故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

田舎暮らし

2019-12-24 04:32:16 | よもやま話

今日もご安全に。
タイトルは、「ちょっと一休み」。
正午の時報に合わせ遠吠えをする。
先祖の血が騒ぐのです。


今日のテーマは、「田舎暮らし」です。

田舎に暮らして4年目です。
いいこともあった。よくないこともあった。
選択の根拠は、何が自分にとって楽しいか。
都会の暮らしは、金がかかる。
住居費と食費が高い。
田舎の暮らしも、金がかかる。
交通費と交際費がかかる。

都会は、交通網が発達しているから車が無くてもどこにでも行ける。
田舎は、一日にバス3便では具合が悪く、車が必要である。

自分の判断だが、都会は暮らすところではないような気がする。
若いうちは働けるし、学校の選択肢が広いから子育てには向いている。
田舎じゃ、都会の大学に子どもを出したら相当な金額を覚悟しなければならない。
子供のアルバイト先も限られる。
暮らしとなると、田舎が断然良い。
都会では、隣は何する人ぞとなります。
会社に行かなくなってから、行くところがない。やることがない。
行けたとしても、やれたとしてもすべてが金がらみとなる。

田舎では、畑の草を取るだけでも癒される。
取った後の展開がある。何を育てようか。
どうやって食べようか。誰に送ろうか。
土づくりは、どうしよう。
(ここで、カフェで注文があり中断)

ところが、問題は体力であり知力である。
都会でも田舎でも体力を鍛える場所はごまんとあり、どちらとも言えない。

知力の点では、田舎のほうが使うと言えば使う。
いや、使わざるを得ないと言える。
人工と自然の違いが要因であろう。
寒いとか暑いは一緒である。
草が伸びる、種まきの時期を見誤るなど田舎の暮らしは刻々と変化する。
その時を見逃すと、一年後にリベンジとなる。
田舎暮らしは、自然と共にある。

知力を鍛える暮らしと言える。
ここに来て、空を見る遠くの景色を見て予測する癖がついた。
すなはち、視野が広がった。
五感を使って生活する。
その分、心が豊かになる。
取り込み量が多いから、判断することが必然的に多くなる。
都会では、多くのサポート(仕組み、ルール、安全神話など)がある。
田舎は不便な分、補助的な工夫と知恵を要する。

知恵の一つが、コミュニケーション力のアップである。
一人では生きていけない。このことを強く感じる。
おばあちゃんでさえ、孫にいくら握らせればコンビニまで連れて行ってくれるか算段をする。
自ら発言しなければ、ことは進まない。
誰でも、大阪人にならざるを得ない。
ボケとツッコミを小さいころから鍛え上げることになる。
田舎の若者は、多くの役目(消防団、自治会長、祭りの準備など)をこなさなければならない。
リーダーとしての資格も早くから問われることになる。
会社の上司と馬が合わないなんて言ってられないのである。
仕事と暮らし、オンとオフの狭間が無く、またはっきりと区分けされる。
会社では上司だが、自治会では使いっ走りと言うことはよくあること。

枯葉マークは要注意。
ウインカーなど出さず、あぜみちのごとく我が道を行く。
それでも運転しなければならぬから、惚けてられんめえ。
若いお姉ちゃんにあおられることも、しばしばです。
通勤時間帯の車は、脱兎のごとく。恐ろしいものがあります。
車列に頭を入れてからウインカーを出すのは、大阪だけとは限らない。

都会暮らしと田舎暮らし、どちらを選ぶかは個人の自由です。
どちらも体験できるとよいですね。

狸事故 雄が多いは 雌のけつ

2019年12月24日
コメント
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