定義如来/西方寺(定義山):平貞能公
仙台から国道48号線を山形方面へ・・・
日本で三番目に高い鉄橋(仙山線)が左手に見えたら、熊ヶ根橋を渡って右に進みます。
行き着くところは、
浄土宗 極楽山西方寺 定義如来(じょうぎにょらい)
通称定義さんです。
定義如来の歴史について簡単に説明しておきます。
今から約八百年前、平重盛公が平和祈願のため中国の欣山寺に黄金を寄進。
その際に送献されたのが、阿弥陀如来の宝軸でした。
平家が壇の浦の戦いに敗れた後は、平重盛公の重臣・肥後守平貞能公(たいらのさだよし)がこの宝軸を守り、
源氏の追討を逃れるため名も定義と改め、この地に隠れ住みました。
それが定義如来という呼び名の由縁でもあります。
貞能公は、1198年、60歳で亡くなられました。
墓上に小堂を建て如来を安置し、後世に伝えていくことを従臣たちに遺言
それを守り、1706年 早坂源兵衛が出家し、開創となりました。
それでは、山門をくぐりましょう。
山門(仁王門)昭和6年建立
寒さで、画面が傾いたか? ┐(´ー`)┌
雪が残ってましたよ。
山門をくぐると
こんな感じです。
お手水の龍は、コートを羽織り冬支度です。
正面は遺言により、お墓の上に建てた貞能堂ですが、昭和2年に建て替えられてます。
お堂の裏に行って見ましょう。
その2へつづく
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こもかぶりですか。
龍さんも、大変です。
神主さんが防寒対策をしてあげたのでしょうか。
小さな狛犬も赤い帽子と前掛けで寒そうでした。
今写真を見て、引っ越してきたままの画像なので、後日直します。
初詣ですか~ 宮城の方ですね。
コメントありがとうございます。