多賀城市と仙台市の境には七北田川が流れています。
この堤防やその付近には古碑が多く見つかっております。
七北田川
古碑群正面・・・堤防の横ですが、住宅地の中でもあります。
教育委員会の説明ボードから転記させて頂きます。
碑は、鎌倉時代から室町時代にかけて建てられた供養碑です。
供養には、追善供養と逆修供養があります。
追善供養は、年忌供養で死者の年忌(一周忌、七回忌、十三回忌等)に建てられたものであり、逆修供養は生前に供養するもので、死後行うよりも効果があると信じられ、自分や身内の現在のしあわせ、死後のしあわせを願って建てられます。
碑面は、上部に仏、菩薩等の諸尊を標示する種子(しゅじ)[梵字]仏像、名号(みょうごう)等を記し、その下方に建てた人々の名等を刻んでいます。
ここにある古碑群は、念仏講を開き彼岸の日に建てた逆修供養碑が主で、七北田川改修により堤防やその他から集められたものと伝えられており、中世の碑(指定文化財)の他に近世のものがあります。
また、この地を地元では、お庚田河原(おかねだから)と呼んでいます。
延慶三年(1310)
永仁六年(1298)
永仁五年(1297)
年代不明
子安観音 宝暦七年(1757)
庚申塔 安政五年(1858)
年代不明
正和元年(1312)
正応三年(1290)
巳待供養 宝暦六年(1756)
念仏供養 延亨二年(1745)
古い石碑には殆ど梵字が刻まれていますね。
種子(梵字)についての説明は次回に・・・次は多賀城にある弘安の碑をご紹介します。
この堤防やその付近には古碑が多く見つかっております。
七北田川
古碑群正面・・・堤防の横ですが、住宅地の中でもあります。
教育委員会の説明ボードから転記させて頂きます。
碑は、鎌倉時代から室町時代にかけて建てられた供養碑です。
供養には、追善供養と逆修供養があります。
追善供養は、年忌供養で死者の年忌(一周忌、七回忌、十三回忌等)に建てられたものであり、逆修供養は生前に供養するもので、死後行うよりも効果があると信じられ、自分や身内の現在のしあわせ、死後のしあわせを願って建てられます。
碑面は、上部に仏、菩薩等の諸尊を標示する種子(しゅじ)[梵字]仏像、名号(みょうごう)等を記し、その下方に建てた人々の名等を刻んでいます。
ここにある古碑群は、念仏講を開き彼岸の日に建てた逆修供養碑が主で、七北田川改修により堤防やその他から集められたものと伝えられており、中世の碑(指定文化財)の他に近世のものがあります。
また、この地を地元では、お庚田河原(おかねだから)と呼んでいます。
延慶三年(1310)
永仁六年(1298)
永仁五年(1297)
年代不明
子安観音 宝暦七年(1757)
庚申塔 安政五年(1858)
年代不明
正和元年(1312)
正応三年(1290)
巳待供養 宝暦六年(1756)
念仏供養 延亨二年(1745)
古い石碑には殆ど梵字が刻まれていますね。
種子(梵字)についての説明は次回に・・・次は多賀城にある弘安の碑をご紹介します。
次回の説明 まってま~す ♪
ひーさんに触発されたから、れっつぎょーします♪
いよいよサンスクリットにも進出?
スゴイです♪
梵字が刻まれているのも神秘的です。
でも一番古い石で720年も前のがありますから、古いもの好きにはちょっとうれしかったのです。
ネット社会は凄いですね。
そもそもは、石に纏わる伝説が多賀城にあり、その石の近くにこの古碑群があったのです。
次回の弘安の碑も近くに伝説のお堂がありまして、その近くだったので梵字絡みの記事です。
本題の伝説はその後になります。
本気でタイムトラベルしたいですね。
火力発電所へ向かう道の途中に、窟古墳群がありますが、痛みが激しく、もっと保存に力を入れたらと思う昨今です。
そして、ひーさんの今回の記事でも、「なしてこげなとこさぁ?」と思っておりましたものですから、今回勉強になりました。
いつもの事ですが、勉強不足であちこち歩いて(もとい、自転車で・・)いたんだなぁ。とこの年になって思うわけです。
若いときだったら気にもとめません、逆に気味悪くて近寄らないかも ?
もう少し多賀城のことを知らないと・・・と思ったわけです。