アメノホヒノ命(スパイ)とコトシロヌシの死
天孫族はアメノホヒ一族を先発隊として送るがホヒはオオクニヌシへへつらい、三年経っても帰らなかった。
続いてアメノワカヒコを派遣したがオオクニヌシの娘、シテタル姫を娶(めと)り葦原の中つ国を自分のものにしようと八年も何時いた。
タカギノ神は怒りワカヒコを殺してしまう。
これは、国ゆづりの前の段階ですがワカヒコは殺されたのにホヒは殺されなかった。
それどころかホヒは出雲の※祭祀権を握り子孫は国造に取り立てられる。
上古は人々の戦いでは無く、その氏族が奉じる神と神の戦いであった。
※祭祀権を握るということは政権を握ることを意味します。
ホヒは何故、国造家の祖となり得たのか?
出雲では「クニノミヤツコ」では無く「コクソウ」と呼ぶようです。
出雲の国造が新任した時、一年の※潔斎を経た後、朝廷に出て出雲の神からの祝いの言葉を述べる。
※潔斎=神事、法会などの前に酒や肉食などをつつしみ沐浴をするなどして心身を清めること。
「出雲の国造の神賀詞(かむよごと)」では、ホヒは葦原の水穂の国を偵察した後、帰国して報告し、その子アメノヒナドリノ命にフツヌシノ命を添えて天降りし、荒ふる神どもを平らげ、オオクニヌシの媚びしずめた。とつじつまを合わせている。
これは、表向きの話で、ホヒの本来の姿はまるで違う。
国造家の「出雲文書」では、「ホヒは隠中であった。」(隠中<いんちゅう>=スパイ)
ホヒは出雲神族と婚姻関係を結んで、オオクニヌシに国ゆずりをするよう画策する一方、後続部隊の手引きをしたのである。
出雲の祭祀権を握り、子孫が国造におどり出た理由はここにあった。
神魂神社の秋神氏によると
天孫族の本拠地は九州にあり、ホヒ一族は九州から対馬海流にのり海路にて出雲入りした。
そして稲佐浜での攻防戦が始まる。
出雲神族には戦いの歴史がなかった。 後退につぐ後退を強いられた。
オオクニヌシは至急、水軍の将であるコトシロヌシを呼び寄せ協議する。
「これ以上出雲人から犠牲者を出したくない。 敵の要求をのみ国ゆずりをしようと思うがどうだろか」
「私個人としては反対です。でもお父さんがそう仰るのなら従いましょう」
コトシロヌシは天孫族にのろいの言葉を残し海へ飛び込んで自殺した。
その時の模様を再現するのが美保神社の青柴垣の神事である。
コトシロヌシの死の前夜祭は四月六日(夜)に松明がたかれ神殿では、鈴をもった未通女(おとめ)が巫女舞を舞う。
翌七日の朝、コトシロヌシの代わりに二の頭屋神主が四艘を二艘ずつくり合わせ、二組の神事の船に乗り移る。
船には板を渡した上に四角の天幕の中でコトシロヌシの死の儀式が行われるのである。
富氏は唇を震わせながら言ったそうです。
「青柴垣の神事は天孫族への恨みを決して忘れないぞという、出雲人の無念さを表すものなのだ。」
屈辱の神事でもある。観光客に見せるようなものではない」
美保神社
美保神社は、富家のものだった。 今の神主の横山氏はうちの代官で朝鮮との貿易であがる税の取立てをやっていた。 現在、祭神はコトシロヌシとミホツ姫ということになっているが、本来の祭神はミホススミノ命である。呪いを残して死んだコトシロヌシは天孫族に非常に恐れられていた。
そうした者を祀らせてくれるわけがないだろう。八重垣神社にしてもオオクニヌシの娘が祭神で、スサノオとは関係がなかった。
八重垣神社
出雲を占領したホヒ一族はさらに大和へ侵攻、ここの出雲神族をも降ろした戦いは出雲より激しかったと伝えている。
「日本書紀」天孫降臨 第二の書 オオクニヌシの国ゆずりの神話が暗示している。
8話へ
天孫族はアメノホヒ一族を先発隊として送るがホヒはオオクニヌシへへつらい、三年経っても帰らなかった。
続いてアメノワカヒコを派遣したがオオクニヌシの娘、シテタル姫を娶(めと)り葦原の中つ国を自分のものにしようと八年も何時いた。
タカギノ神は怒りワカヒコを殺してしまう。
これは、国ゆづりの前の段階ですがワカヒコは殺されたのにホヒは殺されなかった。
それどころかホヒは出雲の※祭祀権を握り子孫は国造に取り立てられる。
上古は人々の戦いでは無く、その氏族が奉じる神と神の戦いであった。
※祭祀権を握るということは政権を握ることを意味します。
ホヒは何故、国造家の祖となり得たのか?
出雲では「クニノミヤツコ」では無く「コクソウ」と呼ぶようです。
出雲の国造が新任した時、一年の※潔斎を経た後、朝廷に出て出雲の神からの祝いの言葉を述べる。
※潔斎=神事、法会などの前に酒や肉食などをつつしみ沐浴をするなどして心身を清めること。
「出雲の国造の神賀詞(かむよごと)」では、ホヒは葦原の水穂の国を偵察した後、帰国して報告し、その子アメノヒナドリノ命にフツヌシノ命を添えて天降りし、荒ふる神どもを平らげ、オオクニヌシの媚びしずめた。とつじつまを合わせている。
これは、表向きの話で、ホヒの本来の姿はまるで違う。
国造家の「出雲文書」では、「ホヒは隠中であった。」(隠中<いんちゅう>=スパイ)
ホヒは出雲神族と婚姻関係を結んで、オオクニヌシに国ゆずりをするよう画策する一方、後続部隊の手引きをしたのである。
出雲の祭祀権を握り、子孫が国造におどり出た理由はここにあった。
神魂神社の秋神氏によると
天孫族の本拠地は九州にあり、ホヒ一族は九州から対馬海流にのり海路にて出雲入りした。
そして稲佐浜での攻防戦が始まる。
出雲神族には戦いの歴史がなかった。 後退につぐ後退を強いられた。
オオクニヌシは至急、水軍の将であるコトシロヌシを呼び寄せ協議する。
「これ以上出雲人から犠牲者を出したくない。 敵の要求をのみ国ゆずりをしようと思うがどうだろか」
「私個人としては反対です。でもお父さんがそう仰るのなら従いましょう」
コトシロヌシは天孫族にのろいの言葉を残し海へ飛び込んで自殺した。
その時の模様を再現するのが美保神社の青柴垣の神事である。
コトシロヌシの死の前夜祭は四月六日(夜)に松明がたかれ神殿では、鈴をもった未通女(おとめ)が巫女舞を舞う。
翌七日の朝、コトシロヌシの代わりに二の頭屋神主が四艘を二艘ずつくり合わせ、二組の神事の船に乗り移る。
船には板を渡した上に四角の天幕の中でコトシロヌシの死の儀式が行われるのである。
富氏は唇を震わせながら言ったそうです。
「青柴垣の神事は天孫族への恨みを決して忘れないぞという、出雲人の無念さを表すものなのだ。」
屈辱の神事でもある。観光客に見せるようなものではない」
美保神社
美保神社は、富家のものだった。 今の神主の横山氏はうちの代官で朝鮮との貿易であがる税の取立てをやっていた。 現在、祭神はコトシロヌシとミホツ姫ということになっているが、本来の祭神はミホススミノ命である。呪いを残して死んだコトシロヌシは天孫族に非常に恐れられていた。
そうした者を祀らせてくれるわけがないだろう。八重垣神社にしてもオオクニヌシの娘が祭神で、スサノオとは関係がなかった。
八重垣神社
出雲を占領したホヒ一族はさらに大和へ侵攻、ここの出雲神族をも降ろした戦いは出雲より激しかったと伝えている。
「日本書紀」天孫降臨 第二の書 オオクニヌシの国ゆずりの神話が暗示している。
8話へ
そういうことも有りかもですね (^^)v
大和への侵攻~
三輪山との関係
どうなんでしょう~か (^_-)~☆
再度読み直しながらなので少々お待ち下さい。
飛ばしながらで、やっと半分です。
狛犬見聞録を見るとやはり「アラハバキ神社」との関係の深い神社が多く見られます。
東北と出雲の関連性はあるように思います。
写真が多くて理解し易いです♪
省略したいのですが、これも書いておこうと長引いてます。
他の著者の本も読むべきだと考えていました。
省略したいのですが、これも書いておこうと長引いてます。
他の著者の本も読むべきだと考えていました。
もっと新しい記事をお読みください。
読んでいたら、どうも商売に走っているように思いきりのいいところでやめました。
存じておりますので、コメントは消させていただきました。
主様や私の思いと裏腹に、ネットの検索結果を古い記事をトップ表示上位表示し、あたかも最新記事のように見せかけようとしている人がいるという事が言いたかったんです。(私が言うネットの検閲官の事です。)
前回も記載した通り、過去のある時点の記事について、それだけを取って批判する意図など毛頭ありません。対象はあくまでも検閲官です。
それから新記事については、何か月か前に読ませて頂きました。続きは・・・・・?と思っていたところですが、
そういう事でしたか。受け取り方は人それぞれ。
それについては仕方のない事だと思います。
これからも時々は新記事を読ませて頂こうと思います。私など、長期に渡るブログ維持など出来るはずもなく、常々感心させられています。
考古学が知りえる範囲ですからね。
本の出版でAmazonに新品としないで中古本として本の価格にプレミアムを乗せ高額にするのはいささか不満です。
通常なら図書館にあり日本出版や東版の問屋経由で書店に入ります。 直接高値で売るのは利益の為としか考えられなくなりました。 それで本を読むのをやめたのです。