市史通信に巽門の話があったので今回pickupしてみました。
仙台城の顔であった大手門は、昭和20年(1945)の空襲で失われてしまいました。
このブログでも何度か紹介しています。
国宝でもありましたが惜しいことをしました。
※上の写真は仙台城大手門ですが、この飾りは初代善蔵さんが手掛けた飾り金具です。
善蔵って誰だ!?ってことになりますが、今の(株)タゼンさんの初代ですね。
実は、この初代の善蔵さんは、 「御飾職」=今で言う彫金工として、華やかな桃山文化の時 代に大阪で活躍しており、政宗公が連れて来たというわけです。
仙台の方なら、知っている会社ではないでしょうか。
ところで今回の巽門(たつみもん)ですが、かつての東丸(三の丸)の南端に建っており。
二階建てで、幅13.6m、高さ11.0m規模は大手門の3分の2程度だったそうです。
しかし、この門が残っていたことを知る人は多くはなかったことでしょう。
いつ作られたものかはわかっていません。
また、失った時のこともわからず一説には、アメリカ軍が取り壊した?とも言われていますが、発掘の時に礎石附近から焼けた土が見つかっており、やはり大手門と同じく消失ではないかと思われます。
当時の巽門です。
下の仙台城下絵図は、寛文4年(1664)です。
大手門に戻りますが、大手門があった場所について、不自然な感がぬぐえないとしてます。
大手門の西側に広がる二の丸は二代藩主忠宗の時期に作られています。
そうすると、最初の築城期の大手門の場所は場外になってしまうのです。
築城当時の仙台城の大手筋は巽門から入る道筋だったという説が有力になっています。
上記の絵図を見てもわかるように、城外から巽門を入って清水門、沢門(さわのもん)へと登る道は複雑に折れ曲がり、守る側にとっては非常に都合が良い構造であるごとがわかります。
築城の時代背景を考えると、関ヶ原が終わって間もないこと。
西軍側の上杉氏はまだ徳川氏に降伏しておらず、伊達軍と小競り合いを繰り返していた。
上杉氏との全面対決もありえる情勢だったのです。
つまり、この大手門は、城の拡張に伴い、大手筋が付け替えられた時に新築されたものと考えれば疑問も解消するとしています。
現在の巽門から清水門にかけては、明治時代の整備で変ってしまいましたが想像するのは楽しいものです。
現在の巽門跡です。
この階段の先には道がありません。 変った様子が伺えますね。
改めて仙台城・・・城は無いけど昔の地図を見ながら歩くのも悪くないですよ。
仙台城の顔であった大手門は、昭和20年(1945)の空襲で失われてしまいました。
このブログでも何度か紹介しています。
国宝でもありましたが惜しいことをしました。
※上の写真は仙台城大手門ですが、この飾りは初代善蔵さんが手掛けた飾り金具です。
善蔵って誰だ!?ってことになりますが、今の(株)タゼンさんの初代ですね。
実は、この初代の善蔵さんは、 「御飾職」=今で言う彫金工として、華やかな桃山文化の時 代に大阪で活躍しており、政宗公が連れて来たというわけです。
仙台の方なら、知っている会社ではないでしょうか。
ところで今回の巽門(たつみもん)ですが、かつての東丸(三の丸)の南端に建っており。
二階建てで、幅13.6m、高さ11.0m規模は大手門の3分の2程度だったそうです。
しかし、この門が残っていたことを知る人は多くはなかったことでしょう。
いつ作られたものかはわかっていません。
また、失った時のこともわからず一説には、アメリカ軍が取り壊した?とも言われていますが、発掘の時に礎石附近から焼けた土が見つかっており、やはり大手門と同じく消失ではないかと思われます。
当時の巽門です。
下の仙台城下絵図は、寛文4年(1664)です。
大手門に戻りますが、大手門があった場所について、不自然な感がぬぐえないとしてます。
大手門の西側に広がる二の丸は二代藩主忠宗の時期に作られています。
そうすると、最初の築城期の大手門の場所は場外になってしまうのです。
築城当時の仙台城の大手筋は巽門から入る道筋だったという説が有力になっています。
上記の絵図を見てもわかるように、城外から巽門を入って清水門、沢門(さわのもん)へと登る道は複雑に折れ曲がり、守る側にとっては非常に都合が良い構造であるごとがわかります。
築城の時代背景を考えると、関ヶ原が終わって間もないこと。
西軍側の上杉氏はまだ徳川氏に降伏しておらず、伊達軍と小競り合いを繰り返していた。
上杉氏との全面対決もありえる情勢だったのです。
つまり、この大手門は、城の拡張に伴い、大手筋が付け替えられた時に新築されたものと考えれば疑問も解消するとしています。
現在の巽門から清水門にかけては、明治時代の整備で変ってしまいましたが想像するのは楽しいものです。
現在の巽門跡です。
この階段の先には道がありません。 変った様子が伺えますね。
改めて仙台城・・・城は無いけど昔の地図を見ながら歩くのも悪くないですよ。
外したかな?
残ってたらねぇ
タゼンって名前は知ってるけど
なんの会社でしたっけ??
探しに行かないと。
その中で、「所在不明なため、友人等で住所をご存知でしたらお知らせください」リストがありまして。
リストの中に、同級生だった遠藤君(元エンドーチェーン)や片倉君(ご先祖は上の地図の大橋のたもとに住んでいた)の名がありました。
あの2人こそ、逃げも隠れも出来ない奴らなのに、所在不明って???
なんだか、ちょっとばかし怪しい「卒業生名簿」なので、わしは買わんぞ!
万円とかするのでは?
最近は、個人情報なんたらで記載を断る人も居ますからね。
でもこの時代に名簿は、悪用されそう・・・
以前仙台市内に名簿買います! の看板がありました。
現在は、教職員名簿も販売を中止しています。
営業マンには、欠かせない一品ですね。
今の社長(18代目)は印象薄いけど、その息子(19代目)は大学中退して銅器職人に先祖返り・・・
柳町の本店に銅器のギャラリー出してもらってるらしいよ。
よりロマンを感じますね・・・
どのような樹木が多いのでしょう
紅葉 美しいのでしょうね
でも山は、どちらかと言えば、黒松や杉が多いのかも?
でもこの青葉山には、大きく見れば沢山の植物があります。
何せ植物園がありますから。