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ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

定義道・・・定義如来と平家落人伝説 5

2009年12月20日 19時19分17秒 | 仙台市内の散歩道
定義道・・・定義如来と平家落人伝説 5

大倉の地

仙台藩の領地になるまでは、このの人々は平氏を偲び他のとの縁組を許さず。
純血を守ることに平氏の誇りを感じていたのです。
明治初年にあたりにこんなことがあったそうです。
村芝居が行われていた頃定義に舞台を一の谷合戦記を上演した時、あちこちから物が投げられて遂に中止させられたり上演中舞台が急に倒壊したこともあったといいます。
それ以来定義では芝居の上演は止めたそうです。

さて、この地を一般的に大倉と言いますが、厳密には大倉があります。
伝説には、鎌倉源氏の子孫大倉蔵人重義を始祖とする大倉家が故あって遠く陸奥の地に逃れこの地大倉の山里に隠棲したとあり、平家落人と「お互い仲良くしよう」と申し合わせたという語り伝えが残っています。

また、定義如来入り口(国道48号線)の近く作並方面に行くと新川(にっかわ)というところがあります。
そこには、源氏の勇将源義経の奥州下りの道中たまたま平家落人平貞能と出会い、敵味方なく睦まじく夜を明かしたと言う伝説の「ほととぎす塚」があると言う。

また、時代は下って戊辰の役、義勇軍(からす組)隊長仙台藩細谷十太夫や奥州鎮撫の参謀、長州藩の世良修蔵を斬殺した志士が厳しい追及に一時隠れ住んだのが天狗茶屋とか・・・・定義温泉とも伝えられています。


ぢゃう義道

定義の里に通じる道には、白木、矢籠、青下、大倉とありどの道も山道で峠や峰を通っている。
定義の里と合わせて五がこの道で結ばれていて密接な連絡がとれていた。
これは、防備の為に五人の従臣を配置し前線基地として固めたものと思われます。
その道端には、いくつもの石碑がいたるところに置いてあるが、その一つに「左ぢゃう義道」とかかれた道標があります。


左から2番目です。





この石碑は安政四年の物のようです。
しかし、この石は昔は、北谷地から白木にあったもののようです。
確かにこの分岐の左は旧街道ですが、崖崩れが多く今は不通です。
それは、さておき、先人達はこの道を歩いていたのでしょう。
かつては古街道としダムを横断した岩出山街道または、秀衡街道と呼ばれていた古い道があったのです。
伊達家が岩出山に居城していた頃は、山形方面への軍道としての最短通路で通行人も多かったと聞きます。
また、奥州藤原の平泉文化が最上へ流入した道としても考えられているようです。
これらのダムをおうだんした道はダムの水底になってしまいました。
水没した村は栗生20軒、日向が40軒で合計60軒でした。



定義へ向かう其々の道筋には、こんな石碑がありました。





寿連坂あたり




日向上あたり


大倉小前







石碑・・・よりも石塔の表示がいいですかね。

次回は、昔の参詣者が仙台から歩いた道程を追ってみました。

つづく

ホームページに纏めています。
定義如来1
定義如来2

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14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
inehapo (ひー)
2015-10-26 13:55:36
コメントありがとうございます。
詳しく一個一個写真に撮っても良かったかもしれませんね。
「石」は、やはり宗教的に色々な形で存在しますね。
天然石はブレスレット(数珠)にも使われますし、天然石の見えない力に人は信仰感をも持ちます。
それから、「石を積む」という行為もありますね。山に行ったらよく見られます。恐山には沢山石が積み上げられていますね。「一つ積んでは母のため、♪一つ積んでは父のため」幼子が石を積んでいるとそこに鬼が現れ積んだ石を蹴とばすという。話があります。
そのような行為は祈願する心なのでしょうか?
一個の石から彫るという意味では念を込めることができそうですね。
大きな石も信仰の対象ですね。
狛犬も手水も・・・
雷神を彫って雨乞いの儀式をする。慈母観音を見て我が子の成長を祈願する。民衆には欠かせない石仏ですが石が一番ありがたいと思いますね。
お地蔵さんを含む多くの石仏は屋外にありますから、科学的にも耐久性ということからも理に適っています。」 記録する。後世に残す。何度も作らない。
結論:私にはまだわかりません。
これからは石仏にも興味を持って過ごしたいと思います。
返信する
定義山の石 (inehapo)
2015-10-25 14:54:16
先日、紅葉を見に定義山へ行ってきましたが、道沿いに石碑が幾つかありました。車で通過ぎただけなので、どんな石碑なのかな、とネットで検索していたら、ひーさんのブログが。
聞いたことない名前の碑もあるんですね。いろんな石碑があるな~と、感心していました。信仰に石を求めるのは、なんでしょうね。道しるべだけではなさそうですが、逃げてきた平家の思いも感じます。
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ミモザさんへ (ひー)
2009-12-22 13:41:39
恐縮です。
写真をボーッと眺めてもらうだけでいいのです。
こ難しい記事にコメントをいただくだけで申し訳ない思いです。
返信する
正しく歴史ですね。 (ミモザ)
2009-12-22 07:54:21
お早うございます~♪
丹念によく調べられていますね。
ひーさんのライフワークを見ているようです。
いい趣味で見ている方も真剣に見なければ
いけないような・・・
石塔も多いし、ダムの犠牲になったも
多かったのですね。
次回も楽しみにしています。
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酔漢さんへ (ひー)
2009-12-21 20:16:02
いいですよ~
暮れやら年始の準備やら…何かと忙しいことでしょう。
衣食住は、人間にとって大事ですからね。その一部を担っているわけですから、頑張って下さい。
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この辺りを自転車で・・ (酔漢です )
2009-12-21 17:52:11
走りますと、石碑が多い事に気づきます。
ですが、その1つ1つの意味を感ずることがないまま通り過ぎておりました。
石碑1つにも大きな意味があることは、後に知ったことなのですが。
石塔の表示ですね。なるほどと思いました。
定義山、油揚げを買って帰りました。

お久しぶりでございました。
ご無沙汰していて申し訳ございません。
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クロンシュタットさんへ (ひー)
2009-12-21 07:35:27
確かに落人だらけかも、>鎌倉源氏の子孫大倉蔵人重義を始祖とする大倉家・・・と書きましたが、これについて来た家臣達がいます。
小さいなので名は伏せましたが、友人が居ましててっきり平家方かと思ってましたら、その家臣の末裔かと思われます。
かなり、源平が入り乱れましたね。
それでいいのだと思います。
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桃源児さんへ (ひー)
2009-12-21 07:20:42
義経も微妙な心境でしたでしょうね。
個人になれば、その時点では戦う意味など無かったのでしょうね。
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手がかじかんでキーボードを打てん (クロンシュタット)
2009-12-21 05:44:21
源平の時代以外にも、亡びた氏族や大名家はたくさんいます。
奥州に限らず僻遠の地は、落人だらけなのかもしれませんよね。
島嶼を中心に、流刑の地であった場所も多いですし。
・・・あっ!前にコメントしたかもしれませんが、カミさんの実家は、小田原北条氏の武将が落ちたときにくっついて来た一族です。
そーか我々も落人だぞー!
当時の三鷹は辺鄙な地でしたからね。

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Unknown (桃源児)
2009-12-21 00:10:12
奥州下りの義経と落人となった貞能、もうその時には源氏も平家もなく、共にどんな感慨を抱いたことか、興味深いですね。
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あーさんへ (ひー)
2009-12-20 22:56:54
此処まで来たら引けませぬ。

どう考えても源平合戦をやったら石ころ飛びますよね。
山形米沢で忠臣蔵をしても、石ころ飛びますよww
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維真尽さんへ (ひー)
2009-12-20 22:43:43
まだ撮りたい写真があったのですが、見切り発車しました。
返信する
Unknown (あーさん)
2009-12-20 22:33:38
一の谷合戦記を上演

あまりに無神経な業ですねぇ  (怒


ひーさんの熱心さには脱帽です!
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丹念な (維真尽(^^))
2009-12-20 21:44:14
フィ~ルドワ~ク
すごいですね (^^♪

道標に
どんな 想いを込めたんでしょ~うか
返信する

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