故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

Moral parent

2019-12-17 05:43:12 | よもやま話

人々が行き交う稲荷橋(タイトル)です。
広島の川にかかる橋の一つです。


私は、広島生まれです。
最初に、原爆投下された町です。
14万人の方たちが亡くなり、その後6千人の孤児たちが生き延びた。

今日のテーマは、「Moral parent」です。
広島の島に生まれながら広島のことをあまりにも知りません。
私にとって大事なことは、まずは故郷を出ることそして生き抜くことでした。
戦後、日本中で多くの孤児たちが苦しみ死に生き延びた。

現在、原子力発電所の事故が起きた地に住んでいます。
放射能に対する恐れはありませんでした。
広島は、長い時間不毛の地になるであろうと言われた。
投下後の9月には夾竹桃の花が咲き、両親を含め多くの生き抜いた人たちを見たからだと思います。

今回、「Moral parent」のことを初めて知りました。
広島で被爆したある一人の牧師(谷本さん)が、広島の惨状を全米で15カ月にわたり講演した。
戦後間もないころの話です。
谷本さんは、戦争を起こした自国の贖罪をした。
同時に、荒れ果てた自国の惨状をも伝えた。
谷本さんは揺れ動く両方の気持ち(ごめんなさいと憎い)の間で葛藤し、苦しんだ。
投下直後、谷本さん自身も多くの助けを求める声を振り払い、教会と自分の家族の心配を優先した。
アメリカの教団に依頼された講演がきっかけで、一人のアメリカ人のノーベル賞作家の心を動かした。
そして、アメリカ人のジャーナリストが協力した。
国交がない状態での孤児を救う手だて(養子縁組など)がない中、「Moral parent」の運動が始まった。
600人のアメリカ人が、「Moral parent」になった。
「Moral parent」は、広島の戦災孤児たちに精神的また経済的援助をした。
日本政府ができなかったことが、原爆で終戦したと信じる人が多いアメリカで起こった。

放送では、ソウルにいる韓国人に母親代わりに育てられた孤児の話も出た。
日本が戦争をしかけた国であり、多くの韓国人を殺し搾取してきた。
なのに、韓国人の義母は、広島の戦争孤児を我が子のように育て上げてくれた。

戦災孤児たちの生き抜くことが、どれだけ大変なことであったか、伝え聞いている。
「Moral parent」の事実は、衝撃でした。
私達が生きる上で、もっとも大事なことは人とのつながりなんだと、改めて感じた。

気づくのが 今であっても 遅くない

2019年12月17日
コメント
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