
タイトルは、「そばを作る人」です。
自宅の屋根より高い山の斜面でそばを作っています。
今にも転げ落ちそうな畑です。
どうしてここで作っているのか。
いろんな理由が考えられます。
理由を考え、心を打たれ応援をする。そして、自らもやってみる。
カフェ開店までの15分間で書きましょう。
今日のタイトルは、「無くてもあっても困らぬもの」です。
具体的な物ではなさそうである。
時間はいかがでしょう。
無ければないように生活する。
あればあったでゆっくりする。
逆に、「あっても、無くても困るもの」とは何でしょう。
欲が思い浮かびます。
象徴的な物は、お金です。
あれば、減らないか心配です。もっと欲しい。
無ければ、貧困です。貧すれば鈍する。
元に戻りましょう。
「無くてもあっても困らぬもの」は、日常ではない空間や時のことです。
テレビを観なくても生活できる。
趣味が無くても生きていける。
こだわりのような事柄です。
なんか気持ちが悪い、歯の間に挟まった食べものかすとも違う。
向上心と言うか、出来れば上手になりたい程度のものから、目標を掲げ達成するまで努力する。
産まれてすぐに母親から愛情を注がれる。
親のこだわりを受け継ぐように生きていく。
果たして自分に合っているのか、疑問を持つようになる。
年頃になれば、自分と言うものを持つ。
日常ではない空間や時のよいことの一つに、幸せがある。
(2019年10月21日投稿、以下は翌日投稿)
なぜ、このようなことを書こうとしたのか、種明かしをします。
個人が、生きる上で大切にしていることは何なのか。
自分は、何者なのか。
こういう疑問を自ら持ち、考えてみました。
私は、エンジニアリングに関わるいろんなことを、結果的に学ぶことになりました。
設計から開発、プロジェクトエンジニアー、営業、教育担当と経験することができました。
生涯、管理職にはならず現役を続けることができました。転職したからです。
営業の時、エンディングストーリーを描けることがとても大事だと気づきました。
あらゆる技術会議に、各社の営業を参加させました。
良いこと(自社が得意とする分野)だけを売っていくことはできない。
それを知ってほしかった。
エンジニアリングは、チームが同じ方向を目指すキーワードの元やる仕事です。
売るものが、エンディングストーリーをイメージしなければならない。
西田幾多郎の「善の研究」という本がある。
人間は、何を目指して生きているのか。
生きることは、経験を積みより高みを目指す終わりのないものであり、
生きることそのものが善であるという。
善とは、先祖(父母)から受け継ぎ、自分が工夫努力をして積み上げていくものである。
職人には終わりがない。
人間の営みにも終わりがない。
こうだったら良いのにな。経験は、幸せだったり、不幸だったりします。
それでも、こうだったら良いのになと繰り返し挑戦する。
自らの名誉ではない。
社会全体が、良い方向に向かえばよいと考えている。
気づかないまでも、無意識に向かうエネルギーのことです。
「無くてもあっても困るもの」とは、よくわからない自分の目指すもののことです。
人生は、決して楽ではない。でもなぜか努力をする。
「こうだったら良いのにな」は、自分の中から湧き出るものです。
そしてやってみる。何度もやってみる。頭で考えていては、掴めぬものです。
身体も頭も汗をかく作業のことです。
自分自身でも気づかぬものだけど、やっているのです。
「無くてもあっても困るもの」を考えてみました。
仏像は 動かぬもので 話さない
2019年10月21日