でも伊勢の風習は、自然や材料を大事に育てる期間やまたそれを大切につかい機能的にダメになる前に譲る事で再利用の精神をも持ち合わせています。もったいないの精神は、外国ではないですからね。あと必要最小限の精神も少ないでしょうね。
それが出来る理由は、実際やる職人さんの意向がきちんと反映されているからだとも思います。
木材もどう使ってどうお下がりするか全てを把握している関係が実務とまた調達や費用計算にも関わらないとあり得ない事だと思います。ちゃんと汲み取る事も出来る組織だとも思います。
残念ながら今の時代建築も、発注者はコストを安く、仲介者は発注者のいいなりで建築の知識と材料原価計算も出来ないので実際に建築する方に無理強いするような世の中。で物に手抜きが起こったり作業する方の安全が考慮されなかったり。流通も搬送業もそうでしたけど少しづつ人間にしわ寄せが来ているので変わってきてますね。
お互い自分の事だけ上手くやろうと思ったら出来ないのが物造りの循環での協力です。それが出来ていたというのは本当凄いですよね、日本は。
神ゆえ、譲れない物もあり護られていた物。
神以外の分野も見習ってお互い譲れない物を大事にして丸投げで儲ける姿勢はやめて欲しいですね。トンネル事故の事が先ほどやっていましたけど現場と責任者の知識の温度差は全ての事故の原因にも思います。物の強度とそこに働く者の安全と妥当な利益配分さえしてればこんな事にもならないのでしょう。また作った物に対して一生責任を持ち続けるような精神も見習って欲しいなあと。
妥協出来ない気持ちこそが美しさもまた強度も安全もまた耐久性も生むのだと思います。
そうした精神を持つ者や生み出した物へはお金で評価ではなく気持ちで評価するような世の中になるといいですね。循環システムこそ協調性の賜物で指示しなくても阿吽出来たんでしょうね。
感じる能力は忖度ではなく違う方向に使うと日本は明るいはず、伊勢を見習いたいですね。
大山さんと子安さんは意識していきましたね。懐かしいです。大事な境内社だと思ってます。
7638、5424
次の二十年先に向けて準備は始まっているのでしょうね。
写真を撮ってきて良かったと思うのは、あの時の時間を止めてじっくり見ることができます。
流れに沿って歩きまわっているとその時の光景を忘れることがあります。
今、こうだったな~と実感しているところです。