故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

里山

2023-07-23 05:27:58 | よもやま話

ゴルフ場を走る鹿です。
鹿が増えたのか、ゴルフ場が彼らの生息地を狭くしたのか。
人間と鹿双方に、危険です。
猪は電柵で入らないようですが、鹿のジャンプ力までは柵を高くできません。


準備と覚悟をして、畑に出かけます。
室内において、昼間は33℃、夜間でも30℃です。
島なので、海の影響がありヒートアイランドのように体温を超える温度にはなりません。
今日のタイトルは、「里山」です。
今では、私たちの郷愁を誘う場所となりました。

一つの谷戸(川に挟まれた尾根のような場所:里山)を一生懸命耕しています。
私が移住してきたときは、私の畑も含め谷戸のほとんどが耕作放棄地でした。
私が関わる面積(他人の土地が半分以上)は広く、なにも植えない耕すだけの畑と田んぼが2/3です。

冬に移住し、耕作放棄地の草と雑木の伐採に一年間かけました。
翌年の夏に豆を植えました。
実がつきませんでした。
受粉しなかったのでした。
東北では、熊蜂が受粉を助けてくれました。
赤カボチャが縞模様(青カボチャと混ざる)になるほど、蜂の活動範囲は広かった。
おじさんが、朝3時に畑に出かけ、雌花が咲くのを待って人工授粉していました。

セミの鳴き声が少ないと感じました。
20歳まで島で暮らしましたが、朝はクマゼミの喧騒で目が覚めました。
今年は受粉が活発でした。
猪は豚熱で少なくなったと聞きました。
たけのこも猪に食われず若竹になっています。
蝉も去年より多いと感じます。
少ないと感じた雀も去年よりは畑に来るようになりました。

茅を切り、かっぽんの根をおこし、雑木を伐り、草を刈り、そして耕しました。
耕作放棄地の土の中には、コガネムシの幼虫が多くいました。
草が伸びると耕しました。
耕すたびに、幼虫の数は減少しました。
猪の餌になっていると気づくまで時間はかかりませんでした。
猪が蝉の幼虫をほじくり返して食べるという噂は本当でした。

耕作放棄地をきれいにするまでは、1週間に1頭の頻度で箱罠に猪がかかっていました。
箱罠を管理していたベトナム人は、耕作放棄地をきれいにした半年後に箱罠を撤収しました。
里山が果たす役割を学びました。
東京都の里山が多摩丘陵(代表的な場所が奥多摩)なのでした。

猪は、葛の根(太いもので30mm)を主食としていました。
長い間耕作放棄していた私の畑には、猪が掘った穴(1から1.5m深)がそこかしこにありました。
地球から見る月のクレーターのようでした。
この穴に水がたまり、土砂崩れの原因になると聞きました。
葛のつるを切ってからは、クレーターは消えました。

里山の保全が大切だと言われています。
東北の台地では、朝5時を待つかのように草刈り機が回り始めました。
ここでは、その元気がない。
平均年齢80歳では、無理もありません。

釣りをします。
川が海に入る場所がよく釣れます。
砂浜が保たれていることも、栄養が豊富であることを証明しています。
瀬戸内海(特に湾)は、栄養がない海であると言われています。
船が航行できる限界まで、牡蠣いかだが設置されています。
牡蠣は育たなくなり、海洋温度の上昇で20%が死滅し、誰も釣らなくなった黒鯛の食害にあえいでいます。
牡蠣業者も元気のある若者だけが継承することになるでしょう。

自然環境(里山)を守ろうという活動を積極的にやっている訳ではありません。
里山が面白いから続けているだけです。
夏は厳しい。
家の中にいてもクーラーが必要です。
どうせなら、外で健康的(熱中症にかからない程度)に汗を流すほうが良いと思っています。
里山に学び、ビールがうまいのが何よりです。
耕作放棄地の管理は、私の能力限界を引き延ばしているように思います。
どこまでできて、生かしてもらえるのか楽しみです。

2023年7月23日

(里山とは)
里山とは自然環境と都市空間との間にあり、集落とそれを取り巻く二次林、それらと混在する農地、ため池、草原などで構成される地域を指します。よりシンプルに定義すると「集落や人里に近く、人間の影響を受けた生態系が存在する山」を指します。
(ネットより引用抜粋)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« キーワード | トップ | 胡瓜入りのカレー »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

よもやま話」カテゴリの最新記事