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配 祀:天照皇大神 (あまてらすおおみかみ)・豊受皇大神(とようけのおおかみ)・軻遇突智命 (かぐつちのみこと)・大巳貴之命 (おおなむちのみこと)・少名彦之命 (すくなひこのみこと)・日本武尊 (やまとたけるのみこと)・應神天皇 (おうじんてんのう)・月讀之命 (つきよみのみこと)
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当社の御創建は秋保の最も古い歴史として記されていますが、今から凡そ1200年程前、平安初期の大同3年(808年)時の征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷平定の折、この地に熊野神社を 祀ったのが初めと伝えられています。
時代は下り、室町時代には秋保村領主秋保氏の祖先 平盛房が信州は諏訪大神に本土恢復を祈願したところ戦勝の御神徳を得た事から、諏訪神社の御神霊をこの地に勧請して祈願所とし「戦の神」として崇拝されるようになりました。
慶長5年には武家の守護神として仙台藩の尊崇も寄せられるようになり、伊達家に庇護され大社が建立されると共に、正保3年には二代藩主忠宗公より伊達家の永久祈祷が仰せ付けられました。
明治42年には明治天皇の御勅令により秋保五カ村の御神霊を合祀し、主祭神「建御名方神タケミナカタノカミ」をはじめ、「天照皇大神他七柱」が祀られ、諏訪神社の社号が秋保神社と改め、秋保総社となる。
仙台出身の羽生選手が参拝に来てから話題となりここ数年参拝客も増えているようです。
国譲りでは・・・
タケミナカタは『古事記』では葦原中国平定(国譲り)の場面で記述されている。これによると、天照大御神・高御産巣日神(タカミムスビ)らによって派遣された建御雷神(タケミカヅチ)と天鳥船神(アメノトリフネ)が大国主神に葦原中国の国譲りを迫った際、大国主神は御子神である事代主神が答えると言った。事代主神が承諾して隠れると、大国主神は次に建御名方神(タケミナカタ)が答えると言った。タケミナカタは千引の石(千人もの大勢の力を必要とするような巨大な岩)を手先で差し上げながら現れ、タケミカヅチに力競べを申し出た。そしてタケミカヅチの手を掴むと、タケミカヅチの手は氷や剣に変化した。タケミナカタがこれを恐れて下がると、タケミカヅチはタケミナカタの手を若葦のように握りつぶして、放り投げた。タケミナカタは逃げ出したが、タケミカヅチがこれを追い、ついに科野国の州羽海(すわのうみ)【現在の信濃国】まで追いつめてタケミナカタを殺そうとした。その時に、タケミナカタはその地から出ない旨と、大国主神・事代主神に背かない旨、葦原中国を天津神の御子に奉る旨を約束したという。
一方『日本書紀』ではタケミナカタが登場せず、大己貴神(大国主)は事代主神の意向を聞いた後に国譲りを承諾する。ここでは高皇産霊尊(タカミムスビ)に遣わされた神々は武甕槌神(タケミカヅチ)と経津主神(フツヌシ)である。
『先代旧事本紀』「天神本紀」では『古事記』と『日本書紀』の記述が組み合わされたものが書かれており、使者は『書紀』と同様に武甕槌神と経津主神となっている
私のホームページの「古代出雲の秘密」の中の一部に記載されています。
https://sanpomichi114.jp/izumo.html
諏訪に出雲第二王朝を築く
タテミナカタは服従を好まず、越へ後退。
母方(高志のヌナカタ姫)の勢力をバックに信州へ入り、第二王朝を築いた。
ミナカタは科野(しなの)に乗り込み、テナガ、アシナガ族や守矢(洩矢)の神などを征服する勝利者として描かれている「日本第一大軍神」とされたのはこうした理由からでしょう。
出雲国風土記に名前が出ていないためミナカタを出雲系ではないとする人がいるが、この神の正式名はタテミナカタノトミノ命である。
神社名はミナカタトミ神社。
蛇神として崇められ御神(おみ)渡り神事では氷が裂けるのを「竜が走る」という。
御神体は鎌で、これは神魂神社や出雲大社の御神体の釜に出雲の鉄器を象徴するミナカタを祀る上の社は、拝殿と幣殿だけで本殿を持たない。
彼方の神聖林が本殿に相当する。
この形は、オオモノヌシを祀る、大和の大神神社と同じであり。
出雲系以外のなにものでもない。
記紀によると、ミナカタはタケミカヅチに追われて、諏訪湖に至り、そこで降伏したことになっている。
しかし、富家の伝承にミカヅチは、登場していない。
それは鹿島神は当時存在していなかったからである。
この神を奉じたのは、太安麻呂を出した多氏一族である。
一般に鹿島神はミカヅチではなく、タテカシマだろうといわれている。
鹿島神宮の社殿内陣の構造は出雲大社とそっくりでクナトノ大神も摂社に祀られている。
本殿(拝殿)の境内の前に「総神社」があった。その時は気づかなかったのですが、自宅に帰ってから写真をよく見ると下記のようになっていた。
総神社
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社名をアップしてみると・・・・
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祭神が「塞の神」と読める。
つまり、上記の国譲りの話から出雲の神、建御名方命と考えられる。これは良く知られている。
そこで出雲の富氏の古くからの先祖神であるサイノ神・・つまり塞の神(岐の神<クナドの神>道祖神)などと同神と思われる。
そんなことからこの神社は縁結びを表に出している。
拝殿には・・・
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いろいろなことが繋がったのでチョット楽しかった。
それでは、神社の様子です。 全文が長くなりました。
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楽天イーグルス銀次選手ののぼりもありました。
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右から熊野神社・稲荷神社・雷神社・天神社
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秋保大滝を見て帰りました。
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で、タケミカヅチにも結構ハマった時期ありますけど、栃木までいて出会ったりしてはいるんですけどどうも実態が分からずなんですよね。でうちの縁では、太陽でも月でもない星の位置に天児屋命さんがいつもいるような感じでして。なので大抵は小屋根さんだとすり替えて感じようかとトライしてます。春日さんより枚岡のが相性が良いようです。そこが父の方ともちょい絡むんで富系じゃないかな?と思ってます。
うまく伝えられない個人的な事なんですけど。
今東京がどこ行っても出雲ぽくって各地にいるいるって思いますね。神社名の文字で彫りと色文字が異様にあってない見た事あります。ありのままが一番。
そう頼朝関わる所は出雲の気配ありです。家康関わる所は薬師気配なのでくっ付いてくるのか?がとても楽しみです。昨日か今日杉の木凄いのどっかで見つけたんでしたけど、杉も関わってくるかもです。
勝負の神も追ってますけど、南方さんならセコイ手で勝つなら負けて諏訪に引っ込んじゃうかも。でも引っ込んだ方が逆に大物に思いますよね。勝つにも負けるにも結果よりもその生き様に目がいくと思いますので。
どれだけお金があるのか、信心深いのか・・・・。
その場に私がいた。他に誰も居ない。私、悪の道に走りそうです。
その人もそのままにして帰ったらしいですが、せめて賽銭箱を用意して貰いたいですね。心が乱れます。
霊場でそんな事を考えてしまっては、人としてまだまだですね。
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人が集まると神社の「気」が変わりますね。
いいことだと思います。
森のように境内の樹木が成長し陽が差さなくなり、参拝者は減り、至る所に苔が生え淀んだ「気」は良くないですね。
それを考えれば、人が集まりそのために駐車場を広くし周りが明るくなったことはいいことですね。
ドローンがあったら何とかなりましたかね。
喉から手が出るとはこのことか?
カラーなのにまるでモノクロのようです。
仙台周辺に育った人間は、秋保の地は遠足や温泉、芋煮会で1度は訪れます。
高校生時代に大滝のすぐそばで、芋煮で一杯やった連中は元気でやっているのかなぁ.....
東京でいえば、奥多摩や秩父辺りが、似たイメージの場所です。
まぁ、芋煮会などやらかせば、ものすごく奇異にみられてしまいますが.....
昔は家族でも行ったものですが、職場でもしなくなりました。
この時期も花見もちょっと寒いですからね。
ちょっと残念です。