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八朔の外の皮を剥いて、袋を開いてまさに食べんとする。
苦労しました。
八朔のプチプチ感が出ないのです。
みずみずしい一粒一粒を表現したかったのですが力不足です。
疲れてくると、気持ちがささくれ立ってきます。
病気にかかると、動くたびに痛いところがちくちくするようになります。
やはり、気持ちは塞ぎがちになります。
ブログが書けなくて、思い切って寝ることにしました。
2時間も横になっていたでしょうか。
まだ、回復力があって若いのでしょうか。
回復しました。
故郷から送った八朔が美味しいのです。
少し酸っぱいのですが、甘みもちょうどよく喉の渇きも癒えて、
元気が出て来たようです。
挑戦すること3時間。
一枚目は、なんちゃって絵手紙になったので書き直すことにしました。
今度も満足いかないのですが、
いつも通り、これが実力と載せることにしました。
今日のテーマは「小さき幸せ」です。
彼女と初デートしたときのことを覚えています。
帰りの道で一人になって、スキップしながら帰って来ました。
今思い起こすと、それは「小さな幸せ」でした。
いつまでも続くと良いなと思ったものです。
人間は、欲張りです。
もっと、良いことがあるんじゃないかと次のデートをしました。
デートだけじゃ物足りなくなり、一緒になりました。
月日が経って、責任感も出て頑張るようになりました。
若いと言っても、疲れたものでした。
小さな行き違いで喧嘩をするようになりました。
喧嘩を楽しめば良いのですが、それもできないほど疲れていました。
休めばよいのにと思いながら突き進んだのです。
そのうち、「小さき幸せ」に気づかなくなりました。
ささくれ立ってきたのです。
少しの挫折で、立ち上げれないと思うようになったのです。
何しろ邁進でした。そして多くのものを失ったのです。
私は、「小さき幸せ」を軽んじるようになりました。
出来るはずだと頑張るようになりました。
もっと良いことがあると、とりつかれるようになりました。
「小さき幸せ」のための努力をしなくなったのです。
「大きな幸せ」ばかりを追いかけるようになっていたのです。
この歳になって、「小さき幸せ」こそが、大切なことに気づきました。
「小さき幸せ」の積み重ねが、ゆるぎない心地よさとなることに気づいたのです。
その頃には、つけが一杯溜まっていました。
つけの解消に、多くの年月を費やしました。
今は、「小さき幸せ」を最優先することにしています。
でも、疲れやすくなり続かないのです。
若い頃は、きっと無理を押し通したでしょう。
今は休むことにしています。
明日も同じように動けるか自信がないのです。
休めば、笑顔も出てきます。
そして、いつものように楽しめるようになるのです。
コップに半分水が残っています。
命の水です。
もうこれしかないと思うのか、
まだこれだけあると思うのか。
うまくいかなった時には、「これだけ残っている」と思う方が、
リラックスできるでしょうね。
できるだけそう思うようにしています。
「まだ、これだけある」ことこそ、「小さき幸せ」なのです。
ほどほどに しようの酒が いつか虎
2016年1月6日