八幡神社
「流れ八幡」や「泥八幡」とも呼ばれていました。
この神社は、江戸時代の文献や古文書には記載がないようです。
しかし、その由縁は民間の伝承でわかったようです。
それは、大昔ののこと、
陸奥国に大地震があって、大津波に流されて来た八幡村(現多賀城市)の八幡様の御神体をおまつりしているという。
この大地震は、家にある本の中にあったような気がしますので、見つけたら記事にします。
今の多賀城市の古老の人々は、この宮を「泥八幡」といい、利府では「流れ八幡」といっているそうです。
祭神は、大鞆別命(おおともわけのみこと)とされています。
また、加瀬の小林主膳の遠い先祖の方が先程の大津波の時に加瀬一本杉のあたりで御神体を泥から取り上げ、「流れ八幡」としてお祀りしていましたが、いつの頃からか利府の人々の協同の祭典になったそうです。
この伝承に出てくる八幡様が多賀城の八幡神社であれば、大昔には沖の井八幡宮と呼ばれ、鎌倉時代の建保年間(1213~18)に多賀城市八幡に移されたものです。
現在の宮は江戸時代の文化11年に肝入・検断佐々木春泰によって造られました。
しかし、何時の頃からか「流れ八幡」の御神体は無くなったそうです。
多賀城/八幡神社の記事
石碑と云うのかこの出羽三山の石碑は宮城の街道筋や神社には、必ずと言っていいほどありますね。
三山講は山形の人より宮城県の人の方が多いと聞いたことがあります。
いたよ~立派な狛犬が・・・・ ニッ!!
なかなかいい感じ!
バリバリの昭和生まれです。
前足も後ろ足も太くて強健な感じですね。
拝殿は古い感じですね。まぁ、一般的・・・
「流れ八幡」や「泥八幡」とも呼ばれていました。
この神社は、江戸時代の文献や古文書には記載がないようです。
しかし、その由縁は民間の伝承でわかったようです。
それは、大昔ののこと、
陸奥国に大地震があって、大津波に流されて来た八幡村(現多賀城市)の八幡様の御神体をおまつりしているという。
この大地震は、家にある本の中にあったような気がしますので、見つけたら記事にします。
今の多賀城市の古老の人々は、この宮を「泥八幡」といい、利府では「流れ八幡」といっているそうです。
祭神は、大鞆別命(おおともわけのみこと)とされています。
また、加瀬の小林主膳の遠い先祖の方が先程の大津波の時に加瀬一本杉のあたりで御神体を泥から取り上げ、「流れ八幡」としてお祀りしていましたが、いつの頃からか利府の人々の協同の祭典になったそうです。
この伝承に出てくる八幡様が多賀城の八幡神社であれば、大昔には沖の井八幡宮と呼ばれ、鎌倉時代の建保年間(1213~18)に多賀城市八幡に移されたものです。
現在の宮は江戸時代の文化11年に肝入・検断佐々木春泰によって造られました。
しかし、何時の頃からか「流れ八幡」の御神体は無くなったそうです。
多賀城/八幡神社の記事
石碑と云うのかこの出羽三山の石碑は宮城の街道筋や神社には、必ずと言っていいほどありますね。
三山講は山形の人より宮城県の人の方が多いと聞いたことがあります。
いたよ~立派な狛犬が・・・・ ニッ!!
なかなかいい感じ!
バリバリの昭和生まれです。
前足も後ろ足も太くて強健な感じですね。
拝殿は古い感じですね。まぁ、一般的・・・
東北本部長の良い仕事です♪
最近法則が無いように思えて気にしなくなりましたが、今だったら間に合うので、統計を取ることにします。
昨日、茶系に塗られたと思う小さな狛犬を見つけました。シーサーかと思いましたよ。
羽黒山には厄払いで行った翌日にからひどい風邪をひいたって思い出が…
あら
この狛ちゃん、オイと同世代
いまでも~
昆虫採集~する子がいるんですね (^_-)~☆
確かその湯殿山を祀ってる神社の人と出羽三山講の人達を連れて羽黒山や湯殿山に泊まりました。大変でしたよ。
大人になったら、あの神社の境内で遊んだっけ…って思いだすのかも?
狛さま、本当に笑っております。
普通なら三神程祀られるのが殆どですからね。
もしか、したら普通の八幡様に+大鞆別命かも? 町でも知らないのかも知れません。
八幡宮の事を多賀城と利府では呼び方が
違うのも不思議な気がしました。
狛ちゃんは昭和生まれだったのですね。
子取り、玉取りそれぞれに可愛いですね。
元々は人の名前かも?色んな本を見てるとどれに書いてあったか忘れてしまいます。