床に置かれた物を避けながら歩く。
慣れるとはいうものの、不快極まりない。
片付けた者にしか、
拭いた者にしか、
快適さは分からぬ。
また変化に気づいて掃除をする。
その繰り返しです。
今日のタイトルは、「なぜ、草刈なのか」です。
理由は、いたってシンプルです。
草の先に宝があるからです。
宝は、果物だったり、茸だったりします。
草を刈った場所から振り返ると、視界が開けます。
ここでは、海が見える絶景となります。
バーベキューでもしたらよいのにと、誰かが言うけど一度もしたことがありません。
訪ねてくる人がいません。
たまに帰ってくる息子夫婦でさえ、野菜を持ってすぐに帰ります。
草を刈ると、獣が近づかなくなります。
草を刈る者は、伸びる草が気がかりです。
隣地の耕作放棄地が気になります。
家の片づけとマインドは一緒です。
草刈の野望は、段々畑に地上絵(華絵)を画くことです。
海を見下ろす人がいないなら、海から見上げる風景を作ればよい。
壮大なできもしないことです。
草を刈れば、そんな気持ちに進むから不思議です。
草刈は、好きでなければできません。
2023年2月3日