震災前にここを訪れたのは、2010年11月20日のことでした。
あの3.11から4ヶ月前のことです。 それも因縁なのか津波避難の看板について取材をしていたのでした。
震災があってから何度も南三陸町の被害の状況や津波の様子をTVや動画で見てきましたが、その凄まじさに恐怖でもありました。
約8ヶ月経ち自分も少し落ち着いてきたので、本日向ってみました。
ところが、まだ海には遠いはずなのに、川の横を走る道路のガードレールがくにゃくにゃに曲がっています。
津波が川を遡って来たのでしょう。
パッ!と街が開けたかと思うと、何も無くなっていました。 言葉が出ませんでした。
途中の山には潰れた自動車がぎっしりと並んでいました。
命を救う消防署や病院は・・・
そして気になる場所・・・津波避難の看板があったところを探しました。
しかし、目標物は無く唯一覚えていたのが坂道の下です。
坂があったので行ってみました。
昨年の写真です。看板が立っている台座のコンクリートを見て下さい。
・・・・・現在・・・・・
長い木の柱2本で津波の小さな看板がありますが、根元の金具らしいものだけコンクリートで押さえられていたようです。
無残にも周囲の建物は一切ありません。 残念です。
あの3.11から4ヶ月前のことです。 それも因縁なのか津波避難の看板について取材をしていたのでした。
震災があってから何度も南三陸町の被害の状況や津波の様子をTVや動画で見てきましたが、その凄まじさに恐怖でもありました。
約8ヶ月経ち自分も少し落ち着いてきたので、本日向ってみました。
ところが、まだ海には遠いはずなのに、川の横を走る道路のガードレールがくにゃくにゃに曲がっています。
津波が川を遡って来たのでしょう。
パッ!と街が開けたかと思うと、何も無くなっていました。 言葉が出ませんでした。
途中の山には潰れた自動車がぎっしりと並んでいました。
命を救う消防署や病院は・・・
そして気になる場所・・・津波避難の看板があったところを探しました。
しかし、目標物は無く唯一覚えていたのが坂道の下です。
坂があったので行ってみました。
昨年の写真です。看板が立っている台座のコンクリートを見て下さい。
・・・・・現在・・・・・
長い木の柱2本で津波の小さな看板がありますが、根元の金具らしいものだけコンクリートで押さえられていたようです。
無残にも周囲の建物は一切ありません。 残念です。
どうしても行きたいところが3~4箇所あります。
「こんにちわ~」と通りすがりに挨拶をしてくれた中学生は元気なのか??調べることは出来ませんがその場所に行ってみたいのです。
児童108名中70名が死亡、4名が行方不明になった大川小学校の近くです。
あの街は今どうなのか? 気になっています。
写真見てると涙が出てくるね。
もう少し残っていると思いました。
もう少し写真を撮ってくれば良かったのですが、震災前の写真で残っていたのは、坂道の上の茶色の建物だけでした。
建設機械が活躍していますが、見ていると一日やってもわずかしか出来ないことがわかります。
とても時間がかかりそうですね。
早く復興することを願うのみです <(_ _)>
想い出も財産も命も・・・・
人間なんて所詮弱いものなのですかね。
何十年もかかるでしょう。
津波対策はバッチリのはずだったのに
本当に言葉が出てきません
言葉がありません