
この神社の近くには、日本一低い山日和山がありました。
そこの干潟には野鳥が集まり野鳥の楽園があったのです。その干潟も日和山も東日本大震災で消えてしまいました。
下記はその時の記事です。
元祖日本一低い山
消えた蒲生干潟/憎き3.11

8月26日現在 ぐずら君提供
その近くにあったのが、この高砂神社なのですが、私は以前に見逃していました。
先日友人のぐずら君がこの神社の写真を送ってくれました。
何故か??? それは、私が追い求めている三角扁額がある神社だったのです。
私も実際に見たくて訪問しました。
調べていると、この新聞の記事が目に入りました。また、この寄進の様子をブログにUPしている方もいらっしゃいました。
神戸新聞NEWS
兵庫の高砂神社、小宮寄進へ 仙台の同名神社に

高砂神社の小松守道宮司(右)が、仙台にある同名の神社に寄進する小宮=高砂市高砂町東宮町
兵庫県高砂市の高砂神社が、東日本大震災で被災した同名の高砂神社(仙台市)を早期に再建しようと、神を安置する「小宮」を寄進する。昨年末に仮社殿が完成したものの、本格再建は道半ば。手を差し伸べる高砂神社の小松守道宮司(55)は「氏子らの心のよりどころとして役に立てば」と話す。
仙台市宮城野区にある高砂神社は、津波で本殿や拝殿などをすべて失った。仮社殿には現在、小さな神棚が設けられているだけという。
双方は同じ神社名が縁で、震災前から交流があった。発生後は音信不通の状況が続き、小松宮司は「被災したのであれば小宮を寄進しよう」と決意。昨夏になって連絡が取れた仙台の小野修宮司に支援を申し入れ、震災1年を経て寄進することが決まった。
小宮は高さ約2メートル、奥行き約1・6メートル、幅約1メートル。小松宮司が知人に協力を呼び掛け、滋賀県の個人宅に祭られていたものを昨年11月に譲り受けた。屋根には銅板が張られ、柱などにはヒノキ、ケヤキが用いられている。
トラックで小宮を搬送し、28日に本殿跡の礎石に敷設した石板上に安置する。29日には小松宮司ら11人が訪ね、神事で神社の早期再建を祈願する。(西尾和高)(2012/03/27 08:00)
その小宮がこれです。


現在は仮設の鳥居や扁額・社殿があります。

両側に並ぶ石碑群


狛犬ですが、かなり欠けてしまいました。

下段ぐずら君提供。
そこで問題の扁額です。 過去に見ているものと同じように石を三角に割ったような感じです。
これを発見してくれたぐずら君に感謝です。


明治十六年 海上安全 右から「高砂社」と刻まれております。


二枚重なっていることに気づき、ずらしてみたところ、石に彫られて絵は、よく見かける夫婦岩ですね。
海に関わることが分かりますね。
時間が無いため、この神社の由緒については次回紹介させていただきます。

復興・・・・・心はひとつ
そこの干潟には野鳥が集まり野鳥の楽園があったのです。その干潟も日和山も東日本大震災で消えてしまいました。
下記はその時の記事です。
元祖日本一低い山
消えた蒲生干潟/憎き3.11


8月26日現在 ぐずら君提供
その近くにあったのが、この高砂神社なのですが、私は以前に見逃していました。
先日友人のぐずら君がこの神社の写真を送ってくれました。
何故か??? それは、私が追い求めている三角扁額がある神社だったのです。
私も実際に見たくて訪問しました。
調べていると、この新聞の記事が目に入りました。また、この寄進の様子をブログにUPしている方もいらっしゃいました。
神戸新聞NEWS
兵庫の高砂神社、小宮寄進へ 仙台の同名神社に

高砂神社の小松守道宮司(右)が、仙台にある同名の神社に寄進する小宮=高砂市高砂町東宮町
兵庫県高砂市の高砂神社が、東日本大震災で被災した同名の高砂神社(仙台市)を早期に再建しようと、神を安置する「小宮」を寄進する。昨年末に仮社殿が完成したものの、本格再建は道半ば。手を差し伸べる高砂神社の小松守道宮司(55)は「氏子らの心のよりどころとして役に立てば」と話す。
仙台市宮城野区にある高砂神社は、津波で本殿や拝殿などをすべて失った。仮社殿には現在、小さな神棚が設けられているだけという。
双方は同じ神社名が縁で、震災前から交流があった。発生後は音信不通の状況が続き、小松宮司は「被災したのであれば小宮を寄進しよう」と決意。昨夏になって連絡が取れた仙台の小野修宮司に支援を申し入れ、震災1年を経て寄進することが決まった。
小宮は高さ約2メートル、奥行き約1・6メートル、幅約1メートル。小松宮司が知人に協力を呼び掛け、滋賀県の個人宅に祭られていたものを昨年11月に譲り受けた。屋根には銅板が張られ、柱などにはヒノキ、ケヤキが用いられている。
トラックで小宮を搬送し、28日に本殿跡の礎石に敷設した石板上に安置する。29日には小松宮司ら11人が訪ね、神事で神社の早期再建を祈願する。(西尾和高)(2012/03/27 08:00)
その小宮がこれです。


現在は仮設の鳥居や扁額・社殿があります。

両側に並ぶ石碑群


狛犬ですが、かなり欠けてしまいました。




下段ぐずら君提供。
そこで問題の扁額です。 過去に見ているものと同じように石を三角に割ったような感じです。
これを発見してくれたぐずら君に感謝です。


明治十六年 海上安全 右から「高砂社」と刻まれております。


二枚重なっていることに気づき、ずらしてみたところ、石に彫られて絵は、よく見かける夫婦岩ですね。
海に関わることが分かりますね。
時間が無いため、この神社の由緒については次回紹介させていただきます。

復興・・・・・心はひとつ
高砂神社からは海は見えなかったのですが、やはり(地図では確認してました)大きな被害なのですね。
七ヶ浜周辺は帰省すると必ず立ち寄りますが、この周辺にはまだ出かけておりません。
日和山と蒲生干潟はひーさんもぐずらさんも私も記事にしておりましたし。
「房総シェルティー日記」の「ジュリーママ」さんは、野鳥の会所属で蒲生干潟の調査を継続してやっていた方でした。記事を紹介いたします。御了解下さいませ。
(彼女から今どうなっているのかなぁ・・とありましたものですから・・)
以前のままとは行かなくても干潟が出来
生き物が集まってくれると嬉しいですよね。
以前の記事ではゆがんでいた鳥居でしたがしっかりと新たに建った事は
復興が一歩でも進んでいるんでしょうか…でも もう一年半以上たつのにね。
よく、故郷を懐かしんでコメント下さる方が増えています。
また、昔訪れた・・・・などということもありますね。
今の様子を見ていただきたいと思います。
酔漢さんからご紹介いただきました。
蒲生干潟は私にとって、小学生の頃から歩き回ったかけがえのない場所です。それだけに、大震災での甚大な被害に胸がつぶれそうな思いがしていました。
”今”の様子をご紹介下さって有難うございます。
故郷を離れて暮らす今、直接の応援はなかなかできずにいますが、いろいろな形で自分にできることを続けるつもりです。
復興へ 心ひとつに...
破壊された干潟に野鳥が戻ることを祈ります。
蒲生周辺のご出身でしょうか?
以前の記事に書いたかも知れませんが、母の実家が新港開発の為移転になった、追分と言う地域にいました。蒲生にも親戚が居りましたが、この一帯は流されてしまいましたからどうなったことか?
子供の頃、この辺にあった豆腐屋さんに来たことがありましたよ。
野鳥が戻って来て欲しいものです。
対照的に
空の雲が
何事もなかったかのように 流れていく
予算お使い方といい
国は何をしてるんでしょう
官僚も内閣も真面目な人が少ないということですね。
自分の身を守るのに精一杯なのでしょうかね?
でも津波に関係すると思うのですが・・・・。
もしかしたら、山?
もっとも海の神様も山の神様も同じの様な気がしないでもないですが・・・・。
でも、三角波にも見えますが、仰る通り山でもおかしくありませんね。
石工の好みでしょうか?
しかし、多くの三角扁額の神社が残っているのは事実です。