🍀般若心経の解説🍀1
🌸🌸「観自在菩薩(かんじざいぼさつ)」🌸🌸
「観自在菩薩」は、観音さんと同じことです。
「観世音(かんぜおん)菩薩」ともいいます。
「観自在(かんじざい)」には、
世の中の多くの人々から観られつつ、
多くの人々を観て救う、はたらきが"自由自在"であるという意味が込められています。
この語は、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の新しい訳語です。
これに対して、
「観世音(かんぜおん)」は、
それ以前の古い訳語です。
この「観世音」という語は、
この世の人々の、苦しみ悩む音声(おんじょう)を観察して、
彼らの苦悩を救いとる、という意味があるとされています。
「観音(かんのん)」は、
「観世音(かんぜおん)」を短くいったものです。
中国や韓国・日本では、
どちらかといいますと、
「観自在」より「観世音」あるいは「観音」の方が一般的に流布しています。
それは、なぜかといいますと、
後者の方が、
意味からも、語感からも、
私たちにより親しい懐かしい響きを持っているからでしょう。
その観音さんが、この「般若心経」の冒頭に、まず登場します。
🌸🌸「行深般若波羅蜜多時(ぎょうしんはんにゃはらみったじ)」🌸🌸
行は「修業する」「修業している」という意味、
深は「深い」という意味です。
「般若」といいますのは、
インドの古い言葉のサンスクリット語「プラジュニァー」
(パーリ語の「パンニャー」がより近いと思われますが)
の音を写した語です。
本来は「智慧」という意味です。
「波羅蜜多」も、サンスクリット語の「パーラミター」の音を写した語です。
「彼岸に至ること」とか
「完全に到達すること」を意味します。
したがいまして「般若波羅蜜多時」とは、
「智慧の完成」ほどの意味をもちます。
だだし、智慧といましても、小ざかしい智慧ではなく、
ものごとを正しく識別する能力、あるいはすべてを見通しと見識のことです。
🌸🌸「照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)」🌸🌸
ここでは、「五蘊(ごうん)」と「空(くう)」がキーワードです。
「照見」とは徹見(見通す)することです。
「空」は、普通は「そら」と読みますが、
仏教では、「くう」と読み、特有な意味を持たせています。
「五蘊」とは、「5つの集まり」ということです。
この世における物事、すべてを指します。
具体化には、
1)物質的構成要素(われわれの肉体をも含む)をあらわす「色(しき)」
2)われわれの感受作用の「受(じゅ)」
3)われわれが心に想うこと、すなわち表象作用の「想(そう)」
4)われわれの意志作用、つまりうちから作り出す力としての「行(ぎょう)」
5)さまざまなものやことを識別する作用の「識(しき)」
の5つのことです。
一方、
「空(くう)」といいますのは、あらゆる物事は、固定的な実体性を持っていないということです。
すべては変化し、流動的であるといいかえてもよいでしょう。
われわれは、土地や財産(お金や宝石)がなくならないように、
恋人が心変わりしないでほしい、
夫や子供と死に別れることがないように、
いつまでも、この若さと美しさを保ちたいなど、
と思っていても、ままなりません。
逆に、失恋してもそれ以上の素晴らしい恋人が現れることもあります。
失業しても、さらによい給料のよい職が見つかることもあります。
成績の芳しくなかった子供が、急に良い点を取るようになることもあります。
このように、
この世の現実は流動的であり、
いたずらに一喜一憂することなく、努力しなさいということが、
「五蘊皆空」のいわんとするところです。
(「あなただけの般若心経」より)