定義道・・・定義如来と平家落人伝説 7
前回の続きになりますので、「道中唄」を再度転記します。
「定義如来参詣道中唄」です。 明治初年の頃の唄のようです。
♪時は旧七月六日のことよ、定義詣りと二人連れ
八幡町を後にして落ち合茶屋にて腰をかけ
これこれ花ちゃんこれから定義に幾里ある
そこで花ちゃんの申すには、定義様まで五里と半
それでは花ちゃん”さようなら”竹は無くても大竹よ
急げば早くも 二本松赤坂小阪もひと登り
青の木茶屋でひと休み、日も西山に傾いた
八枚たんぼを下に見て 昼もさびしい夜盗沢
新道隧道通り抜け、見上げて見えるは高柵よ
大倉日向の切払い天狗橋より天狗茶屋
小田や石子や石名窪、とぜんで通るは山ぎわよ
海老沼、曲戸に栗生坂、地蔵菩薩を伏し拝み
年は古いが若林、千本杉とは此処なるか
夏も涼しいひゃっこ沢、何時もどんどと滝ノ上
はや高森に登りけり小手をかざして眺むれば
矢籠に大原よ、うしろは獅子込みおうとどよ
地蔵平の賽の河原、一の鳥居は高見沢
定義の里に着きにけり五三のキザハシ登りつめ
二人で揃うて手を合わせ、これこれ申し如来様
この縁結んで賜れと二度も三度も伏し拝む
アリヤラン コレハノセイ ササヤレ サンノセイ
「新道隧道通り抜け」とありますが、近年隧道はふさがり新しい道が出来ました。
隧道はふさがれこのような状態です。
実はこの辺り、事故が多く昔から引っ張られるのでは・・・・?
と噂が立ちました。
大倉日向の切払いですが、こんなバス停がありました。
実は、切払いのバス停もあるのですが、隧道の道を通りましたので、反対側の道になりますのでカットです。
ちなみに、切払い橋もあり、「日向下」もあります。
海老沼などの地名は、隧道側のルートです。日向と反対側の道ですね。
4話の地図を見るとわかります。
天狗茶屋は前回話していますね。
こんな柱が見えてきました。
揚羽蝶・・・・・平家の家紋です。
滝ノ上
ここに以前アップしました。「左ぢゃうぎ」の石碑があります。
矢籠
バス停は「込」ですが、実際は「籠」です。
これは、この付近の田畑からたくさんの矢の根が見つかり、激しい戦いが行われた跡であるこが伝えられている。
矢を籠めたところ・・・つまり矢籠ですね。
また、瀧の上の壇の原という地名が本にあるのですが、48号線沿いの「熊ヶ根」に「壇の原」があります。
どう考えても、源平合戦の壇の浦を想起します。 それにあやかった地名でしょう。
大原よ・・・
つづく
ホームページに纏めています。
定義如来1
定義如来2
前回の続きになりますので、「道中唄」を再度転記します。
「定義如来参詣道中唄」です。 明治初年の頃の唄のようです。
♪時は旧七月六日のことよ、定義詣りと二人連れ
八幡町を後にして落ち合茶屋にて腰をかけ
これこれ花ちゃんこれから定義に幾里ある
そこで花ちゃんの申すには、定義様まで五里と半
それでは花ちゃん”さようなら”竹は無くても大竹よ
急げば早くも 二本松赤坂小阪もひと登り
青の木茶屋でひと休み、日も西山に傾いた
八枚たんぼを下に見て 昼もさびしい夜盗沢
新道隧道通り抜け、見上げて見えるは高柵よ
大倉日向の切払い天狗橋より天狗茶屋
小田や石子や石名窪、とぜんで通るは山ぎわよ
海老沼、曲戸に栗生坂、地蔵菩薩を伏し拝み
年は古いが若林、千本杉とは此処なるか
夏も涼しいひゃっこ沢、何時もどんどと滝ノ上
はや高森に登りけり小手をかざして眺むれば
矢籠に大原よ、うしろは獅子込みおうとどよ
地蔵平の賽の河原、一の鳥居は高見沢
定義の里に着きにけり五三のキザハシ登りつめ
二人で揃うて手を合わせ、これこれ申し如来様
この縁結んで賜れと二度も三度も伏し拝む
アリヤラン コレハノセイ ササヤレ サンノセイ
「新道隧道通り抜け」とありますが、近年隧道はふさがり新しい道が出来ました。
隧道はふさがれこのような状態です。
実はこの辺り、事故が多く昔から引っ張られるのでは・・・・?
と噂が立ちました。
大倉日向の切払いですが、こんなバス停がありました。
実は、切払いのバス停もあるのですが、隧道の道を通りましたので、反対側の道になりますのでカットです。
ちなみに、切払い橋もあり、「日向下」もあります。
海老沼などの地名は、隧道側のルートです。日向と反対側の道ですね。
4話の地図を見るとわかります。
天狗茶屋は前回話していますね。
こんな柱が見えてきました。
揚羽蝶・・・・・平家の家紋です。
滝ノ上
ここに以前アップしました。「左ぢゃうぎ」の石碑があります。
矢籠
バス停は「込」ですが、実際は「籠」です。
これは、この付近の田畑からたくさんの矢の根が見つかり、激しい戦いが行われた跡であるこが伝えられている。
矢を籠めたところ・・・つまり矢籠ですね。
また、瀧の上の壇の原という地名が本にあるのですが、48号線沿いの「熊ヶ根」に「壇の原」があります。
どう考えても、源平合戦の壇の浦を想起します。 それにあやかった地名でしょう。
大原よ・・・
つづく
ホームページに纏めています。
定義如来1
定義如来2
携帯で、じょうが と発音することを彼が調べましたが?
年配の人は「じょうげさん」と言います。
ご両親もあちらには縁が無く行くことが無かったのですかね。
行かなくても、殆どの人は知ってると思うのですがね?
平家や源氏の落人って・・・けっこーいろんなとこで聞きますわ。
たしか、埼玉にも・・・。
そもそもいつ頃名付けられた地名なのでしょう。
元々は「原っぱ」とか「山のそば」とかって呼ばれていたんでしょうかね?
壇ノ浦で矢が尽き敗れ去り大原で菩提を弔う・・・哀しい地名です。
我が家の地名「井の頭」は「井戸の親分」。なかなかでしょ?
それにここは事故が多いし・・・
その辺りの古い屋敷には、井戸がまだありますかね?
どう考えても、新しい住宅や商店街ばかりですね。
そういえば、あの川の近くに彫刻があったと思いますが、あそこも公園なのですかね?
赤い柱の平家の家紋が目立っていますね。
先日テレビで平家の番組をやっていましたが
食い入るように見ましたよ。
やはり、ひーさんがブログで記事にしているから真剣になりますね
長々となってました。次で一区切り終わらせます。
この人のが江戸時代の初期に泉方面(福岡辺りか?)から分村して来たとき
落ちのびて500年も経ってるのに村の入口に落人狩り警戒の役目の家を置いたんだと!
その家は、それから300年も経った今でも「見張り」という屋号で残っているらしい…
此処まで逃れないと
生き残れなかったという事ですね
日本も 狭いですね