我が家では初めての新盆となりました。
お寺からいただきましたので、迎え火を行いました。
父親が亡くなってからいろいろな手続きがありましたが、その中で父親の出生を裏付ける戸籍が必要になり父親の出生の町に行き役所から戸籍を取得します。
想いだします・・・・二十代前半の頃、お爺さんの所に行き我が家の家系図を聞き取りメモにしておきました。
それと今回手にした戸籍を見比べると的確にヒットします。
しかし、出生はわかるのですが没年が分かりません。
そうです、お墓に行けばわかるはずです。
今回のお盆は絶好のチャンスです。
総本家の墓を見ると近年新しくしているようで、ハッキリと確認できます。
直系だけ拾ってきました。
しかし、実家の墓は古く読みにくい部分が多々ありましたが、写真に撮りルーペで旧字体を確認しながらほぼチェックできました。
もっと早くすべきだったと公開しています。
知っている人はどんどん減って行きますからね。
現在の戸籍制度が出来るのは明治五年頃ですね。昭和23年に新しい戸籍法が施工されます。
すべてできることをやったわけではありませんが、今できることを作成しました、そして私の子孫たちに残そうと思いました。
これは自分がやっておくべきだと思ったのです。
家紋で苗字はわかると思いますね。
墓に刻まれた文字で一番古いのは文政六年生まれです。
そこからその父が完成年間1790年代であるごとがわかります。 名前は祖父に聞いてましたので存じ上げてます。
ここでは伏せますが、ここから上が知りたいところです。
家系図を作っていていろいろなこと知りました。
家の制度、つまり家督を相続するということを役所に報告しなければならない、まぁ今でも相続登記が必要ですがね。
家から出ていくと分家となると記載がある。
そして、哀しいのは生後六ヶ月や二歳、三歳で亡くなったご先祖さまがいたこと。 前から小さなお墓があり想像はしていましたが、名前や誰の子か・・・・と色々知って来るとわが身とかさねてしまう。 もし子供が乳飲み子で亡くなったら・・・どれだけ悲しかっただろう。
そして遠い親戚・・・近くの町から曾祖父に嫁いでいる。Googleマップで調べると家がある今でも誰かが住んでいる。
遠い親戚なのだろうか? 色麻町へ 松山から 利府から・・・岩手県紫波郡に・・・横浜生麦町・・・佐賀県まで
今その子孫はどうしているのだろう・・・・
無性に会いたくなってくる。 ピラミッドの底辺は、全く他人になっている。もしかしたらあなたのそばにいる人は遠い親戚なのかもしれない。
継がれゆく歴史のすごさに驚かされる。
お盆の時我が家に25名が集まった。まだ赤ちゃんもいるのだがこの子たちの未来はどうなっていくのだろう。?
成長を見守りたいが、人間には限界がある。
自分がこの世に生きていた証を残して行きたい。
若いころは、そんなこと微塵も思わなかった。
しかし、人生の半分以上をとうに過ごした。・・・・・
お寺からいただきましたので、迎え火を行いました。
父親が亡くなってからいろいろな手続きがありましたが、その中で父親の出生を裏付ける戸籍が必要になり父親の出生の町に行き役所から戸籍を取得します。
想いだします・・・・二十代前半の頃、お爺さんの所に行き我が家の家系図を聞き取りメモにしておきました。
それと今回手にした戸籍を見比べると的確にヒットします。
しかし、出生はわかるのですが没年が分かりません。
そうです、お墓に行けばわかるはずです。
今回のお盆は絶好のチャンスです。
総本家の墓を見ると近年新しくしているようで、ハッキリと確認できます。
直系だけ拾ってきました。
しかし、実家の墓は古く読みにくい部分が多々ありましたが、写真に撮りルーペで旧字体を確認しながらほぼチェックできました。
もっと早くすべきだったと公開しています。
知っている人はどんどん減って行きますからね。
現在の戸籍制度が出来るのは明治五年頃ですね。昭和23年に新しい戸籍法が施工されます。
すべてできることをやったわけではありませんが、今できることを作成しました、そして私の子孫たちに残そうと思いました。
これは自分がやっておくべきだと思ったのです。
家紋で苗字はわかると思いますね。
墓に刻まれた文字で一番古いのは文政六年生まれです。
そこからその父が完成年間1790年代であるごとがわかります。 名前は祖父に聞いてましたので存じ上げてます。
ここでは伏せますが、ここから上が知りたいところです。
家系図を作っていていろいろなこと知りました。
家の制度、つまり家督を相続するということを役所に報告しなければならない、まぁ今でも相続登記が必要ですがね。
家から出ていくと分家となると記載がある。
そして、哀しいのは生後六ヶ月や二歳、三歳で亡くなったご先祖さまがいたこと。 前から小さなお墓があり想像はしていましたが、名前や誰の子か・・・・と色々知って来るとわが身とかさねてしまう。 もし子供が乳飲み子で亡くなったら・・・どれだけ悲しかっただろう。
そして遠い親戚・・・近くの町から曾祖父に嫁いでいる。Googleマップで調べると家がある今でも誰かが住んでいる。
遠い親戚なのだろうか? 色麻町へ 松山から 利府から・・・岩手県紫波郡に・・・横浜生麦町・・・佐賀県まで
今その子孫はどうしているのだろう・・・・
無性に会いたくなってくる。 ピラミッドの底辺は、全く他人になっている。もしかしたらあなたのそばにいる人は遠い親戚なのかもしれない。
継がれゆく歴史のすごさに驚かされる。
お盆の時我が家に25名が集まった。まだ赤ちゃんもいるのだがこの子たちの未来はどうなっていくのだろう。?
成長を見守りたいが、人間には限界がある。
自分がこの世に生きていた証を残して行きたい。
若いころは、そんなこと微塵も思わなかった。
しかし、人生の半分以上をとうに過ごした。・・・・・
正月そうそうでお疲れさまでした。
そういや~、ひーさんちの家紋は「丸に四つ目菱」でしたか。
やっぱり畿内の著名氏族の定番ッすネ♪
ところで仏ごとがあると家系図作りたくなるよね。
オイラも身内の仏事に親類からリクエストされて作りましたよ。
結果、両親のそれぞれ両親の家系をたどって、4家分の家系図ができました。
除籍謄本を10通ぐらい集めたと思うよ。
でも、残念なのが明治5年に近代で最初に作られた
「壬申戸籍」が現在非公開で手に入らないことだね。
実は、40年ほど前の非公開以前にチラット見たことがあるんだけど、
「〇〇県氏族」とか「〇〇県平民」とかその他諸々の
身分記載があるんだよね。
それで今は非公開・・・裁判資料なんかで例外的に出てくる以外は法務省の金庫に眠ってるらしいよ。
それと、オライでも明治中期以前は1~2歳で亡くなる子供がおおぜいいたけど、
それが明治後期から大正かけて減ってきて、昭和になるともうほとんど100%生存!
子供の生存率にとって生活環境の改善と医療の進歩に依存してるのが実感できるよね。
PS.このところ酔漢さん程じゃないまでも、ネット冬眠状態が続いてたけど、少し生活環境が落ち着いて来たし、
最近は、突然の音信不通で心配してたクロさんもロングロングバケーションから帰還したみたいなので、
オイラもボチボチとネット復帰しようと思います。
んでは、またヨロシク♪
ついでながら、他にも「〇〇県華族」や「〇〇県卒」(足軽身分)とかの分類もあったし、
逆に差別的な身分記載もあったので非公開・・・
その辺を伏せて公開できないもんかネェ~
そうそういう時しか集まらないのですよ。
うちも手続きでみましたね。けどお寺は分家なにで本家のお寺をこの前やっと聞いてみたくらいです。戸籍も手書きで訂正もあります今の発想とは違う書類でびっくりしました。
そう親子関係も分かり安いですし、〜の誰の娘と辿る情報は頻繁出てきますね。
そう出生後亡くなった方も見えてきます。
その人の歴史を当人も知らない事あるんではないかな?そう思うと生きてる間に自分で理解する事とそれを繋ぐ事もとても大事ですね。
お盆は正にそういう時間に使いたい物です。
家紋は以前調べていた際、名字よりもアバウトだと聞いた事はあります。でうちの信憑性も気になっておりました。もう一個定番があるとか聞いた事あるので。思った通りの家紋が出てきたので嬉しかったです。で縁ある地も気になる地がありましたよ。遠い昔にかすっていたら面白いですね。
私は正確には調べないで、今生きている人間の縁で考える人間ウォッチの情報をいっぱい集めて実生活に活かそうと思ってます。
でね、適正やその土地との縁って知ってるか薄々感じてると結構災難よけにも変な自信みたいなのも生まれやすいんで子供にとってはとても役立ちますよね。
お金払って霊感とかで調べて貰うとリスクもあるけど同じお家の方の情報はまず的外れはないので安心ですよね。
大抵自分が病気になって田舎に行ったり、お墓と接点を持ってからするのが最近の様子です。
けどもっと早い方がいい情報もまた正確な情報も得られるはず。
あと一番いいのがそこに子供や孫も巻き込む事です。法事もそう、普通にこなしていたら大人と同じ体験をしているはず。それが将来自分たちも普通にこなせるようになるベースになりますよね。
で避けて通り過ぎようと思うと色々ありますのですべき事をただ淡々と続けていけたらお家の未来も安心ですね。
とても素敵ですね、主導権が当主だととてもスムーズだと思います。親戚や田舎と今は距離をあけるような世の中ですけど、楽しみながらそれも出来た方が生きやすいとも思いますね。
理由があって疎遠になるとそれも子供にも子孫にもいざという時に問題が出てきます。
いい家族を築きながら楽しんでご家族とお過ごし下さいね。7459、6249
寛政年間まで名前知っていましたが、そこから上がね~
難しいよね。
墓誌とは石の板に彫ってある、お墓の横にあるものですね。 それで助かりました。
私の親の親の親の親の親の親までわかりました。最後は名前だけです。
横にも広がりを見せていて面白いなと感じました。子孫に残せるようにまとめたいと思います。
まあ罪を憎んで人を憎まず。
お祖父ちゃんの墓誌も行く度に写メ撮って戒名とか忘れないようにと分析してます。
本家はそれがずっと繋がるんですね!凄い羨ましいです。実際に使っていた文字も結構その方の縁を理解するのに役立ちます。
因みの父には道がついています。でこれ付いている方は移動とか輸送関係との縁がありますね。大抵現世での名前から一字取るのがお坊さんには多いですけど、それ以外も頂いてみるといい字あったりするんですよね。
女性では春が付く人が多いんです。それも自分の方も主人の方も跨ってハル?って。偶然なのか必然なのか?分かりませんけど、自分の戒名もインスピレーションで作ってみたいですね。
一時子供の名前に付けたかったのが現世ではあまり良くないって言われた字です。確かに亡くなった人の戒名から取ったんでそうかも?と諦めました。墓誌にまた知らない方があるのも本当ワクワクしちゃいます。突っ込んでいいやら悪いやらで。でも聞けるうちに聞いておきたいですね。
6877 うちの方は戒名は数えられる程度。いっぱい書いてある所の文字を拝見させて頂こうとちょっと探してみたくなりましたね。享年の後が特殊な表現もあったような、時代のせいかもしれませんが心が痛いですね。一緒に入っていたら供養出来ていると信じて、少し墓誌を意識して御線香あげてあげたらとっても喜ぶでしょうね。
御維新前までのまっとうな家系図など望むべくもありません。
カミさんちの一族は小田原城陥落後の北条氏の武将の末裔。
一族で武蔵野原野に落ちのびて開墾した地域です。
たいそうな家系図があるようなんですが、まああんまし関わりなく....
てなわけで私の場合はご先祖様との繋がりがあいまいなまま生きてきました。
なんだかそれも自分らしくていいのかなと思っています。
多摩東部、いわゆる武蔵野のお盆は、いわゆる農家盆で8月1日から3日。
仕事から帰ってからのお墓参りです。
文字! そうなんです旧字なのですが旧仮名遣いにもなくて一文字で時間を要しました。
例えば「照」ですが、下部が点四つじゃなく「火」たぶん同じ意味だと思うのですが、感じが無く作ってしまいました。
←これなのですが自分で作りました。
今回三文字作りました。 太さとかまだ慣れなくてバランスが悪いのですが、「と」もただこのブログで表現できないと思いますが。
意外と自分のルーツが気になっている人は多いと思います。
お墓が代々あるとチョットはわかると思いますよ。
明治からは少なくても皆登録されたと思うので。
問題は分家した場合に本家の墓がわかるかどうかです。
我が家のの場合は、曾祖父のお父さんが34歳で亡くなったため兄弟が少ないので枝分かれが少なかったのです。
このように富士山の裾野のように広がっていくと隣の人は遠い親戚だったりするかも知れませんね。
当人同士はわからないわけですが。