🍀般若心経の解説🍀19
🌸🌸「乃至無意識界(ないしむいしきかい)」🌸🌸
「無意識界」を、ぱっと見て「無意識の世界🌎」と読みたいところですが、
ここでも「意識界も無く」と読むのが正しい読み方です。🎵
もちろん、「空☁️の中には」(実体がないという立場においては)という限定がつきます。😄
さて、「是故空中無色」以来、私たち人間存在🌸に関わるすべて、
つまり
(1)五蘊、
(2)十二処、
(3)十八界
のそれぞれは、空☁️という究極の立場から見ますと、
すべてに「無」という字が冠せられることを学んできました。😄🌸
いちおう、この文までで一山🗻超え、
次の文からは、またもう一つの山🗻に分け入ります。
そこで、
「空」ということを、もう一度おさらいすることにしましょう。😄
学者は、「空☁️とは言葉🍀を超越した沈黙の世界🌌である」と説きます。
だから、空という立場に立てば、
この世の存在をあらわす言葉それぞれを
「般若心経」は否定的に表現するのです。😄🎵
別の学者はこうもいっています。
仏の説いた教え🍀(仏法)も空☁️である。
それを実践する修行者も空☁️である。
すべて空☁️である。
空の原初的な意味は執著(着)を離れる☁️☁️ことである。😊
素裸になって仏🌸のふところに飛び込むことである。☀️
リズミカルに、🎵
これでもダメ、これでもダメ、
空☁️であるべきである、空☁️であるべきである、
と、たゆまない姿勢🌸が肝要である。✊
このように、一寸きざみに仏☀️に近づくことが、
空☁️の修行に他ならない。😊
反省🌟また反省🌟、道程🌸また道程🌸が、空の修行である。🎵
その途中で、自分が空を体得したという「魔⚡️」が生ずるが、
そのつど繰り返し➰、繰り返し➰反省🌟してゆくこと。
つまり、執着の私をどこまでも否定し、💓
真実の自己🌸を追い求める姿🎵が空☁️を行ずることである。
ゆえに、
空☁️とは、
一生の間、自己を問い続けること、✊
生活のなかで問い続けることである、✊
と。😊☀️
行乞(ぎょうこつ)流転(るてん)の旅を続けた種田山頭火🌸は、そこのところを、
分け入って 分け入っても 青い山🗻
と詠んでいます。🎵
(「あなただけの般若心経」より)
🌸🌸「乃至無意識界(ないしむいしきかい)」🌸🌸
「無意識界」を、ぱっと見て「無意識の世界🌎」と読みたいところですが、
ここでも「意識界も無く」と読むのが正しい読み方です。🎵
もちろん、「空☁️の中には」(実体がないという立場においては)という限定がつきます。😄
さて、「是故空中無色」以来、私たち人間存在🌸に関わるすべて、
つまり
(1)五蘊、
(2)十二処、
(3)十八界
のそれぞれは、空☁️という究極の立場から見ますと、
すべてに「無」という字が冠せられることを学んできました。😄🌸
いちおう、この文までで一山🗻超え、
次の文からは、またもう一つの山🗻に分け入ります。
そこで、
「空」ということを、もう一度おさらいすることにしましょう。😄
学者は、「空☁️とは言葉🍀を超越した沈黙の世界🌌である」と説きます。
だから、空という立場に立てば、
この世の存在をあらわす言葉それぞれを
「般若心経」は否定的に表現するのです。😄🎵
別の学者はこうもいっています。
仏の説いた教え🍀(仏法)も空☁️である。
それを実践する修行者も空☁️である。
すべて空☁️である。
空の原初的な意味は執著(着)を離れる☁️☁️ことである。😊
素裸になって仏🌸のふところに飛び込むことである。☀️
リズミカルに、🎵
これでもダメ、これでもダメ、
空☁️であるべきである、空☁️であるべきである、
と、たゆまない姿勢🌸が肝要である。✊
このように、一寸きざみに仏☀️に近づくことが、
空☁️の修行に他ならない。😊
反省🌟また反省🌟、道程🌸また道程🌸が、空の修行である。🎵
その途中で、自分が空を体得したという「魔⚡️」が生ずるが、
そのつど繰り返し➰、繰り返し➰反省🌟してゆくこと。
つまり、執着の私をどこまでも否定し、💓
真実の自己🌸を追い求める姿🎵が空☁️を行ずることである。
ゆえに、
空☁️とは、
一生の間、自己を問い続けること、✊
生活のなかで問い続けることである、✊
と。😊☀️
行乞(ぎょうこつ)流転(るてん)の旅を続けた種田山頭火🌸は、そこのところを、
分け入って 分け入っても 青い山🗻
と詠んでいます。🎵
(「あなただけの般若心経」より)