故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

ふるさと

2022-03-15 11:47:20 | よもやま話

絵のタイトルは、「恩師夫妻」です。
60歳の時、恩師と再会した。
小学生の頃、「褒めたのに、なぜ泣くんか」と答えられなかった質問に答えた。


融けるのに 永い時経ち 草萌える 

若い頃、とにかく故郷を離れたかった。
運よく、東京の大学に受かった。
今日のタイトルは、「ふるさと」です。

皆さんにも、それぞれの「ふるさと」がありますね。
パキスタンに出張して、休日に勤務地のラホールからイスタンブール(ラワールピンジー)に行った。
ある遺跡を訪問した時、「チニー」と後ろから声をかけられた。
揶揄されたように感じた。
思わず、その声に向かって、ジャパニーズと大声をあげた。

上海の歴史通り(洋館が多くある揚子江の川岸)で、
私を日本人とみて、中国人の若い女性が誘ってきた。
「ちんちんマッサいかっすか」
ある日本人が、とんでもない日本語を教えたんだと笑った。

韓国のアジュマやドイツのママに、酒ばかり飲んでいないで食べなさいと、私は叱られた。
台湾で、沖縄の泡盛協会の面々を超臨界二酸化炭素液化施設(玄米から重金属と農薬を除去)を案内した。
社長たちは、そこまで聞くのと質問した。
博士の施設長は、専門用語をふんだんに使い詳細に応えた。
独りで通訳をし大汗をかいた。

一人っ子政策を進める中国で、米の施設(ニューマを使う残留ゼロの最新設備)の講義をした。
結婚できない若者に、「美人は三日で飽きる、ぶすは三日で慣れる」と諭した。
翌日、若者たちから「ミスター」と親しみを込めて挨拶された。

出て行きたくて仕方がなかった「ふるさと」に、50年の時を経て帰ってきた。
若い頃の「ふるさと」自慢は、江田島湾が世界に通じていると思ったくらいのことであった。
台風の日、世界中の船が江田島湾が埋まるくらい避難してきた。
山の上から終日飽きずに眺めていた。

「ふるさと」の何処が気に入らなかったのか、今の私は明確に答えられない。
ロシアがウクライナを侵略している。
かつては兄弟国であった。
言葉が通じなくても、世界中で親切にしてもらった。
「ふるさと」に帰っても、古い(50年前)知り合いより、新たな出会いに活路を見出している。
何が「ふるさと」なのか、決まりはない。
「ふるさと」は私の中にあり、接する人すべてが隣人ではないか。
血を分けた兄弟でも大喧嘩をする時がある。
身内にわがままをぶつけることもある。
私達は、「ふるさと」が無くても生きていける。

2022年3月15日
<<あとがき>>
広島から見たら、東北は北関東の延長である。
東北の都市の名を聞き、場所を正しく答えられない。
まさかの理由で、そんな地に移住し、6年間を過ごした。
産まれ在所より、「ふるさと」を感じた。
(筆者)
コメント
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