十年後の私を描きました。
幼い頃、将来の夢を書きました。
その通りになったような、大きく違う人になったような。
私の顔の特徴は、唇にあります。
薄くて、狡猾な意志の強そうな唇です。
致し方ありません。
そうして生きて来たのですから。
私の年代の顔つきは、自分の責任です。
顔の造作は、親譲りです。
しかし、表情は自分の責任です。
柔和な方は、いつもにこにこされていて、口角はあがり優しい目をされています。
気をつけているからではありません。その人がそうだからです。
今日のテーマは、「十年後の私へ」というタイトルです。
誰にも将来のことは、わかりません。
無責任でも良いでしょう。
今の延長線の上を歩いているような気もします。
70歳は、人生の延長戦ではありません。
新たに何かをやり遂げていて欲しい。
芥川賞を70歳でとっているとよいですね。
一つの街を元気にしています。
次の街でも人気者です。
貴方の周りには、若い人がいっぱい働いています。
貴方の背中を見て、貴方のようになりたいと思っています。
そしてまた十年後の夢を語っています。
びわや柿などの果樹を植え続けているでしょう。
元気いっぱいで、ゴルフを続けているでしょう。
100はとっくに切って、90代で回っていることでしょう。
女は妻一筋でしょう。
貴方の眼光は鷲の目のように研ぎ澄まされ、まだ獲物を狙っているでしょう。
この爺さんいつまで生きるんだろうな。
その頃になってやっと、俺は未熟だったなんて言っているでしょう。
きっと、酒もたばこも止めているでしょう。
まだ生きたいからなんて、少しは医者のいうことを聞く人になっているでしょう。
貴方は、よく笑う人になっているでしょう。
孫から、「どうしたら良いと思う」なんて聞かれているでしょう。
思いつくまま書いてみました。
どれも小さな幸せばかりです。
現実は、大いに違うものでしょう。
B29が爆撃に来て、対空砲射の指令を出されていた方から
コメントが来ました。
無我夢中だったことでしょう。
日本が負けることがとても悔しかったことでしょう。
それから70年。日本は変わりました。
国民が、多神教で良かったと思います。
文化、文明の終着点だった日本から逆流するようになりました。
時代は変わります。
私は、もう少しその変化を見てみたい。
越し方を 見る人あれば 声かけよ
2016年1月29日